F1グランプリ実況
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F1(番組名『F1グランプリ』)の実況は1988年から1998年まで担当した(関西テレビ枠。現在は存在しない)。実況開始当初はハンガリーGP、メキシコGP、カナダGPなど、日本からは遠隔地であったり時差が大きかったりする国を多く担当させられていたが、その後はモナコGPなど、日本GP以外の主要なレースも担当するようになった。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}当初の実況はオーソドックスなスタイルだったが、後に比喩法や独自表現を使用するようにもなった[要出典]。馬場はフジテレビが実況中継を開始する1987年以前よりF1ファンであり、好きなマシンはロータス・78であったと語るなど1970年代や1980年代前半期のF1にも詳しい。 1990年にはアイルトン・セナが日本GP直前に開催されたスペインGPでシリーズチャンピオンを決めそうになったため、日本GPまでチャンピオン争いをもつれ込ませたいフジテレビのスタッフが、スペインGPの会場であるヘレス・サーキットに馬場の顔写真を国際ファックスしてもらい、実況ブースに貼って放送した(このレースの実際の実況担当者は三宅正治)。さすがにセナが所属するマクラーレンのエンジンサプライヤーのホンダ関係者から「悪ふざけが過ぎる」と苦言を呈された。このレースでセナは水漏れでリタイア、結局フェラーリの1-2フィニッシュだった。 1992年はホンダがF1からの撤退を表明。ホンダエンジン最後の出走となるオーストラリアGPの実況を担当。当初はウィリアムズのナイジェル・マンセルとマクラーレンのアイルトン・セナによる一騎打ちの様相だったが、中盤でマシン同士の接触により両者は共にリタイア。その後、セナのチームメイトであったゲルハルト・ベルガーが後方より猛追していたベネトンのミハエル・シューマッハを抑え込み優勝した際には、「ホンダエンジン最後のレース、見事ゲルハルト・ベルガー勝利で飾りました!ありがとうゲルハルト!!」と喜びを爆発させ、ホンダ最終レースを優勝へ導いたベルガーに最大の賛辞を贈った。 馬場とベルガーには奇妙な縁があり、アイルトン・セナとアラン・プロストを有し常勝チームだったマクラーレンが16戦中、唯一優勝を逃した1988年イタリアグランプリや、ベルガーのF1キャリア最後の優勝となった1997年ドイツグランプリなど、通算優勝10回のうち5回は馬場が実況を担当したレースでの優勝だった。 中継初期から携わってきた関係や人柄から中嶋悟の信頼が厚く、中嶋が近畿大学で講演した際には自身の話下手を補うため、聞き手として呼ばれたことがある他、現在でもプライベートで交流を続ける仲だという。 関西テレビ退職後の2010年11月より、CS放送のフジテレビNEXTにて放送されている『F1 LEGENDS THE BEST GP '89-'90』において、当時の国際映像を基に解説者の今宮純と共に当時を振り返りながら改めてレース実況を行っている。 2013年からBSフジ制作のF1中継番組で15年ぶりに実況を行う。
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