ラニョーとは? わかりやすく解説

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ラニョー

名前 Lagneau

ジュール・ラニョー

(ラニョー から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/26 03:52 UTC 版)

ジュール・ラニョー(Jules Lagneau, 1851年8月8日 - 1894年4月22日)は、フランスの教育者、哲学者。ジュール・ラニョーは生涯をリセの一教師として過ごし一冊の著作もあらわさなかった。その哲学が世に知られたのはラニョーの死から30年後、教え子たちが、ラニョーの授業を書きとめたノートを印刷・出版したことによる。[補 1]


注釈

  1. ^ この要約は,(哲学の歴史 8 & 執筆.川口茂雄, p. 247),と、(『ラニョーの思い出』, p. 67)「その外観が平面にあって奥行きのないことは、これは黒板と白墨の真理(*事実)をそこに求めることであって立方体の外観を求めることではな」く「その外観は本物の立方体によって、立方体の外観としては本物だったのである」,を元にしている.
  2. ^ この要約は(『ラニョーの思い出』, p. 6) を元にしている.

補遺

  1. ^ 編纂者の中心はアランで1925年に『ラニョーの思い出』(Souvrnirs concernant Julues Lagneau)を上梓すると共に24~26年の間に弟子仲間が書きとどめた講義のノートを集めた『著作集』(Ecrits de Jules Lagneau)を出版した。これに他の著述や講義,手紙などを加えた形で『名講義および断片』が1950年、その増補改訂版(1964年)が今のところ基本文献になっている。(杉村靖彦 2003, p. 33)
  2. ^ アルベール・チボーデ[1874~1936]フランスの批評家。文学現象を創造的持続として把握する新しい批評方法を確立。コトバンク:チボーデfr:Albert_Thibaudet
  3. ^ 子だくさんな家庭の次子として誕生したが,長子が幼児に死亡したため実質的に長男の役割を負った。(哲学の歴史8 2007, p. 243)
  4. ^ ラニョーが政治から距離を置いたのはラシュリエの影響だろうとアランは書いている(『思い出』42頁)
  5. ^ アランは母親没後のラニョーについて「分かっていたのは、母親が死んでからは女中一人を置いたきりの生活であったことで、たいていは寝ているか、生に近い半熟の卵または野菜の裏ごしなどの粗末な食事をとっていた」と回想している(『思い出』12頁)
  6. ^ ラニョーが『神についての講義』を行ったのはこの年かその次の年である。レオン・ルテリエ参照
  7. ^ 「立派な精神をもった人は、その申し立てるべき異議を見つけようとさえもしないのだ」(アラン,『思い出』.24頁)
  8. ^ そのため修辞が得意なアランは時として叱責を受けたという.『思い出』.6頁、134-135頁.
  9. ^ アランはルテリエがとった『神についての講義』ノートを読んだとき「そこには確かに先生の印が刻まれていたが、私が生徒の時の記憶にはなかった何か抽象的で、砂漠を思わせるものがあった」と感想を漏らしている(『思い出』.61頁)
  10. ^ 川口は翻訳の訳注で、「享受の断念こそが真の「高次の享受」だというラニョーの見方」は後生のラカン「享受」論(<セミネール>20『アンコール』)へと受け継がれている、と評している。『哲学の歴史8』(2007年)。pp.249-251.
  11. ^ このエピソードはメルロ・ポンティが講演「哲学をたたえて」の中で哲学者と行動について語った中で触れている。M.メルロ=ポンティ 著、滝浦静雄、木田元 訳『眼と精神』みすず書房、1966年、247頁。ISBN 978-4622019329 
  12. ^ 「この驚くべき言葉」とアランは書いている。同.73頁
  13. ^ 同書の別ページでは「思想という事実しかない。それが思想なのだ」と訳されている。(『ラニョーの思い出』, p. 139)
  14. ^ 「このラニョーの定式は(わたしは他の多くの定式の中で、とくにこれを思い出す)わたしを俗流観念論からまもってくれた。というのも計量は世界の素材のようなものであり、まさに計量によってこそ、世界はわたしに依存することをやめるからである」アラン著作中1『思索と行動のために』28頁
  15. ^ アランが「勇気について無比の師」と称えるラニョーから受けたこの言葉に”まことに虚空に身を躍らせる思いがある”と67歳になったアランは述懐している。(『思索』.174-175頁)
  16. ^ この号を読んだベルクソンは「ラニョーの論文は哲学者たちに深い印象を与えるでしょう。」と手紙に書いた。(合田正人 2014, p. 91)

