M12/13
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 07:11 UTC 版)
「BMW・M12/13エンジン」の記事における「M12/13」の解説
1979年にルノーがターボエンジン搭載車でF1初勝利を挙げると、他社もターボエンジンを相次いで導入し始めた。BMWはブラバムに対し直列4気筒のターボエンジン供給を行うことを決定し、1981年の夏にはテストが行われた。ブラバムチームはこのエンジンを搭載したBT50Dを同年イギリスGPのプラクティスに初めて試験的に出走させた。ターボチャージャーはギャレット製のものが採用された。 本格的に参戦を開始した1982年のエンジンは公称出力570馬力で、ブラバムのみに供給され、BT50に搭載された。実質的な初年度ながら、カナダGPでネルソン・ピケが優勝を挙げた。 1983年には公称出力が640馬力となった。ブラバムのネルソン・ピケが3勝、リカルド・パトレーゼが1勝の計4勝を挙げた。ピケはドライバーズタイトルを獲得したが、コンストラクターズランキングはフェラーリ、ルノーに次ぐ3位に終わった。この年、ドイツのATSにもエンジン供給を行った。 1984年のエンジンはメインベアリングキャップ周辺に補強が加えられ、公称出力は予選仕様で850馬力まで引き上げられたが、実際にはシーズン終盤には5バールの過給圧で1,000馬力に達していた。この年はブラバム、ATSに加えてアロウズにも供給を開始した。ATSとアロウズのエンジンは、ハイニ・マーダーがチューニングを担当した。この年はBMW本社の政治的判断から、ターボチャージャーのサプライヤーをKKKに変更したが、このKKK製タービンにトラブルが多発。ピケは9度のポールポジションを獲得しエンジンの速さを見せたが、レースはカナダGPとアメリカ東GPでの2勝を挙げたに留まった。エンジンの信頼性に苦しめられ9度のリタイヤを喫したピケはドライバーズランキング5位に終わった。あまりのトラブルの多さに、ゴードン・マレーは自らBMWの役員会に乗り込み問題の改善を訴えた。 1985年はATSが撤退し、ブラバムとアロウズの2チームにエンジンを供給した。この年はターボチャージャーをギャレットに戻した。公称出力は前年と同じ850馬力だったが、この年も信頼性に苦しめられ、優勝とポールポジションはともに1度ずつに終わり(いずれもブラバムが記録)、ブラバムのコンストラクターズランキングは5位に留まった。ブラバムに対して行ってきたM12/13でのBMWのワークス活動はこの年限りとなり、翌1986年のワークス活動では横倒型のM12/13/1をブラバムに供給した。アロウズはプライベートテストでIHIのターボチャージャーをテストすることもあった。 1986年にはハイニ・マーダーがこのエンジンの唯一の供給元となり、アロウズとベネトンに供給された。この年はベネトンが2度のポールポジション(いずれもテオ・ファビ)を獲得し、1勝(ゲルハルト・ベルガー)を挙げることに成功した。 このエンジンは、翌1987年と1988年にはメガトロン名義で供給された(下記参照)。
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