トークン_(F1)とは? わかりやすく解説

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トークン (F1チーム)

(トークン_(F1) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/29 10:06 UTC 版)

トークン
創設者 トニー・ヴラッソピューロ
ケン・グロブ
スタッフ レイ・ジェソップ
ドライバー トム・プライス
デビッド・パーレイ
イアン・アシュレイ
参戦年度 1974年
出走回数 4(3スタート)
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 0
通算獲得ポイント 0
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1974年ベルギーGP
初勝利 -
最終勝利 -
最終戦 1974年オーストリアGP
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トークン・レーシング (Token Racing) は、イギリスのF1コンストラクター。1974年に4度出走した。

歴史

1973年、F2で活躍したロン・デニスとニール・トランドルのチームであるロンデル・レーシングを母体にF1出走を目論んで設立されたチーム。 デニスはレイ・ジェソップに車体のデザインを依頼した。F2に引き続きモチュールの後援を受ける計画であったが、オイルショックの影響でモチュールが撤退したため、チームは廃業に追い込まれてしまった。 その後、F1のプロジェクトは船舶のブローカーをしていたトニー・ヴラッソピューロとロイズアンダーライターをしていたケン・グロブに売り渡され、2人の姓を取り「トークン」と名付けられ、車体にはジェソップに敬意を表して彼のイニシャルを含めた「RJ02」と命名された。

1974年4月のノンタイトル戦で、ウェールズ人ドライバートム・プライスのドライブでデビュー。選手権レースには翌月のベルギーグランプリでデビューするが、予選20位につけたプライスは66周目にジョディー・シェクターティレルと接触してリタイア。 次戦モナコにもエントリーするが、プライスの経験不足を理由にエントリーを拒否された。その後彼はシャドウに移籍した。

次の3戦を欠場した後、プライスの代わりにデビッド・パーレイを据えて第10戦イギリスグランプリで復帰。しかし予選落ちとなり、パーレイはチームを離脱、代役としてパーレイと同じイギリス人ドライバーのイアン・アシュレイが起用された。 次戦ドイツにおいては予選で最下位となる26位から一時は8位まで順位を上げたが、タイヤトラブルで最終的には14位となった。第12戦オーストリアでは予選24位であったが、ホイールトラブルにより非完走扱いとなった。

その後チームは資金難により解散し、RJ02はイギリスのレースカーコンストラクターであるサフィール社に渡ることとなった。

F1での成績

車体 エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ポイント 順位
1974年 トークン・RJ02 コスワース・DFV V8 F ARG
BRA
RSA
ESP
BEL
MON
SWE
NED
FRA
GBR
GER
AUT
ITA
CAN
USA
0 NC
トム・プライス Ret
デビッド・パーレイ DNQ
イアン・アシュレイ 14 NC

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