ステファンGPとは? わかりやすく解説

ステファンGP

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/11 21:04 UTC 版)

ステファンGP(STEFAN GRAND PRIX)は、セルビア国籍のレーシングチーム。2010年代F1世界選手権参戦を計画したが実現しなかった。

概要

母体企業はセルビアを拠点に航空宇宙軍事分野のハイテクエンジニアリングを行うAMCO[1]。それまでに具体的なレース活動の実体は無く、フォーミュラ・フォードスポーツプロトタイプギアボックスなどの生産歴はあった。同社CEOのゾラン・ステファノヴィッチがチームオーナーを務める。

なお、後述のF1エントリー過程で、AMCOの企業プロフィールに虚偽内容があると報道された。同社はドイツ空軍の無人機の開発を行い、欧州宇宙機関 (ESA) の人工衛星打ち上げロケットアリアン5にも技術供与したと説明していたが、新聞報道ではこれらの実績はなかったとされる[2]。この記事に関して、AMCOとステファンGPは事実無根かつ憶測と誤訳によるものと反論した[3]

2011年以降、ステファンGPの活動に関する情報は途絶えており、チームの公式サイトも閉鎖された。F1参戦が実現していれば、東欧圏初のF1チームとなるはずだった。

2010年参戦計画

トヨタとの提携

2009年シーズン終了後にトヨタがF1撤退を表明。先行き不透明になったTMGファクトリーの引き受け先としてステファンGPの名が浮上した。国際自動車連盟(FIA)は2010年よりザウバーのエントリーを認めており、コンコルド協定に定められた13チーム・26台の出走枠が既に埋まっている状況であったため、同チームの参戦が実現する可能性は低かった。

しかしオーナーのステファノヴィッチは、ザウバーのエントリー決定後もTMGを訪れ首脳陣との会談を行い[4]、TMGが既に開発を進めていた2010年用マシンTF110のデザイン等に関する権利を譲り受け、2010年より参戦を開始するとの姿勢をアピールした[5]。2010年1月29日にはTMGとの間での技術提携に基本合意したと発表した[6]。当面チームはドイツ・ケルンの旧TMGの施設を本拠地とするが、2010年中にセルビア国内に拠点を設ける予定であると語った[7]

2010年に新規参戦予定の4チーム(ロータス・レーシング(後のケータハム)、カンポス・グランプリ(後のHRT F1)、ヴァージン(後のマルシャマノー)、US F1)の幾つかは財政的に存続が危ぶまれていた。ステファンGPが準備を推進した背景には、シーズン開幕までに脱落者が出て、エントリー枠が空くであろうという思惑があった。

マシンについては、2009年12月29日に自社製マシンの「S-01」がFIAのクラッシュテストを通過したと発表した[8]。搭載するエンジンは「Stefan RG-01」と発表され、チームからのリリースでも「TMGから供給を受ける」と明記した[9]

ドライバーについては、ウィリアムズのシートを失った中嶋一貴の起用を明言していたほか、元チャンピオンのジャック・ヴィルヌーヴとも契約交渉を進めていることを明らかにし、シート合わせも行っていた[7]

チームはS-01を用いたテストを行う計画を明らかにしたが[9]、正式エントリーを認められていないことから、F1のタイヤ供給を担当するブリヂストンがタイヤ供給に難色を示し、結局は公式なテストは実現しなかった[10]

2010年2月2日には開幕戦が行われるバーレーン・インターナショナル・サーキットに資材を送り込むとに公表し、2月28日に同サーキットに機材、コンテナ等の全てのレース用資材が到着したと発表した[11][12]

US F1との交渉

しかし、正式な参戦権が未だに与えられていなかったため、2月中旬頃より他チームとの合併による参戦権獲得を画策し始める。その結果、開幕から4戦の欠場許可を申請する[13]ほど資金難が深刻化していたUS F1が交渉ターゲットに浮上した。この背景にはFIA側のUS F1に対する解決策が模索されていた事もあった[14]。合併交渉の協力者として、US F1側の投資家でもあるYouTube創設者チャド・ハーリーの協力下によって交渉が行われたが、結局はこの交渉は2月25日に決裂した[15]