出典

  1. ^ 1.アラン『ラニョーの思い出』中村弘訳,筑摩書房、1980年. 5頁,78頁 (※以下『思い出』)2.「わたしはどこまでもかれの弟子、忠実な弟子だった」<アラン著作集8 -わが思索のあと>田島節夫訳、白水社、1960年。88頁. (※以下『わが思索』)
  2. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 152, 巻末解説<ラニョーとアラン>白井成雄.
  3. ^ 出典仏版Jules Lagneau(18 juin 2015 à 11:16)ヴォワレイ弁護士についてはfr:Charles François Woirhaye( 9 avril 2015 à 21:50 Nicolas8241)およびBiographies。ヴォワレから表記を変更した理由:ヴォワレで検索すると同音にVoileという化粧水があり、woir = voir、haye = haie, aie [ɛ]の発音記号に近いヴォワレイを採用した)
  4. ^ 田邉正俊「文化をめぐるニーチェ」第一節
  5. ^ 合田正人 2014, p. 88-89.
  6. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 31.
  7. ^ 白井成雄(1980).156頁
  8. ^ fr:Jules_Lagneau
  9. ^ a b 白井成雄(1980年).157-158頁
  10. ^ (1859年生まれ,1940年没)リセの文学教授。高等師範学校ではベルグソンと同級生。(参照:吉井亮雄「1922年のポンティニー旬日懇話会 : ジッドのポール・デジャルダン宛未刊書簡」『Stella』第19巻、九州大学フランス語フランス文学研究会、2000年9月、127-140頁、CRID 1390572174716064640doi:10.15017/10029hdl:2324/10029ISSN 0916-6599 )
  11. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 97.
  12. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 121.
  13. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 28-29.
  14. ^ 1.『思い出』(注二),148頁.(『』の部分) 2.『思索と行動のために-哲学概論-』(「アラン著作集1」)中村雄二郎訳。第一部第四章補説.16頁(※以下,『哲学概論』)
  15. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 27.
  16. ^ アランはラニョーの手紙を一つの特別な袋に入れて全部保存していた.(『思い出』〔書簡〕訳注/188頁)
  17. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 186.
  18. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 58.
  19. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 25.
  20. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 14.
  21. ^ 『哲学の歴史 8』。p.251
  22. ^ 1.『思い出』.37頁。2.『思索と行動のために-哲学概論-』(「アラン著作集1」)第一部第四章補説。中村雄二郎訳.43頁.(小林秀雄訳『精神と情念に関する八十一章』は改訂版ではなく初版を使っているためこの補説部分はない)
  23. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 38.
  24. ^ S・ペトルマン『シモーヌ・ヴェイユ詳伝 II』(新装版).136頁
  25. ^ 筏圭司 1982, p. 4.
  26. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 56.
  27. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 26.
  28. ^ a b 『ラニョーの思い出』, p. 27
  29. ^ a b 『ラニョーの思い出』, p. 14loc=訳注 二
  30. ^ 同.90頁
  31. ^ 同.116頁
  32. ^ 〔アラン著作集8「わが思索のあと」、田島節夫訳、1960年.(以下、連続していない時は『思索』)〕29頁
  33. ^ 同.103頁
  34. ^ 同.128頁
  35. ^ 同.177頁
  36. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 122.
  37. ^ 同〔訳注一〕(中村弘).147頁
  38. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 50.
  39. ^ シモーヌ・ペトルマン『詳伝 シモーヌ・ヴェイユI』杉山毅訳.65頁。「ラニョーは判断における意思を論じたあの論争について、見かけを克服することができた。「形式においてはスピノザが正しい。内容においてはデカルトが正しい。」いとも簡単なこのことばがいまもなお、ラッパの音のように響いてくる」〔アラン著作集8「わが思索のあと」、田島節夫訳、1960年.(以下、『思索』と略す)〕.175頁。
  40. ^ (合田正人 2014, p. 93),(※以下、連続していない時は (合田正人 2014)
  41. ^ a b 同.94頁
  42. ^ 同.p.95
  43. ^ 『ラニョーの思い出』, p. 101.
  44. ^ a b 合田正人 2014, p. 98
  45. ^ 同.p.169. 杉村靖彦訳(2003)
  46. ^ 同.p.178 杉村靖彦訳(2003)
  47. ^ 合田正人 2014, p. 91.


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