F1コンストラクターの一覧
(F1コンストラクター から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/28 22:42 UTC 版)
F1コンストラクターの一覧(F1コンストラクターのいちらん)では、1950年に始まった、FIA F1世界選手権に参戦したことのあるコンストラクターを一覧する。
注釈
- ^ 表記の記録はウルフに買収されるまでのウィリアムズ(フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ)を「ウィリアムズ(旧)」とし、現在のウィリアムズ(ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング)の記録に含めていない。F1公式ホームページ内「Teams」内でも初参戦年を現在のウィリアムズがコンストラクターとして参戦を開始した年である1978年(チームとしては1977年から参戦を開始していたが、同年はマーチのマシンを購入して参戦していた)としている。
- ^ 2024年にアルファロメオから名称変更。チーム名は「ステークF1チーム」(広告規制に抵触する一部のレースは「キックF1チーム」で参加)。 “2024年、ザウバーは”ステークF1”として活動へ。新しいチームロゴを元旦に発表”. motorsport.com (2024年1月2日). 2024年1月12日閲覧。
- ^ F1公式ホームページ内「Teams」内では初参戦年をザウバーによる1993年としている。また勝利数などの記録はザウバー及びBMWザウバーの通算。 “Kick Sauber - F1 Racing Team”. formula1.com. 2024年1月12日閲覧。
- ^ 2006-2009年はドイツ国籍
- ^ F1公式ホームページ内「Teams」内では初参戦年をスチュワートによる1997年としている。また勝利数などの記録はレッドブルとなって以降のものとしている。 “Red Bull - F1 Racing Team”. formula1.com. 2024年1月11日閲覧。
- ^ 2005-2006年はイギリス国籍
- ^ F1公式ホームページ内「Teams」内では初参戦年をティレルによる1970年としている。また勝利数などの記録は2010年以降のものとなっており、1954-1955年の記録は含めていない。 “Mercedes - F1 Racing Team”. formula1.com. 2024年1月11日閲覧。
- ^ 1954-1955年
- ^ F1公式ホームページ内「Teams」内では初参戦年を「レーシング・ポイント・フォース・インディア」となった2018年としている。また勝利数などの記録はそこからのものが通算されており、フォース・インディア以前の記録、過去のアストンマーティンの記録はそれぞれ含まれない。 “Aston Martin - F1 Racing Team”. formula1.com. 2024年1月11日閲覧。
- ^ F1公式ホームページ内「Teams」内では初参戦年をベネトンによる1986年としている。また勝利数などの記録は2002-2011年、2016-2020年のルノーによる記録が通算されている。 “Alpine - F1 Racing Team”. formula1.com. 2024年1月11日閲覧。
- ^ 2024年にアルファタウリから名称変更。チーム名称は「ビザ・キャッシュアップ・RB・フォーミュラ1チーム」。 “アルファタウリ、新F1チーム名「Visa Cash App RB」発表!新車カラーは2月8日にお披露目”. Formula1-Data (2024年1月25日). 2024年1月25日閲覧。
- ^ FIAのサイトに記されている2024年1月25日時点のエントリーリストより。 “2024 FIA Formula One World Championship Entry List”. Federation Internationale de l'Automobile (2024年1月25日). 2024年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月25日閲覧。
- ^ F1公式ホームページ内「Teams」内では初参戦年をミナルディによる1985年としている。また勝利数などの記録はミナルディ、トロ・ロッソ、アルファタウリのものも通算されている。 “RB - F1 Racing Team”. formula1.com. 2024年1月26日閲覧。
- ^ 1950年から1960年まではF1世界選手権のシーズンに形式上組み込まれていた
- ^ 南アフリカグランプリ参戦用に地元出身のピーター・デ・クラークがLDSのダグ・セルリエの協力を仰ぎ制作し、アルファロメオ・ジュリエッタの直列4気筒エンジンをチューニングしたことで「アルファ・スペシャル」を名乗っただけであり、アルファロメオ社との関係はない(F1全史 1961-1965(ニューズ出版)P.69)。
- ^ 2010年はイギリス国籍、2011年はロシア国籍。
- ^ 1973-1975年はアメリカ国籍、1976-1980年はイギリス国籍。
- ^ 1986-1995年はイギリス国籍、1996-2001年はイタリア国籍。
- ^ 2012-2014年はロシア国籍、2015年はイギリス国籍。
- ^ 2011年のみイギリス国籍。
- ^ これ以外に1967-1968年はホンダとシャシーの共同開発を行った。
出典
- 1 F1コンストラクターの一覧とは
- 2 F1コンストラクターの一覧の概要
- 3 参戦コンストラクター一覧
- 4 参照文献
F1コンストラクター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/18 07:55 UTC 版)
「ウォルター・ウルフ」の記事における「F1コンストラクター」の解説
ウルフは熱狂的なランボルギーニ・マニアであり、当時経営状態が安定していなかったランボルギーニの経営に乗り出そうと計画したほどであった。その後ウルフはモータースポーツに参入、最初はフランク・ウィリアムズのフランク・ウィリアムズ・レーシングカーズに資金援助を行った。 その後チームの実権はウルフのものとなり、ウィリアムズは1977年にチームを離脱、ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリングを設立した。チームは「ウォルター・ウルフ・レーシング」と名称を変更し、1977年には3勝を挙げた。しかしチームは徐々に戦闘力が低下し、1979年にはコパスカーに吸収される形で消滅した。
※この「F1コンストラクター」の解説は、「ウォルター・ウルフ」の解説の一部です。
「F1コンストラクター」を含む「ウォルター・ウルフ」の記事については、「ウォルター・ウルフ」の概要を参照ください。
- F1コンストラクターのページへのリンク