F1エンジンの歴史とは? わかりやすく解説

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F1エンジンの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 07:38 UTC 版)

フォーミュラ1カー」の記事における「F1エンジンの歴史」の解説

こちらの出典参照最初期にはスーパーチャージャー搭載したエンジンがあったが、燃費の悪さなどから自然吸気エンジンに取って代わられた。1950年代後半には、コヴェントリー・クライマックスエンジン供給開始FPFエンジンFWMVエンジンなど多くチーム供給された。しかし、1966年排気量1.5 Lから3.0 Lに倍増されたのを機にF1から撤退してしまう。 クライマックスがF1から撤退した後、フォード・コスワース・DFVエンジン1967年デビューしたこの年ロータス独占供給されていたが、翌年以降ロータス以外にも市販され1970年代まで自然吸気エンジン(またはDFVエンジン)の独擅場となったDFVエンジンデビュー前後してエンジンのストレスメンバー化が進行していった。ホンダ初めてF1に持ち込んだ設計である。従来では、後車付近まで伸びたモノコックにリヤサスペンションを取り付けていたが、それを直接エンジンシリンダーブロックギヤボックス取り付ける方法考案された。そうすることで、余分なモノコック構造削減することで軽量化ができるようになったその分エンジンシリンダーブロック負担がかかることになったので、シリンダーブロック強度がより求められるようになったホンダRA168E1.5 L V6ターボエンジン1988年BMW M12/131.5 L 直4ターボエンジン1982年 - 1988年1977年ルノーターボエンジン携えて参戦開始した参戦初期トラブル多発し黄色車体エンジンブロー様子から「イエローティーポット」と揶揄されたが、1979年初優勝獲得する。これ以降ターボエンジン優位性に気づいた他陣営挙ってターボエンジン開発するフェラーリ1981年BMW1982年ポルシェ1983年ホンダ1983年など)。1980年代後半にはほとんどのマシン搭載されていた。わずか1.5 Lの排気量で1,000〜1,500馬力オーバー出力まで発生させたが、1988年いっぱいターボエンジン一度禁止される1989年以降自然吸気エンジンのみとなり、排気量3.5 L以下であったシリンダー配置には、シャーシとのマッチング考慮したV8フォードジャッド)、エンジン出力優先したV12(フェラーリランボルギーニ)、双方中間であるV10ルノーホンダ)が出現する1994年サンマリノグランプリ起こったドライバー死傷事故受けて1995年からは3 Lに縮小されこの年限りでV12エンジンはF1から姿を消した1998年には、前年までV8エンジン供給していたフォードハートV10エンジン供給切り替えたため、F1に出走する全車V10エンジン搭載することとなった(後述のとおり、最終的に2000年レギュレーションエンジン形式V10統一された)。2006年には、最速速度の向上、ラップタイム短縮歯止めをかけるため、排気量が2.4 L以下で8気筒制限された。2007年以降資金負担軽減目的エンジン開発凍結された。その後2009年にはブレーキング時エネルギー回収蓄積し再利用するKERS導入され2014年レギュレーション改定に伴い運動エネルギー回生加えて排気ガスから熱エネルギー回生することもできるERS発展前者MGU-KMGUMotor Generator Unitの略、KはKinetic運動)の略)、後者はMGU-H(HはHeat(熱=排熱エネルギー)の略)と称される。これに加えてバッテリー (Energy Store, ES)、電子制御装置Control Electronic, CE)、ターボTurbo Charger, TC)、排気量1.6 LのV6エンジンInternal Combustion Engine, ICE)の各コンポーネント構成された「パワーユニット」(Power Unit, PU)が供給されるようになった。これにより、1988年以来途絶えていたF1におけるターボエンジン復活したエンジン使用基数に関しては特に制限設けられていなかったことから、トップチーム中には予選だけにパフォーマンス耐久性の的を絞った予選エンジン」を使用するチームもあった。しかし、2003年エンジン交換制限皮切りにエンジン使用について制限設けられるようになった。まず、2003年についてはフリー走行制限はなかったが「予選決勝同一エンジン走行すること」という規定導入され2004年にはフリー走行から決勝終了までの1レースを1エンジンのみでの運用2005年から2008年の間は、2レースを1台のエンジンのみで運用する規定導入された。2009年から2013年までテスト含めた1年間使用できるエンジン台数テスト含めて1チーム20台に規制されその内容ドライバー1人あたりレース用に8台、残り4台はテスト用として割り当てられた。ただし、レース用のエンジン2008年まで使用義務廃止されており、交換タイミングチーム側にゆだねられている。しかし、2014年PU型式となってからは、使用制限はより厳しくなり、テスト例外となったが、シーズン使えるPUに関しては、2014年年間5基、それ以降年間4基となった(ただし、2015年はその年復帰したホンダのみシーズン途中から特例2015年限り5基使用することが許可された。また、2016年21戦に増えたため全車5基となっている)。2018年以降はさらにICETC、MGU-Hが年間3基、ESCEMGU-K年間2基まで削減されるまた、1つPU最低限使用義務はないものの、ペナルティ回避目指す場合事実上1つエンジン複数レースを走ることが事実上義務化された。 当初降格グリッドに応じて決勝スタート順位が決まる仕組みとなっていたが、同一GPにてフリー走行予選それぞれ交換した場合降格グリッド数の合計値100超えるケース発生したうえ、グリッド数が膨大な数字となるうえ、PU交換申請したタイミング順位の変動もあり、決勝スタート時順位混乱生じた。それを受け、2018年以降は各コンポーネント使用制限超えた場合1つ目のコンポーネント予選順位から10グリッド降格2つ以降は5グリッドずつ降格だが、降格グリッド数が15超えた場合予選順位関わらず最後尾からのスタートになるという規定変更された。ところが、2018年に関してはこの規定不備発生することとなったこの年2人上のドライバー最後尾スタート条件該当した場合該当者がコースインした順番に応じて最後尾スタート指示される仕組みであったため、先にコースインできれば最後尾回避できる仕組みとなってしまったため、少しでも前のグリッド手にするべく、フリー走行1回目開始数十分前からピットレーン出口マシンが並ぶという異様な光景複数発生した。そのため、2019年以降最後尾スタート指示されても予選結果決定されることになった当初、MGU-Hについては故障が最も多く発生し多数ドライバーがグリッドペナルティを受ける大きな原因となっていた他、構造が複雑過ぎることで開発困難さコスト問題視されていたため、2017年ごろに2020年をもって廃止される計画建てられたが、時のエンジンメーカーが反対したため計画撤廃され2024年までは2014年エンジン形式存続される形となったエンジン規定変遷年度自然吸気(NA)過給器備考1950-19514.5 L 1.5 L 1952-19532.0 L 0.5 L F2規定により争われた 1954-19602.5 L 0.75 L 1961-19651.5 L - 1966-19853.0 L 1.5 L 1972年から最大気筒数が12となる1981年から4ストロークエンジンのみ 1986- 1.5 L 1987-19883.5 L 1.5 L 1989-19943.5 L - 1995-20053.0 L - 2000年からV10統一 2006-20132.4 L - V8のみ 2014-2024(予定)- 1.6 L 直噴V6シングルターボのみ

※この「F1エンジンの歴史」の解説は、「フォーミュラ1カー」の解説の一部です。
「F1エンジンの歴史」を含む「フォーミュラ1カー」の記事については、「フォーミュラ1カー」の概要を参照ください。

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