その後もUS F1チームの参戦が危ぶまれていたため、同チームが自主的ないし強制的に参戦取り消しになることを想定し、US F1が所持していた参戦権がステファンGP側に何らかの形で譲渡されることを期待した。しかし、3月3日に発表された最終エントリーリストにステファンGPの名はなく、2010年参戦の夢はかなわなかった。FIAの公表見解では「USF1チームは、2010年FIA F1 世界選手権に参戦できる立場にないことを示した。FIAは様々な選択肢を検討し、このような遅い段階で代替チームをチャンピオンシップに参戦させることはできないことを認める」とし、US F1からの参戦権返還からステファンGPの参戦申請承諾までのプロセスがあまりにも短すぎて実質不可能であると説明した[16]。参戦計画の為に支援を行っていたトヨタとの提携も正式に終了した[17]

その後も、ステファンGPは参戦計画を諦めず、参戦権ごとUS F1を買収することに合意したと伝えられた[18]。しかし、FIAはUS F1の参戦権自体が無効化されたとの見解を示した[18]。4月にはUS F1が事実上活動停止し、この計画も消滅した。

2011年参戦計画

チームは2010年のエントリーが不調に終わってからも活動を継続し、2011年シーズンからの参戦を目指すと発表した。その際、ベオグラードから25kmにある都市に「ステファンテクノロジーパーク(Stefan Technology Park)」というチーム本部とF1などの国際レースを行えるサーキットの建設計画を発表した[19]。サーキットは1周3538.57mの右回りで、16のコーナーと5つのストレートで構成され、ホームストレートは807.21mとしている[20]

同チームはF1レギュレーションに定められたテスト規制の対象とならず、シーズン中も自由にテストを行えるため、メディアではF1への参戦を希望する若手ドライバーにテストの機会を与えることで運営資金を獲得すると以前から報じていたが[21][22]、この場合には先述のようなタイヤ供給問題が残る[10]

2010年参戦がならなかった理由のひとつとして、2007年の機密漏洩スキャンダル(スパイゲート)でマクラーレンから解雇されたマイク・コフランを雇用していたことも挙げられた。2011年向け計画発表とともに再開された公式HPのチーム紹介写真[23]では、コフランの姿が消されており[24]、後にコフランのウィリアムズ加入が発表された。

チームは2011年の新規参戦枠にエントリーしたが、8月に申請を取り下げた。FIAがエントリー決定を7月から9月に先送りしたため、来季に向けての開発期間がとれなくなったことを理由としている[25]。その後、HRTの買収を目指す企業グループにステファノヴィッチが関与するとも噂された[26]

その後の参戦計画

2014年、ステファノヴィッチは翌2015年からの新規参入を目論むも、エンジン契約を確保できなかったため断念し[27]、資金難に陥っていたマルシャF1チームの買収[28]も進展しなかった。

2017年7月、イタリアパルマに拠点を置き、2019年から参戦する計画を明らかにした[29]。かつてウィリアムズフェラーリで空力エンジニアを務めていたエンリケ・スカラブローニを起用し、風洞施設の使用にも合意していたが、翌2018年8月にF1のモータースポーツディレクターを務めるロス・ブラウンは「来年もチーム数は同じ(新規参入チームはない)」と語り、計画は実現しなかった[30]

