朝
早朝
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「サン・ビセンテ岬の海戦」の記事における「早朝」の解説
夜明け前、イギリス艦隊が待ち構えていた音が聞こえてきた。霧の中で信号のために発射するスペイン艦の砲の音である。午前2時50分、スペイン艦隊との距離が約15マイルという報告が来た。早朝午前5時30分、軍艦「ナイジャー」は彼らが間近に迫っていると報告した。夜明けが訪れたが、2月の朝は寒く、霧に閉ざされていた。明るくなって、ジャーヴィスは周囲に自分の艦隊が2つの戦列を成しているのを確認した。彼は旗艦「ヴィクトリー」の艦尾甲板で士官に向かって「イングランドの命運はこの戦いの勝利にかかっている。("A victory to England is very essential at this moment.")」と宣言した。ジャーヴィスは艦隊に、来たるべき行動に備えるよう命令した。 軍艦「カローデン」のトーマス・トラウブリッジ艦長は先頭にいた。午前6時30分、「カローデン」は敵艦の帆が5つ、南東に見えると信号した。それを受けて「ブレニム」と「プリンス・ジョージ」がスペイン艦隊の方へ回頭した。ジャーヴィスは、彼が直面していた艦隊の規模の差を全く知らなかった。スペイン艦隊が霧から現れるさまを、「バーフラー」の信号士官は「霧の中からビーチーヘッドのような巨大なものが迫ってくる」と述べた。 夜が明けたとき、ジャーヴィスの艦隊はスペイン艦隊に戦いを挑める好位置にあった。「ヴィクトリー」の艦尾甲板で、ジャーヴィスとカルダー艦長、ハロウェル艦長は敵艦を数えた。そのとき初めて、ジャーヴィスは敵艦隊がほぼ2倍の勢力であることと知った。 戦いを避けるのは至難であったし、敵艦隊がフランス艦隊と合同したら今よりさらに悪い状態になるだけだった。ジャーヴィスはこのまま戦闘に突入することを決断した。 明るくなるにしたがい、スペイン艦隊が緩やかな2つの戦列(風上側がおよそ18隻、イギリス艦隊に近いほうがおよそ9隻)を作っていることが見て取れた。午前10時30分頃、風上側の戦列の艦が、下手回しで左に回頭する様子を見せた。これは彼らが単縦陣を作り、イギリス艦隊の風上側の戦列に沿って航過して、より小さいイギリスの戦列を強力な砲火で圧倒しようとしているように思えた。 午前11時00分、ジャーヴィスは命令を下した: 「ヴィクトリー」ノ前後ニ適宜単縦陣ヲ形成セヨ。 この命令によりイギリス艦隊は一つの戦列となり、2列のスペイン戦列の間を南に通過するように方向を定めた。 午前11時12分、ジャーヴィスは次の信号を発した: 敵ト交戦セヨ。 そして午前11時30分、 提督ハ敵戦列ノ間ヲ通過セント欲ス。 サン・ビセンテ岬沖海戦はこうして始まった。
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早朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/22 17:04 UTC 版)
7月12日、午前6時50分、第2SS装甲軍団は攻撃を開始、ソビエト赤軍も直ちに反撃を開始した。独ソ両空軍もそれぞれ展開し、空戦も開始された。第2SS軍団は7時10分に「空ではソビエト赤軍が活発に活動している」と報告している。クルスクの戦いの初期には南部において、第2SS軍団を支援するよう命令されていたドイツ空軍第8航空艦隊が654回のミッションをこなす間にソビエト空軍は893回のミッションをこなしていた。第48装甲軍団の攻撃は第3、第52戦闘航空団らが北で散発的に支援を行っていた。 空戦はドイツ地上軍の進撃に極めて重要に作用した。ドイツ空軍による援護が常時ない状態であったため、第48装甲軍団はソビエト空軍の攻撃の前に次第に守勢へ回り始めた。第11装甲師団は「空軍の援護は多少はあったが、それ以上に急降下爆撃を含むソビエト空軍の攻撃が多い」と報告している。 第48装甲軍団はソビエト第1、10戦車軍による攻撃を受けていた。ドイツ空軍も地上攻撃を続けており、He111による攻撃はソビエト第69軍、第5親衛戦車軍に多大な損失を与えた。しかし、第48装甲軍団上空におけるドイツ空軍の活動の停止は、攻撃が停止することを意味していた。 第2SS装甲軍団は空軍の援護無しに第5親衛戦車軍への攻撃を開始した。第5親衛戦車軍と第2SS装甲軍団は同時に攻撃を開始した。ドイツの作戦計画ではそこで形成した橋頭堡を広げるためにペシェル川北部へ第3SS装甲擲弾兵師団が攻撃することになっており、第1、第2SS装甲擲弾兵師団らは攻撃に参加せず、第3SS装甲擲弾兵師団が攻撃に成功するまで防御を担当することになっていた。 ソビエト赤軍は午前9時15分に攻撃開始し、第一派には430両の戦車、突撃砲、第二派は70両が参加した。ドイツ空軍は航空支援を即座に行い、BK-37(37mm機関砲)装備のJu87G,爆装したFw190、MK101(30mm機関砲)装備のHs129らが一斉にソビエト赤軍に襲い掛かかり、支援砲撃の元、ソビエト赤軍を突破した。戦場はソビエト赤軍戦車から流れ出る煙で両軍の視界は悪化した。ソビエト赤軍第29戦車軍団に所属する第31戦車連隊は「我々は敵の対戦車砲と航空攻撃により戦車に多大な損害を被った。10時半、我々はコムソモーレツ農場まで進撃したが、ドイツ空軍による連続空爆のためにそれ以上進むことができず、守勢に回らざるを得なかった。」と報告している。第5親衛戦車軍所属の第18戦車、第29戦車軍団で朝の攻撃時に400~800両の戦車を失った。 このソビエト赤軍が攻撃に失敗した理由として、空軍、陸軍間の連携における怠慢があった。ソビエト空軍はドイツ軍の素早い進撃に対応できなかった。さらにドイツ第48装甲軍団がソビエト赤軍へ攻撃をしている間、ソビエト赤軍第2、第17空軍はドイツ空軍がこの上空を闊歩することを許してしまっていた。ソビエト赤軍第31戦車軍団司令官は「我々への空軍による支援は13時までなかった」と報告しており、第5親衛戦車軍では「我が部隊を攻撃する敵空軍に対して、我が空軍、とくに戦闘機が戦闘を通じて不足であった」と不平を報告している。
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早朝
「早朝」の例文・使い方・用例・文例
- 早朝散歩すればきっと調子がよくなるでしょう
- 早朝礼拝
- 早朝の涼しさの中を歩く
- 早朝ジョギングするのは気持ちがいい
- 彼女は早朝に野鳥観察をするのが好きだ。
- 早朝までに私は仕事を終わらせなければならない。
- 私は金曜日の早朝に出発することを計画した。
- 私は早朝に出かけることを計画していた。
- 8月6日の月曜日から毎日早朝の掃除を再開してください。
- 早朝、サーフィンをしました。
- 早朝サーフィンをやりました。
- 今朝、早朝、日本とメキシコのサッカーの試合をテレビでみました。
- 私は早朝散歩に行きました。
- 早朝ですが頑張って起きてください。
- 昨日は早朝の豪雨で床下浸水がおきた。
- 彼は早朝からずっと野球の練習をしている。
- 私は早朝にジョギングをします。
- 早朝から釣りに行く。
- 早朝と深夜の大声と騒音を止めて下さい。
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