哲学教育とは? わかりやすく解説

哲学教育

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 16:42 UTC 版)

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哲学教育(てつがくきょういく、: Philosophy education)とは、哲学学習・教育実践、およびそれに関する学術的研究を指す言葉である。教育哲学教育に関する哲学的研究一般とは異なるので注意すること。

世界の哲学教育

学校教育は通常、次の4つの段階に分けられる。幼児教育(初等教育以前、幼稚園など)、初等教育(小学校)、初期中等教育中学校)、後期中等教育(高校)、高等教育大学)、大学院教育。ときには「中等以降高等以前教育(post-secondary non-tertiary)」が含まれることがある(国際標準教育分類に類する区分)。あらゆる国が全教育段階において哲学という科目を設置しているわけではなく、事実上カリキュラムに哲学が全く登場しない場合が多い。

英語圏

アメリカ合衆国では大学以前の段階で哲学が教えられることは一般にはない。しかし、批判的思考と子どものための哲学を推進する運動により、部分的にではあるが哲学教育がカリキュラムに導入されてきている。イギリスでは一般教育修了上級レベル で哲学を選択することができる。

大陸ヨーロッパ

ヨーロッパの多くの国では、哲学は高校のカリキュラムに組み込まれている。例えばオーストリアクロアチアブルガリアフランスギリシャイタリアポルトガルポーランド、そしてスペインではそうである。ドイツでは1970年代以降、倫理学という科目名で哲学教育が導入される事例が増えている[1]。クロアチアでは、カトリックの教義を学ぶ宗教教育の代わりに倫理学を選択することができる。フランスでは大学入学資格のバカロレアで哲学が必須となっていて中等教育の最終学年で哲学を学ぶ。スペインは哲学教育を行っている国として最も代表的な例である。スペインでは中等教育段階で全ての学生が倫理学の初歩を必修科目として学ぶが、それは第6段階目の「バチイェラート(Bachillerato)」と呼ばれる課程においてであり、バチイェラートの1年目には哲学と市民科(シティズンシップ)が必修、そして2年目には哲学史が必修となっており、これらを履修することが大学に出願するための、もしくはバチイェラートを修了するための条件となっている。ヨーロッパの大学では哲学が広範に教えられており、世界でも最も長い哲学教育の伝統を有しているが、それは学問としての哲学が古代ギリシアで誕生したという歴史的な背景があるからである。しかしながら、ヨーロッパ全域において哲学への関心は相対的に低下している。

アフリカ・中東

アラブ諸国の一部には長い哲学教育の伝統がある。ユネスコの実施した調査によれば、下記のアラブ諸国では中等教育段階で哲学が教えられている。アルジェリアバーレーンエジプトクウェートレバノンモロッコモーリタニアカタールシリアチュニジアイエメン。ほとんどのアラブ諸国において哲学は大学(高等教育)レベルで教えられている。しかし例外もあり、オマーンサウジアラビアではほとんどの教育段階において哲学が全く教えられていない[2]

アジア

哲学教育はほとんどのアジア諸国で伝統的に行われてきたが、それは大陸で東洋哲学が生まれたという背景があるからである。20世紀と21世紀にはインド中国などの大陸アジアで哲学教育(得に西洋哲学)への関心が高まったが、現代では特に韓国日本が哲学の学術研究の拠点になっている。しかし、地域や国によって状況は異なっている。

哲学教育への理論的アプローチ

学校で哲学を教えることに関する理論的な問題は、少なくともイマヌエル・カントヘーゲルの時代から議論されてきた。1970年代にドイツで起きた哲学教育を巡る議論によって、2つの競合するアプローチが提出された。1つは、伝統的なテクスト重視のアプローチで、ヴルフ・レーフスが支持するもの、もう1つは現代的な対話重視のアプローチで、エッケハルト・マルテンスが支持するものである。後者のアプローチはカレル・ファン・デル・レーウとピーター・モスタート、そしてローランド・ヘンケの手によって発展してきた。伝統主義者-現代主義者間の同様の対立がフランスでも見受けられ、前者はジャック・ムグリオーニとジャクリーヌ・ルスによって、後者はフランス・ロランとミシェル・トッツィによってそれぞれ支持された。イタリアでは哲学教育は思想史として扱われ、伝統的に歴史に重きを置いて教えられてきた[3]。大学レベルで哲学を教えることに関する理論的問題については、学術誌の『Teaching Philosophy』掲載の論文で扱われている。

教授法

哲学の教授法には、ソクラテス式問答法解釈学的方法がある。哲学教育についての教育学的側面は、教育哲学者によって研究されている。

組織

学術誌

  • 『Teaching Philosophy』
  • 『American Philosophical Association Newsletter on Teaching』
  • 『Diotime Revue internationale de didactique de la philosophie』

脚注

  1. ^ Pfister 2010, pp. 119–135
  2. ^ UNESCO Human Security, Democracy and Philosophy Section, Social and Human Sciences Sector (2009) (PDF). Teaching Philosophy in the Arab Region. Paris: UNESCO Publishing. pp. 22, 34–35. SHS/PH/2009/PI/ARB 185218. http://unesdoc.unesco.org/images/0018/001852/185218e.pdf 
  3. ^ Pfister 2010, pp. 137–150

関連項目

参考文献


哲学教育

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 01:59 UTC 版)

ジュール・ラニョー」の記事における「哲学教育」の解説

ラニョー授業は、哲学概論知識教えるより、自ら考えさせることに重きをおいた。「私には、諸君代り考えることも、諸君代り決心することもできないのだ」。 ラニョー教室にある概論書のに鍵をかけ、さまざまな問い生徒投げかけて自分の頭で考えさせた。ラニョー授業スタイル概論知識として提供するではなく特定の哲学的題材限定して思索深めさせていく(『一つ思想中にはすべての思想入っている』)というもので通常の学校授業とかなり異なっていて批判にも晒されたという。「議論が苦手で、結論得意だったラニョー抗弁するともなく、ただ黙々と自分スタイルでの講義続けた。。最期闘病中にラニョーアランへあてた手紙がある。『親愛なるシャルティエ君、常に、何事にもおだやかに対し、しかも筋を曲げないようにしなさい。これが我々が他人に役立つ唯一の仕方ですし、又、哲学者真の姿なのです。』(1894年4月2日)。 ラニョー授業を行う上で重要視したのは「反省」と「悟性」で、嫌ったのは「修辞であった。「知覚」と「判断」以外は決し論じられなかった、とアラン書いているが、学年下のレオン・ルテリエ「神」論じた授業受けている。断片」と呼ばれる難解なメモ講義用のものだとすれば長く教師務めたラニョー毎年主題変えて授業していたと想像することも可能である。 アランは「ラニョーは、決しモラル論じなかった。」とも書いている。「おそらくは言葉によるモラル易きにすぎると考えていたのだろう」。別の箇所アランは、「ラニョーが何故モラル一度取り扱わなかったのかが分かった考えることを学べば、それで十分なのだ。」とも記している。 しかし『哲学歴史第8巻執筆者のひとり川口茂雄は「ラニョー知覚論は、ある側面で、精神をその怠惰から揺さぶり起こし、みずからが漠然と感じ受け取っている物事への責任目覚めさせるという」「ある種哲学的な倫理」を示唆する面をもつものとなる」との考え示し時にそれは「生徒たちの胸を打つ」表現として現れるとしてラニョー言葉翻訳している。 真の行為とは、自然の傾向抗う行為エゴイズム抗う行為である』『快(プレジール)を追い求め 努力(エフォール)を避けること、そこにエゴイズムがある。だが、苦痛受け入れないような行為は行為ではない。行為するとは、それゆえ自然の掟を受け入れることである。つまり努力苦痛受け入れることで、存在展開することであり、存在直接的[現勢的]な享受(ジュイサンス)を断念することである。』『行為とは根本において享受への無関心否定断念である。苦闘努力受け入れることである』『生(ヴイ)のために生き、生の享楽のために生きるのではないということ、それが生きることである。生の享楽よりも生そのものを選ぶことである。 寡黙なラニョー自分のためには動かなかったが生徒の事になると断固たる行動力持っていた。彼のクラス首席生徒ソルボンヌ大学受験したとき、幸運にも最も得意のテーマ出たがひどい評価不合格にされた。翌日アラン学校で偶然ラニョー出会うと彼は、今からソルボンヌへ行く、「シャルメ(落とされ生徒)に、明日口頭試験には合格するからと言っておいてくれ給え」と伝言頼んで出掛けていった。アランがシャルメに「明日、君は口頭試験に受かるそうだ。そう言ったのはラニョーなんだ。」と伝えると彼は「うん。それはよかった。」とだけ答え次の日、彼は合格したラニョー一介リセ教師だったがアカデミーからも一目置かれていたのであるラニョー授業の中でアラン哲学目覚めさせたのが「盲人問い」である。 『生まれながら盲人が、数日間間隔をおいて順番両眼見えようになったときに、かれが外界からうける印象はどんなものか』 このような問いを含む知覚についての講義が3ヶ月続くなかで、"外観"とはなにか、"表面"とはなにか、"表象"とはなにか、といった事が繰り返し問われ例えアランは「その果てしない仕事目の前にしてぞくぞくするような喜悦」を覚え白い原稿用紙前に盲人不十分な言葉言おうとすることを、当の盲人に向って言うことだけに専念した」という。アラン同様ラニョー尊崇の念を抱いていたシモーヌ・ヴェイユもまた教師時代にこの問い生徒たち与えている。

※この「哲学教育」の解説は、「ジュール・ラニョー」の解説の一部です。
「哲学教育」を含む「ジュール・ラニョー」の記事については、「ジュール・ラニョー」の概要を参照ください。

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