脚注

  1. ^ “ステファンGPとは”. F1-Gate.com. (2009年12月27日). http://f1-gate.com/stefangp/f1_5947.html 2012年2月28日閲覧。 
  2. ^ Second Wind (2010年3月7日). “FIA、ステファンGPの参戦も認めず(3/4)”. OCNスポーツ. http://sportsnews.blog.ocn.ne.jp/column/motor100309_1_3.html 2012年2月28日閲覧。 
  3. ^ Second Wind (2010年3月7日). “FIA、ステファンGPの参戦も認めず(4/4)”. OCNスポーツ. http://sportsnews.blog.ocn.ne.jp/column/motor100309_1_4.html 2012年2月28日閲覧。 
  4. ^ News 22/12/2009 - Stefan GP Archived 2010年2月2日, at the Wayback Machine.
  5. ^ 東京中日スポーツ・2009年12月24日付 18面
  6. ^ News 29/01/2010 - Stefan GP Archived 2010年2月1日, at the Wayback Machine.
  7. ^ a b ステファンGP、ドライバーとマシンを語る - F1-Gate.com・2010年2月19日
  8. ^ StefanGP announce that our car Stefan S-01 successfully pass crash tests
  9. ^ a b News 02/02/2010 - Stefan GP Archived 2010年2月5日, at the Wayback Machine.
  10. ^ a b ステファンGP、GP2タイヤも使用できず - F1 TopNews・2010年2月25日
  11. ^ News 02/02/2010 - Stefan GP Archived 2010年2月5日, at the Wayback Machine.
  12. ^ News 28/02/2010 - Stefan GP Archived 2010年3月3日, at the Wayback Machine.
  13. ^ USF1、開幕4戦の欠場を求める - F1-Gate.com・2010年2月2日
  14. ^ FIA USF1との解決策を模索 - GP Update・2010年2月22日
  15. ^ ステファンGPとUSF1の合併交渉は決裂 - F1-Gate.com・2012年2月28日
  16. ^ FIA、USF1の参戦中止を正式発表 - ステファンGPのエントリーも非承認 - F1 Gate.com・2010年3月4日
  17. ^ ステファンGP、トヨタとの提携終了を正式発表 - F1 Gate.com2010年3月22日
  18. ^ a b ステファンGP、USF1の買収に合意 F1 Gate.com2010年3月20日
  19. ^ ステファンGP、2011年のF1チーム計画を発表 - F1 Gate.com・2010年4月24日
  20. ^ SGP - Stefan Grand Prix Archived 2010年4月26日, at the Wayback Machine.
  21. ^ ステファンGP、F1テストのビジネス化を狙う - F1 TopNews・2009年12月30日
  22. ^ ステファンGPの新型車はS-01 - ESPN F1・2009年12月31日
  23. ^ チーム紹介写真 -Stefan GP Archived 2012年1月25日, at the Wayback Machine.
  24. ^ 以前の同写真では、ステファノビッチがテーブルから離れた左に立っていて、テーブル左奥にはコフランが椅子にかけて写っていた。すなわち、ステファノビッチの姿を切り取りテーブル沿いに貼り付け、コフランを消したことになる(さらに言えば、切り取ったステファノビッチの部分が分からないよう、写真左部分をカットした)。
  25. ^ ステファンGP 「FIAの決定は遅すぎた」 - F1-Gate.com・2010年9月17日
  26. ^ ステファンGP、ヒスパニア・レーシングを買収? - F1-Gate.com・2010年9月21日
  27. ^ ゾラン・ステファノビッチ、エンジン契約を確保できずF1参戦を断念”. F1-Gate.com (2014年3月27日). 2018年8月13日閲覧。
  28. ^ ステファンGPのゾラン・ステファノビッチ、マルシャの買収を目指す”. F1-Gate.com (2014年3月24日). 2018年8月13日閲覧。
  29. ^ 【F1】ステファンGP計画再熱。F1エントリーに本腰か?”. motorsport.com (2017年7月10日). 2018年8月13日閲覧。
  30. ^ ステファンGP、2019年のF1参入は実現せず”. F1-Gate.com (2018年8月13日). 2018年8月13日閲覧。

外部リンク


ステファンGP

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/26 03:15 UTC 版)

マイク・コフラン」の記事における「ステファンGP」の解説

2010年のF1世界選手権への参戦目指していたステファンGPにテクニカルディレクターとして就任した撤退したトヨタTF110ベース作製した自社マシン「S-01」を完成させ、US F1参戦獲得目指していたがついに叶わなかった。その理由様々な要因挙げられたが、それらの不安要素一つとしてコフラン自身存在であったとされ、マクラーレンにおけるスパイゲート事件中心人物であったコフランが再びF1に戻ってくる事に反対した関係者がいたといわれている。 同チーム2011年のF1世界選手権への参戦目指すために新体制整えたが、そのチーム写真にコフランの姿はなかった。この件についてチーム側からリリースは全くされていないものの、コフランは離脱した見られた。

※この「ステファンGP」の解説は、「マイク・コフラン」の解説の一部です。
「ステファンGP」を含む「マイク・コフラン」の記事については、「マイク・コフラン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ステファンGP」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ステファンGP」の関連用語

ステファンGPのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ステファンGPのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのステファンGP (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのマイク・コフラン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS