哲学教育
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哲学教育(てつがくきょういく、英: Philosophy education)とは、哲学の学習・教育実践、およびそれに関する学術的研究を指す言葉である。教育哲学や教育に関する哲学的研究一般とは異なるので注意すること。
- ^ Pfister 2010, pp. 119–135
- ^ UNESCO Human Security, Democracy and Philosophy Section, Social and Human Sciences Sector (2009) (PDF). Teaching Philosophy in the Arab Region. Paris: UNESCO Publishing. pp. 22, 34–35. SHS/PH/2009/PI/ARB 185218
- ^ Pfister 2010, pp. 137–150
哲学教育
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ラニョーの授業は、哲学の概論や知識を教えるより、自ら考えさせることに重きをおいた。「私には、諸君の代りに考えることも、諸君の代りに決心することもできないのだ」。 ラニョーは教室にある概論書の棚に鍵をかけ、さまざまな問いを生徒に投げかけて自分の頭で考えさせた。ラニョーの授業スタイルは概論を知識として提供するのではなく、特定の哲学的題材に限定して思索を深めさせていく(『一つの思想の中にはすべての思想が入っている』)というもので通常の学校授業とかなり異なっていて批判にも晒されたという。「議論が苦手で、結論が得意だった」ラニョーは抗弁することもなく、ただ黙々と自分のスタイルでの講義を続けた。。最期の闘病中にラニョーがアランへあてた手紙がある。『親愛なるシャルティエ君、常に、何事にもおだやかに対し、しかも筋を曲げないようにしなさい。これが我々が他人に役立つ唯一の仕方ですし、又、哲学者の真の姿なのです。』(1894年4月2日)。 ラニョーが授業を行う上で重要視したのは「反省」と「悟性」で、嫌ったのは「修辞」であった。「知覚」と「判断」以外は決して論じられなかった、とアランは書いているが、学年下のレオン・ルテリエは「神」を論じた授業を受けている。断片」と呼ばれる難解なメモが講義用のものだとすれば、長く教師を務めたラニョーは毎年主題を変えて授業していたと想像することも可能である。 アランは「ラニョーは、決してモラルを論じなかった。」とも書いている。「おそらくは、言葉によるモラルは易きにすぎると考えていたのだろう」。別の箇所でアランは、「ラニョーが何故モラルを一度も取り扱わなかったのかが分かった。考えることを学べば、それで十分なのだ。」とも記している。 しかし『哲学の歴史』第8巻で執筆者のひとり川口茂雄は「ラニョーの知覚論は、ある側面で、精神をその怠惰から揺さぶり起こし、みずからが漠然と感じ、受け取っている物事への責任に目覚めさせるという」「ある種の哲学的な「倫理」を示唆する面をもつものとなる」との考えを示し、時にそれは「生徒たちの胸を打つ」表現として現れるとしてラニョーの言葉を翻訳している。 真の行為とは、自然の傾向に抗う行為、エゴイズムに抗う行為である』『快(プレジール)を追い求め 努力(エフォール)を避けること、そこにエゴイズムがある。だが、苦痛の受け入れでないような行為は行為ではない。行為するとは、それゆえ自然の掟を受け入れることである。つまり努力と苦痛を受け入れることで、存在を展開することであり、存在の直接的[現勢的]な享受(ジュイサンス)を断念することである。』『行為とは、根本において享受への無関心、否定、断念である。苦闘と努力を受け入れることである』『生(ヴイ)のために生き、生の享楽のために生きるのではないということ、それが生きることである。生の享楽よりも生そのものを選ぶことである。 寡黙なラニョーは自分のためには動かなかったが生徒の事になると断固たる行動力を持っていた。彼のクラスで首席の生徒がソルボンヌ大学を受験したとき、幸運にも最も得意のテーマが出たがひどい評価で不合格にされた。翌日アランが学校で偶然ラニョーに出会うと彼は、今からソルボンヌへ行く、「シャルメ(落とされた生徒)に、明日の口頭試験には合格するからと言っておいてくれ給え」と伝言を頼んで出掛けていった。アランがシャルメに「明日、君は口頭試験に受かるそうだ。そう言ったのはラニョーなんだ。」と伝えると彼は「うん。それはよかった。」とだけ答え、次の日、彼は合格した。ラニョーは一介のリセ教師だったがアカデミーからも一目置かれていたのである。 ラニョーの授業の中でアランを哲学に目覚めさせたのが「盲人の問い」である。 『生まれながらの盲人が、数日間の間隔をおいて順番に両眼が見えるようになったときに、かれが外界からうける印象はどんなものか』 このような問いを含む知覚についての講義が3ヶ月続くなかで、"外観"とはなにか、"表面"とはなにか、"表象"とはなにか、といった事が繰り返し問われ、例えばアランは「その果てしない仕事を目の前にしてぞくぞくするような喜悦」を覚え、白い原稿用紙を前に「盲人が不十分な言葉で言おうとすることを、当の盲人に向って言うことだけに専念した」という。アラン同様ラニョーに尊崇の念を抱いていたシモーヌ・ヴェイユもまた教師時代にこの問いを生徒たちに与えている。
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