2001年 - 現在
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「シンディ・ローパー」の記事における「2001年 - 現在」の解説
2001年、坂本龍一の呼びかけで地雷撲滅の為のチャリティーレコード『Zero Landmine』に多くのミュージシャンと共に参加したり、この年9月にアメリカで起こった同時多発テロの為、当初予定より延期され、趣向を変更し開催された『ジョン・レノン・トリビュート・コンサート』に参加し、セントラル・パークで、「Strawberry Fields Forever」を歌う。 ロブ・ハイマン、ジャン・パルスフォード、坂本龍一等との共作曲を収録したウィリアム・ウィットマンとの共同プロデュースで6枚目のオリジナルアルバム『SHINE』を完成させ、夏にEdel America Records(エデル・レコード)から発売される予定であったが、発売直前にEdel America Records が倒産し、アルバム発売は中止されてしまう。 2002年、アルバム『Shine』に収録予定であった曲の中から、それまでライブやイベント等で歌ってきてファンのリアクションの良かった曲を選曲し収録された5曲入りのミニアルバムがOglio Records(オグリオ・レコード) から発売される。また、ラスベガスで行われたディーバーズ・ライブにスペシャルゲストとして出演し、シェールとデュエットを披露した。その後再びシェールと共に6か月にも及ぶ大規模な北米ツアーを行い、延べ100万人以上の観客動員数を記録し、ローパーの以前と変わらないライヴパフォーマンスに各方面から大きな賞賛を受ける。 またシェールとのツアーの合間には、ソロライブを行ったり、店頭でのサイン会&ミニライブを行うなど、原点に戻った地道な活動を行い、『Shine EP』はマイナーレーベルからの発売にもかかわらず、好セールスを記録した。 2003年、ソロ・ツアーやミート・ローフとのジョイント・ツアーを行うなど精力的にライブ活動を行う。ソニーと再契約を結び、幼少の頃に聴きながら親しんでいた1940年から1960年代の曲をカヴァーしたカヴァー・フル・アルバム『アット・ラスト/AT LAST』を発表。10月下旬から、久々の大規模なソロ・ツアーが始まり、大晦日のニューヨークでは、タイムズ・スクエアでのニューイヤーズ・イブのイベントにも参加する。 2004年、諸事情(上記参照)でお蔵入りとなっていた6枚目のオリジナル・アルバム『シャイン/SHINE』を日本限定でフル・アルバムとして発表。6月には8年ぶりとなる日本ツアーが実現し、6都市全8公演を行い、変わらないパワフルなライブパフォーマンスを披露した。その後ツアーはオーストラリア、再び北米へと9月まで続けられる。2003年から続けられた『At Last Tour』の地元ニューヨーク公演を収めた、ライヴDVD『Live...At Last』が発売される。また、11月にオランダで行われた『Night of the Proms』に参加、12月にはノルウェーで行われた『ノーベル平和賞コンサート』にも参加した。翌年の2月に行われたグラミー賞では、『At Last』に収録された「Unchained Melody」が『Best Instrumental Composition Accompanying a Vocal』部門にノミネートされる。 2005年、ジェフ・ベック、サラ・マクラクラン、シャギー、アニー・ディフランコ、ヴィヴィアン・グリーン、パフィーなど、多くの豪華ゲストを迎えて、過去のヒット曲や人気曲を自らカヴァーしたセルフカヴァー・アルバム『ボディー・アコースティック/The Body Acoustic』を発表。それにあわせて、プロモーション来日を果たし、様々なメディアに登場し、東京で開催された『GO LOHAS! 2005』のイベントでは、新作から3曲を披露した。帰国後は北米ツアーを開始し、ツアーの合間にはアメリカン・ミュージック・アワードのステージで、サラ・マクラクランと「Time After Time」をデュエットで披露した。アメリカ同性愛者支援団体参加。 2006年、『THE THREEPENNY OPERA(三文オペラ)』(ベルトルト・ブレヒト作、クルト・ヴァイル作曲)で娼婦「ジェニー」役でブロードウェイ・ミュージカルデビューを果たし、4月から6月までSTUDIO 54にて出演。6月に行われたトニー賞では、共演者のAlan Cummingとパフォーマンスを披露した。また、7月には同性愛者のオリンピック『ゲイ・ゲームズ』閉会式に出演した。 2007年、6月に多数のアーティスト達と『True Colors 2007 Tour』を行う。ツアーの目的は同性愛者の権利の擁護推進のためのもので、チケット1枚につき1ドルが『Human Rights Campaign』と題された人権擁護活動に寄付された。5時間にも及ぶ大規模なショーは北米16都市で公演されて大成功を収め、参加したアーティストが曲を提供した記念盤のCDが発売される。また、8月にはペットショップボーイズ、シャギー等とともにシンガポールで行われたSingfestに参加した。同8月、SUMMERSONIC 07 出演のために来日。11日の大阪舞洲サマーソニック特設会場、12日の千葉幕張メッセにて変わらないパワフルなライヴパフォーマンスをし、改めて高い評価や新たなファンを得た。その後、東京、名古屋で行われた単独ライヴでは、東京ではセカンド・アンコールが起こったり等、両日共に大盛況に終わった。 2008年5月14日に7枚目のオリジナル・アルバム『ブリング・ヤー・トゥー・ザ・ブリンク〜究極ガール/BRING YA TO THE BRINK』を発表。オリジナル・アルバムとしては7年ぶり、メジャーでレコーディングしたフル・オリジナル・アルバムとしては12年ぶり。TOYOTA MARK X ZiOのCFソングとしてOAされていた収録曲の『セット・ユア・ハート/SET YOUR HEART』をはじめ、全曲、ダンス・ミュージックとなっている。アルバム発売日に合わせて来日し、東京 丸の内 丸ビル1F MARUCUBEにてニュー・アルバム発売記念ライヴをし、新曲を含めた数曲を披露。靴を脱ぎ、ステージから降りて客席でパフォーマンスをしたり等、イベント当選者や仕事帰りの人々を楽しませ、様々なメディアにも出演した。2008年9月にCYNDI LAUPER JAPAN TOUR2008と題し、12年ぶりの日本武道館公演を含む3都市全4回の来日公演が行われる。その後、ヨーロッパ、南米でのツアーを行う。 2011年3月11日に起きた日本における東日本大震災の直後、日本でのコンサートツアーのために来日(彼女の乗った飛行機は地震による閉鎖のため成田空港に降りられず、米軍横田基地に着陸した)。他の海外ミュージシャンが日本での公演を中止して帰国ないし、来日をキャンセルし、レコード会社からも帰国するように勧められていた中、2011年3月16日から、予定通りコンサートを行った。更に会場でチャリティのための募金を呼び掛け、コンサートをチャリティイベントにした。 また、大阪滞在時に湯川れい子へ「こういう時こそ、日本にくることが出来て、私の人生の中でも名誉なことでした。ありがとう」と綴ったメールを送っている。 2012年6月18日にプロレス団体WWEのRAWにゲストホストとして登場。過去には1985年に開催された第1回レッスルマニアでウェンディ・リヒターのセコンドとして出場している。同年、ミュージカル『キンキーブーツ』(原作は2005年公開の同名映画)を作曲。第67回トニー賞でオリジナル楽曲賞を受賞した。 2013年8月10日・11日にSUMMERSONIC 13 に出演。10日の大阪舞洲サマーソニック特設会場、11日の千葉幕張メッセのMOUNTAIN STAGEでパフォーマンスを行なった。 2015年1月 1985年に発売されたデビューアルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』の発売30周年を記念したジャパンツアーシンディ・ローパー ~30周年アニヴァーサリー・セレブレーション ジャパン・ツアー2015を開催。武道館公演を含む全6都市公演。
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2001年 - 現在
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「第41戦闘攻撃飛行隊 (アメリカ海軍)」の記事における「2001年 - 現在」の解説
2001年12月1日にVF-41はF-14からF/A-18Fに機種変更、隊名もVFA-41となった。2002年10月18日にはカリフォルニア沖で2機のF/A-18が空中衝突し、乗員4人が死亡した。イラク戦争時にはイラク軍の航空部隊がほぼ活動しなかったため、レーザー誘導爆弾、JDAM、AGM-65 マーベリックを装備して対地攻撃に従事した。
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2001年 - 現在
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「トッド・エドワーズ」の記事における「2001年 - 現在」の解説
エドワーズはダフト・パンクのアルバム『ディスカバリー』(Discovery) の収録曲「フェイス・トゥ・フェイス」(Face to Face) の共同プロデュースとボーカルを担当した。この楽曲は2004年、ビルボードクラブチャートで第1位となった。2006年には、LP『オデッセイ』(Odyssey) の各曲でボーカルを披露しているが、ここではさまざまな変名を使用している。2012年には、フランスのプロデューサー、サーキン (Surkin) とEP『アイ・ウォント・ユー・バック』(I Want You Back) をリリースした。2013年4月、ダフト・パンクのアルバム『ランダム・アクセス・メモリーズ』(Random Access Memories) への参加が明らかになった。エドワーズが担ったのは「フラグメンツ・オブ・タイム」(Fragments of Time) のボーカル/共同ライティング/追加制作であった。第56回グラミー賞において、『ランダム・アクセス・メモリーズ』は最優秀ダンス/エレクトロニカアルバム賞、最優秀アルバム賞を受賞した[このほか最優秀アルバム技術賞(クラシック以外)も受賞している]。エドワーズは、これに伴いグラミー賞を初受賞した。 今日もエドワーズはトラック制作・リミックスを継続中であるとともに、今後多くのツアーを計画している。2013年7月にDJ EZと臨んだインタビューでエドワーズは、『ランダム・アクセス・メモリーズ』に参加したエンジニアのピーター・フランコ (Peter Franco) との共同プロデュースで自身が歌唱するボーカル・アルバムを企画しており、これを勧めたダフト・パンクのトーマ・バンガルテル (Thomas Bangalter) がその監督を務める可能性があると述べている。
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