LEC (F1)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 14:18 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動| 創設者 | デビッド・パーレイ |
|---|---|
| スタッフ | マイク・アール |
| 参戦年度 | 1977 |
| 出走回数 | 3 |
| コンストラクターズ タイトル |
0 |
| ドライバーズタイトル | 0 |
| 優勝回数 | 0 |
| 通算獲得ポイント | 0 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 0 |
| ポールポジション | 0 |
| ファステストラップ | 0 |
| F1デビュー戦 | 1977年ベルギーGP |
| 初勝利 | - |
| 最終勝利 | - |
| 最終戦 | 1977年イギリスGP |
LEC(LEC Refrigeration Racing)は、1977年にF1に参戦していたコンストラクター。 コンストラクターとしての参戦は1977年からだが、1973年にはマーチのシャシーを購入して参戦している。
歴史
1973年、イギリス人ドライバーデビッド・パーレイが自分を走らせるために自らオーナーとなりチームを設立。 チーム名は、彼の実家である冷凍機器メーカーLEC (LEC Refrigeration) の名前に由来する。
この年はマーチ・731を購入して5戦に出場(うち1戦予選落ち)。最高位はイタリアGPでの9位に留まる。翌年、パーレイがトークンへ移籍。その後もパーレイがF2などに活動を場を変えたことから、LECの名はしばらくの間F1から無くなっていた。
1977年にオリジナルマシン「LEC・CRP1」を引っ提げて4年ぶりにF1に復帰。コンストラクターとしての参戦を開始する。チームは第5戦よりエントリーしたものの予備予選を突破できず、1戦欠場後の第7戦ベルギーGPで決勝レース初出走を果たす。そこから3戦連続で決勝に進出するも、最高位はベルギーGPでの13位に留まっていた。
そんな中、第10戦イギリスGPの予備予選にてパーレイが生死を彷徨う大クラッシュを喫してしまう(詳細はデビッド・パーレイ#大クラッシュを参照)。このクラッシュが原因でパーレイはF1からの引退を余儀なくされ、チームもそれに伴い消滅した。
マイク・アールら主要メンバーはオニクス (Onyx) を結成し、F2や国際F3000で活躍。1989年から1990年までF1に参戦した。
F1世界選手権の成績
(key)
| 年 | シャシー | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | ポイント | 順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1973年 | マーチ・731 | コスワース・DFV 3.0 V8 |
G | ARG |
BRA |
RSA |
ESP |
BEL |
MON |
SWE |
FRA |
GBR |
NED |
GER |
AUT |
ITA |
CAN |
USA |
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| Ret | DNS | Ret | 15 | 9 | |||||||||||||||||||
| 1977年 | LEC・CRP1 | コスワース・DFV 3.0 V8 |
G | ARG |
BRA |
RSA |
USW |
ESP |
MON |
BEL |
SWE |
FRA |
GBR |
GER |
AUT |
NED |
ITA |
USA |
CAN |
JPN |
— | 0 | |
| DNQ | 13 | 14 | Ret | DNPQ | |||||||||||||||||||
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出典[1]
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脚注
- ^ Small, Steve (1994). The Guinness Complete Grand Prix Who's Who. Guinness. p. 305. ISBN 0851127029
関連項目
「LEC (F1)」の例文・使い方・用例・文例
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