2001年-現在とは? わかりやすく解説

2001年 - 現在

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 18:13 UTC 版)

シンディ・ローパー」の記事における「2001年 - 現在」の解説

2001年坂本龍一呼びかけ地雷撲滅為のチャリティーレコード『Zero Landmine』に多くミュージシャンと共に参加したり、この年9月アメリカで起こった同時多発テロの為、当初予定より延期され趣向変更し開催された『ジョン・レノン・トリビュート・コンサート』に参加しセントラル・パークで、「Strawberry Fields Forever」を歌う。 ロブ・ハイマン、ジャン・パルスフォード、坂本龍一等との共作曲収録したウィリアム・ウィットマンとの共同プロデュースで6目のオリジナルアルバムSHINE』を完成させ、夏にEdel America Records(エデル・レコード)から発売される予定であったが、発売直前Edel America Records倒産しアルバム発売中止されてしまう。 2002年アルバムShine』に収録予定であった曲の中から、それまでライブイベント等歌ってきてファンリアクション良かった曲を選曲収録された5曲入りミニアルバムOglio Records(オグリオ・レコード) から発売されるまた、ラスベガス行われたディーバーズ・ライブにスペシャルゲストとして出演しシェールデュエット披露したその後再びシェールと共に6か月にも及ぶ大規模な北米ツアー行い延べ100万人以上の観客動員数記録しローパー以前変わらないライヴパフォーマンス各方面から大きな賞賛を受ける。 またシェールとのツアー合間には、ソロライブ行ったり、店頭でのサイン会&ミニライブを行うなど、原点戻った地道な活動行い、『Shine EP』はマイナーレーベルからの発売にもかかわらず、好セールス記録した2003年ソロ・ツアーミート・ローフとのジョイント・ツアーを行うなど精力的にライブ活動を行う。ソニーと再契約を結び、幼少の頃聴きながら親しんでいた1940年から1960年代の曲をカヴァーしたカヴァー・フル・アルバム『アット・ラスト/AT LAST』を発表10月下旬から、久々大規模なソロ・ツアー始まり大晦日ニューヨークでは、タイムズ・スクエアでのニューイヤーズ・イブイベントにも参加する2004年諸事情上記参照)でお蔵入りとなっていた6目のオリジナル・アルバムシャイン/SHINE』を日本限定フル・アルバムとして発表6月には8年ぶりとなる日本ツアー実現し、6都市全8公演行い変わらないパワフルなライブパフォーマンス披露したその後ツアーオーストラリア、再び北米へと9月まで続けられる2003年から続けられた『At Last Tour』の地元ニューヨーク公演収めたライヴDVD『Live...At Last』が発売されるまた、11月オランダ行われたNight of the Proms』に参加12月にはノルウェー行われたノーベル平和賞コンサート』にも参加した翌年2月行われたグラミー賞では、『At Last』に収録された「Unchained Melody」が『Best Instrumental Composition Accompanying a Vocal部門ノミネートされる2005年ジェフ・ベックサラ・マクラクランシャギー、アニー・ディフランコ、ヴィヴィアン・グリーン、パフィーなど、多く豪華ゲスト迎えて過去ヒット曲人気曲を自らカヴァーしたセルフカヴァー・アルバム『ボディー・アコースティック/The Body Acoustic』を発表。それにあわせてプロモーション来日果たし様々なメディア登場し東京開催された『GO LOHAS! 2005』のイベントでは、新作から3曲を披露した帰国後は北米ツアー開始しツアー合間にはアメリカン・ミュージック・アワードステージでサラ・マクラクランと「Time After Time」をデュエット披露したアメリカ同性愛者支援団体参加2006年、『THE THREEPENNY OPERA(三文オペラ)』(ベルトルト・ブレヒト作、クルト・ヴァイル作曲)で娼婦ジェニー」役でブロードウェイ・ミュージカルデビューを果たし4月から6月までSTUDIO 54にて出演6月行われたトニー賞では、共演者Alan Cummingパフォーマンス披露したまた、7月には同性愛者オリンピックゲイ・ゲームズ閉会式出演した2007年6月多数アーティスト達と『True Colors 2007 Tour』を行う。ツアー目的同性愛者の権利擁護推進のためのもので、チケット1枚につき1ドルが『Human Rights Campaign』と題され人権擁護活動寄付された。5時間にも及ぶ大規模なショー北米16都市公演され大成功収め参加したアーティストが曲を提供した記念盤のCD発売されるまた、8月にはペットショップボーイズシャギーとともにシンガポール行われたSingfestに参加した。同8月SUMMERSONIC 07 出演のために来日11日大阪舞洲サマーソニック特設会場12日千葉幕張メッセにて変わらないパワフルなライヴパフォーマンスをし、改め高い評価新たなファン得たその後東京名古屋行われた単独ライヴでは、東京ではセカンド・アンコールが起こったり等、両日共に大盛況終わった2008年5月14日に7目のオリジナル・アルバムブリング・ヤー・トゥー・ザ・ブリンク〜究極ガール/BRING YA TO THE BRINK』を発表オリジナル・アルバムとしては7年ぶり、メジャーレコーディングしたフル・オリジナル・アルバムとしては12年ぶり。TOYOTA MARK X ZiOCFソングとしてOAされていた収録曲の『セット・ユア・ハート/SET YOUR HEART』をはじめ、全曲ダンス・ミュージックとなっている。アルバム発売日に合わせて来日し東京 丸内 丸ビル1F MARUCUBEにてニュー・アルバム発売記念ライヴをし、新曲含めた数曲を披露。靴を脱ぎステージから降りて客席パフォーマンスをしたり等、イベント当選者仕事帰り人々楽しませ様々なメディアにも出演した2008年9月CYNDI LAUPER JAPAN TOUR2008と題し12年ぶりの日本武道館公演を含む3都市全4回の来日公演が行われる。その後ヨーロッパ南米でのツアーを行う。 2011年3月11日起きた日本における東日本大震災直後日本でのコンサートツアーのために来日(彼女の乗った飛行機地震による閉鎖のため成田空港降りられず、米軍横田基地着陸した)。他の海外ミュージシャン日本での公演中止して帰国ないし、来日キャンセルしレコード会社からも帰国するように勧めら­れていた中、2011年3月16日から、予定通りコンサート行った。更に会場チャリティのための募金呼び掛けコンサートチャリティイベントにした。 また、大阪滞在時に湯川れい子へ「こういう時こそ、日本にくることが出来て、私の人生中でも名誉なことでした。ありがとう」と綴ったメール送っている。 2012年6月18日プロレス団体WWERAWにゲストホストとして登場過去には1985年開催され第1回レッスルマニアウェンディ・リヒターセコンドとして出場している。同年ミュージカルキンキーブーツ』(原作2005年公開同名映画)を作曲第67回トニー賞オリジナル楽曲賞を受賞した2013年8月10日11日SUMMERSONIC 13出演10日大阪舞洲サマーソニック特設会場11日千葉幕張メッセMOUNTAIN STAGEパフォーマンス行なった2015年1月 1985年発売されデビューアルバムシーズ・ソー・アンユージュアル』の発売30周年記念したジャパンツアーシンディ・ローパー ~30周年アニヴァーサリー・セレブレーション ジャパン・ツアー2015開催武道館公演を含む全6都市公演

※この「2001年 - 現在」の解説は、「シンディ・ローパー」の解説の一部です。
「2001年 - 現在」を含む「シンディ・ローパー」の記事については、「シンディ・ローパー」の概要を参照ください。


2001年 - 現在

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 00:26 UTC 版)

第41戦闘攻撃飛行隊 (アメリカ海軍)」の記事における「2001年 - 現在」の解説

2001年12月1日VF-41はF-14からF/A-18F機種変更、隊名もVFA-41となった2002年10月18日にはカリフォルニア沖で2機のF/A-18空中衝突し、乗員4人が死亡したイラク戦争時にはイラク軍航空部隊がほぼ活動しなかったため、レーザー誘導爆弾JDAMAGM-65 マーベリック装備して対地攻撃従事した

※この「2001年 - 現在」の解説は、「第41戦闘攻撃飛行隊 (アメリカ海軍)」の解説の一部です。
「2001年 - 現在」を含む「第41戦闘攻撃飛行隊 (アメリカ海軍)」の記事については、「第41戦闘攻撃飛行隊 (アメリカ海軍)」の概要を参照ください。


2001年 - 現在

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 14:46 UTC 版)

トッド・エドワーズ」の記事における「2001年 - 現在」の解説

エドワーズダフト・パンクアルバムディスカバリー』(Discovery) の収録曲フェイス・トゥ・フェイス」(Face to Face) の共同プロデュースボーカル担当した。この楽曲2004年、ビルボードクラブチャートで第1位となった2006年には、LPオデッセイ』(Odyssey) の各曲ボーカル披露しているが、ここではさまざまな変名使用している。2012年には、フランスプロデューサー、サーキン (Surkin) とEP『アイ・ウォント・ユー・バック』(I Want You Back) をリリースした2013年4月ダフト・パンクアルバムランダム・アクセス・メモリーズ』(Random Access Memories) への参加明らかになった。エドワーズ担ったのは「フラグメンツ・オブ・タイム」(Fragments of Time) のボーカル共同ライティング追加制作であった第56回グラミー賞において、『ランダム・アクセス・メモリーズ』は最優秀ダンス/エレクトロニカアルバム賞、最優秀アルバム賞受賞した[このほか最優秀アルバム技術賞(クラシック以外)も受賞している]。エドワーズは、これに伴いグラミー賞を初受賞した今日エドワーズトラック制作リミックス継続中であるとともに今後多くツアー計画している。2013年7月DJ EZ臨んだインタビューエドワーズは、『ランダム・アクセス・メモリーズ』に参加したエンジニアのピーター・フランコ (Peter Franco) との共同プロデュース自身歌唱するボーカル・アルバム企画しており、これを勧めたダフト・パンクトーマ・バンガルテル (Thomas Bangalter) がその監督務め可能性があると述べている。

※この「2001年 - 現在」の解説は、「トッド・エドワーズ」の解説の一部です。
「2001年 - 現在」を含む「トッド・エドワーズ」の記事については、「トッド・エドワーズ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「2001年-現在」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

「2001年-現在」に関係したコラム

  • 株式の単元未満株とは

    株式の単元未満株とは、株式の最低売買単位である1単元未満の株式のことです。1単元は銘柄ごとに異なりますが、100株や1000株であることが多いようです。1単元が100株の銘柄では、単元未満株は1株から...

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「2001年-現在」の関連用語

2001年-現在のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



2001年-現在のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのシンディ・ローパー (改訂履歴)、第41戦闘攻撃飛行隊 (アメリカ海軍) (改訂履歴)、トッド・エドワーズ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS