1958年のテレビ (日本)とは? わかりやすく解説

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1958年のテレビ (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/21 20:49 UTC 版)

1958年のテレビ(1958ねんのテレビ)では、1958年昭和33年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

地方にテレビ局の開局ラッシュが始まる。

テレビ冷蔵庫洗濯機の3つからなる当時の新世代電化製品を指す『三種の神器』なる用語も生まれたこの年、前年に予備免許を交付されたVHFアナログ)を親局とするテレビジョン放送局の開局ラッシュが始まる。


日本で初めてVTR(モノクロ)が導入。

1956年に世界で初めてVTRの実用化に成功した、米アンペックス社の放送用2インチVTRが、米以外では日本で初めて輸入。4月27日に当時の大阪テレビ放送(後の朝日放送テレビ)で日本で初納入、6月1日に稼働を開始したを皮切りに、ラジオ東京(KR)テレビ(後のTBSテレビ)やNHK等でも納入され、稼働を開始。11月30日にはNHK放送技術研究所にて同所初の同VTRの試作品を完成、翌12月にはNHKの放送での使用を開始した。


東京タワー竣工(12月23日)
東京タワーが完成。

12月23日東京に高さ332.6メートルを誇る電波塔東京タワーが完成。これに伴い、NHKとKRテレビ(後のTBSテレビ)は既存の自社テレビ電波塔(NHK:千代田区紀尾井町 KRT:港区赤坂)から東京タワーに送信所を移し、そして翌年開局の日本教育テレビ(NET、後のテレビ朝日)フジテレビを含め、4局5波(NHKは総合・教育の2波)が東京タワーから関東一円に電波を発信することになった。
尚、日本テレビも東京タワーから送信を要請されていたものの、自前の電波塔として計画していた正力タワーの建設を目指していたため要請を断り、当時の本社である麹町から送信し続けた(1970年まで)。[注 2]


会社の合併
  • 8月、ラジオ九州(RKB)が西部毎日テレビジョン放送と合併、RKB毎日放送に社名変更。
  • 12月23日、大阪テレビが、朝日放送(ABC)[注 3]との合併契約で調印(翌年6月1日に正式合併)。


テレビ番組


カラーテレビ実験放送(NHKと日本テレビのみ)
  • 同実験放送では、日本テレビが1月27日から毎日、定時のレギュラー枠(編成上、時間移動の場合有)としての放送となる。更に、自社初のカラー番組制作を開始し、7月14日にはそれとしては初の、カラーフィルム番組『七色のメロディー』と、日本初のカラーアニメーションテレビ映画『もぐらのアバンチュール』を放送。12月12日には、自社初のスタジオカラーカメラを使用した番組『手品教室』を生放送。又、1月13日からは『NTVニュースフラッシュ』の中で随時、カラーフィルムで取材したニュースをカラーで放送した。


番組関係のできごと

1月
2月
3月
  • 2日 - いずれもNHK
    • NHKではテレビ初のスキー競技中継となる『第13回国体冬季大会スキー競技会 「純ジャンプ」』を、札幌大倉山シャンツェから中継放送[1][6]
    • 鹿児島・大阪・名古屋・東京・札幌の5局をリレーした全国縦断テレビ中継番組『日本列島の春』を放送[1][7]
  • 3日 - KRテレビ、視聴者参加番組『テレビ結婚式』放送開始(司会:徳川夢声阿里道子。翌年にフジテレビへ移行)[1]
  • 17日 - 北海道放送、民放テレビ初の『心臓切開手術実況』を放送[注 5]。日本テレビでも中継放送[1]
  • 23日 - NHK、時の話題の人をスタジオに招き、ゆかりの人々に再会する番組『ここに鐘はなる』放送開始( - 1963年3月22日)。第1回のゲストは、戦後まもなく生まれた多くの混血孤児のために、養育施設「エリザベス・サンダースホーム」を創設した澤田美喜が登場した[1][8][9]
4月
5月
6月
7月
  • 6日 - KRテレビ、『大相撲名古屋場所』のテレビ中継で、VTRによる取組の再生を開始[1][21]
  • 7日 - 大阪テレビ、テレビでは日本初の富士山頂からの生中継に成功[注 8][1][10]
  • 14日 - 日本テレビが、この日のカラーテレビ実験放送枠内にて、日本初のテレビ用カラーフィルム制作による番組『七色のメロディー』と、日本初のカラーアニメーションテレビ映画『もぐらのアバンチュール』を放送(後者は同年10月15日に同枠内にて再放送)[3][22]
  • 17日 - NHK初のビデオテープレコーダ(VTR)収録による番組「学校放送『中学校 - 英語教室』」が放送[1][23]
  • 28日 - NHK、『乗鞍山頂から』を放送。乗鞍山頂から名古屋まで125kmのマイクロ波中継に成功[1][24]
8月
9月
  • 1日 - 読売テレビ、この日から学校向けテレビ番組が放送開始(この日の月曜日は毎週『私たちの幼稚園』、『仲よし劇場』を放送。火~金曜は小・中・高向け『私たちの学校』、土曜は『PTAアワー』を放送)[1]
  • 6日 - 大阪テレビで刑事ドラマ部長刑事』放送開始[1][10]大阪ガス一社提供1959年6月から合併により朝日放送(テレビ)へ移行)。2002年3月30日まで長きにわたって続くシリーズとなった。
  • 7日 - 日本テレビ、ドキュメンタリー番組『二十世紀』放送開始( - 1962年10月28日)[1]
  • 14日 - いずれもNHK
    • 前場所のKRテレビに続き、NHKでもこの年の大相撲秋場所初日から、同放送でのVTRによる再生放送を開始[1]
    • 教師の勤務評定問題で、特別番組『日本の素顔 - 風の中の先生』を放送[1][30]
10月
  • 13日 - NHK、連続バラエティー『お父さんの季節』放送開始( - 1961年3月27日。作:西澤實、出演:榎本健一楠トシエ ほか)[1][31]
  • 30日 - NHK、特別番組『“こだま”東海道をゆく』を、2時間55分に渡り放送[32]。平均時速100kmの特急「こだま号」にカメラを乗せ、沿線各駅のカメラをまじえてリレー中継を行った[1]
  • 31日 - KRテレビ系、『サンヨーテレビ劇場』にて、通常の時間枠を拡大し、ドラマ『私は貝になりたい』を放送加藤哲太郎原作・橋本忍脚本・フランキー堺主演。芸術祭参加作品。)[1][20][33][34]。前半がVTRによる録って出し、後半は生放送。放送は大反響を呼び、この年の芸術祭大賞を受賞(番組全編はTBSテレビに現存する最古のビデオテープ録画による番組として社内に保存されている)。
11月
12月


その他テレビに関する話題

1月
  • 27日 - 日本テレビ、不定時に行っていたカラーテレビ実験放送を、この日から定時のレギュラー放送に改編[注 14][3][45][46]
  • 月内 - NHK、テレビニュース放送迅速化のため、ポジフイルムとネガフィルム混在のまま放送できる フィルム送像設備を開発、使用開始[1]
2月
3月
4月
  • 1日 - テレビ西日本(TNC)設立。
  • 10日 - 日本テレビ、カラーでCM放送ができるように、カラーテレビ実用化試験局の免許を郵政省に申請[1]
  • 27日 - 大阪テレビで、日本初の放送用モノクロ2インチVTRが入荷(米アンペックス社製 型番:VR-1000。値段は当時1台2500万円。)[1][48]5月29日には、在京テレビ局で初めてラジオ東京(KRテレビ)で同VTRが入荷[19][20][21]
5月
  • 16日 - テレビ受信契約数が100万台を突破[1]
6月
7月
  • 1日 - 西日本放送(RNC)がテレビジョン放送開始(JOKF-TV)[1]。これにより、同社はテレビ・ラジオ兼営局となる。当初の放送対象地域は香川県のみで、1979年に岡山県もその対象に含まれる。
8月
読売テレビ開局(8月28日。写真は大阪・東天満の旧社屋)
テレビ西日本開局(8月28日。写真は当時の八幡仮社屋)
  • 28日 - 日本テレビが開局5周年。同日、大阪地区に讀賣テレビ放送(読売テレビ・YTV。呼出符号:JOIX-TV。新大阪テレビ放送から社名変更)と、福岡県八幡市(後の北九州市)にテレビ西日本(TNC、呼出符号:JOHX-TV)と系列局2局が開局[注 17][1]。先に開局したRNCテレビも含め、日本テレビの全国ネットワーク体制の先駆けとなる[27]
9月
  • 1日 - 1956年10月に、日本の映画会社5社がテレビへの劇映画の提供を中止した「五社協定」に、この日に日活も加わり、邦画6社の足並みが揃う[1]
10月
  • 月内 - NHK、シネテープ(磁気フィルム録音再生機)の使用を開始。『週間ニュース』等で使用[1]
11月
  • 1日 - 静岡放送(SBS)テレビジョン放送開始(JOVR-TV)。これにより、同社はテレビ・ラジオ兼営局となる[1][50][51]
  • 15日
    • NHK長野放送局(JONK-TV)が、美ヶ原送信所から県域テレビジョン放送を開始[1][52]。これに伴い、それまで東京(JOAK-TV)のテレビ中継局だった長野市の善光寺平中継局は、同送信所の中継局に切り替える。
    • 信越放送(SBC、美ヶ原送信所から10月25日開局[1][53])も同日本放送開始(JOSR-TV)。これにより、同社はテレビ・ラジオ兼営局となる。
関西テレビ開局(11月22日。写真は大阪・西天満の旧社屋)
  • 22日 - 関西テレビ放送が開局(KTV、呼出符号:JODX-TV。大関西テレビ放送から社名変更)[1]
  • 28日 - NHK高知放送局テレビジョン放送開始(JORK-TV)。
  • 30日 - NHK放送技術研究所、自所初の放送用2インチVTR(アンペックス方式)を試作完成、翌月から放送に使用[1]
12月


開局・放送開始

*は、民放でテレビ開局に伴い、テレビ・ラジオ兼営局となった放送局。


テレビ番組

テレビドラマ

バラエティなど諸分野

子供向けドラマ

特撮番組

テレビアニメ

教育・教養番組

  • 手品教室(カラー)(日本テレビ)- 12月12,19日、カラー放送実験枠。日本テレビ初のスタジオカラーカメラによる生放送。[44]

その他

  • 七色のメロディー(カラー)(日本テレビ)- 7月14日、カラー放送実験枠。日本テレビの自社制作のテレビ番組としては初のカラーフィルムでの制作。[3]

特別番組

  • 日本テレビ開局5周年、読売テレビ(YTV)開局記念番組

既存番組のカラー化


参考文献

など


脚注

注釈

  1. ^ a b c d 法人は2016年に放送持株会社「RKB毎日ホールディングス」となり、放送免許は後のRKB毎日放送に承継された。
  2. ^ 正力タワーの建設予定地だった場所はその後「日本テレビゴルフガーデン」となり、閉鎖後は売却された。
  3. ^ a b 法人は2018年に放送持株会社「朝日放送グループホールディングス」となり、テレビ放送免許は新法人の朝日放送テレビに承継された。
  4. ^ 一例として、同年4月19日に起こった『金環日食』のニュースがこれに該当する[3]
  5. ^ 解説には、当時札幌医科大学教授の和田寿郎医師が担当した。
  6. ^ 国立天文台の前身。
  7. ^ NHK放送文化研究所の「放送史年表 -詳細版- 1958年」では6月22日放送開始と記している[1]が、ここでは出典にある制作局TBS(東京放送、番組開始時はラジオ東京(KR))による書籍「TBS50年史 資料編」(東京放送 2002年1月発行)の記述によっている。
  8. ^ その時の模様の写真が、2000年朝日放送が発刊した書籍「朝日放送の50年 Ⅲ 資料集」の282ページに掲載されている。
  9. ^ ちなみに同式典は、前年(1957年)に大阪テレビがテレビ初中継を行っている[25]
  10. ^ 隔週放送は1968年2月16日を以って終了し、同年2月23日以降は『日本プロレス中継』のみとなる。
  11. ^ 同楽団は来日中、東京ほか9都市で17回公演を行った[1]
  12. ^ NHKクロニクルのこの日の当番組の項目には「南国土佐を後にして」の曲目はないが[43]、ここでは、出典にある「放送史年表 -詳細版- 1958年」(NHK放送文化研究所)の記載に従って記しておく。
  13. ^ 同日17時20分からの20分間、当時の同社第4スタジオからの放送。翌週の19日にも同番組が生放送された。
  14. ^ 同開始時の放送スケジュールは、月:「産業」、火:「世界観光旅行」、水:「技術」、木:「生活知識」、金:「観光・行楽案内」、土:「漫画・娯楽物」、日:「芸能(民謡)紹介」で、毎日原則25分の放送だった。尚、番組開始前の10分間は、カラーのテスト・スライドが放送された。
  15. ^ 翌1959年の同日に開局。
  16. ^ 開局当初の通称は「ラジオ山陽テレビ」だった。
  17. ^ テレビ西日本は1964年よりフジテレビ系列ネットチェンジ1974年に本社を福岡市に移転した。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb cc cd ce 「放送史年表 -詳細版- 1958年」(NHK放送文化研究所)(2025年4月4日閲覧)
  2. ^ a b 読売新聞 1958年1月13日 朝刊 P.5 及び同日夕刊 P.3 共にラジオ・テレビ欄(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
  3. ^ a b c d e f 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、109頁。NDLJP:11954641/67 
  4. ^ a b 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、434-437頁。NDLJP:11954641/233,NDLJP:11954641/234 
  5. ^ 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、203, 329頁。 
  6. ^ NHKクロニクル『第十三回国民体育大会冬季大会スキー競技会 第四日「純ジャンプ」 ―札幌市郊外大倉山シャンツェ―』アナログ総合 1958年03月02日(日) 午前11:00 〜 午前11:50
  7. ^ NHKクロニクル『日本列島の春』アナログ総合 1958年03月02日(日) 午後01:00 〜 午後02:00
  8. ^ NHKクロニクル『ここに鐘は鳴る ―NHKホール―』アナログ総合 1958年03月23日(日) 午後07:30 〜 午後08:00
  9. ^ NHKアーカイブス 放送史『ここに鐘は鳴る 澤田美喜』(2025年6月7日閲覧)
  10. ^ a b c d e 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、282頁。 
  11. ^ 日本の新聞に見る昔の日食報道 (PDF)
  12. ^ NHKクロニクル『金環食をみる』アナログ総合 1958年04月19日(土) 午後00:40 〜 午後01:30
  13. ^ NHKクロニクル『南極観測船宗谷帰国実況―東京港―』アナログ総合 1958年04月28日(月) 午前10:30 〜 午前11:00
  14. ^ NHKクロニクル『両党主立会演説会―九段会館― 「総選挙にあたり国民に訴える」』アナログ総合 1958年04月28日(月) 午後05:00 〜 午後05:55
  15. ^ 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、213, 329頁。 
  16. ^ a b 日本テレビ放送網(株)『大衆とともに25年. 沿革史』(1978.08) 22ページ (渋沢社史データベース)(2025年6月11日閲覧)
  17. ^ NHKクロニクル『第五十四次IOC(国際オリンピック委員会)総会開会式実況 天皇陛下着御 天皇陛下開会宣言 NOC会長挨拶 IOC会長挨拶 他』アナログ総合 1958年05月14日(水) 午前10:30 〜 午後00:00
  18. ^ NHKクロニクル『海底の科学 ―静岡県熱海市初島沖―』アナログ総合 1958年06月08日(日) 午後01:00 〜 午後01:50
  19. ^ a b c 東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、280~2、591頁。 
  20. ^ a b c d e 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、330頁。 
  21. ^ a b c d 株式会社東京放送『TBS50年史』株式会社東京放送、2002年1月、122頁。 
  22. ^ ぐるぐるナインティナイン 【大人気TV欄クイズ激レア映像SPピコ太郎14年前の(秘)映像!?に赤面】の番組概要ページ - gooテレビ番組(関東版)”. 2019年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月9日閲覧。
  23. ^ NHKクロニクル『学校放送「中学校」 「英語教室」(13)』アナログ総合 1958年07月17日(木) 午前11:15 〜 午前11:35
  24. ^ NHKクロニクル『乗鞍山頂から―乗鞍山頂―』アナログ総合 1958年07月28日(月) 午後01:00 〜 午後01:30
  25. ^ 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、280頁。 
  26. ^ NHKクロニクル『特集「華厳の滝壺から」~日光華厳の滝から~』アナログ総合 1958年08月10日(日) 午後00:15 〜 午後01:00
  27. ^ a b c d e f g h i j k 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、116頁。NDLJP:11954641/71 
  28. ^ 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、116-117頁。NDLJP:11954641/71 
  29. ^ NHKクロニクル『鳴門のうず潮 ~鳴門市展望台から~』アナログ総合 1958年08月30日(土) 午後00:30 〜 午後01:00
  30. ^ NHKクロニクル『日本の素顔 「風の中の先生」』アナログ総合 1958年09月14日(日) 午後10:25 〜 午後10:55
  31. ^ NHKクロニクル『連続ヴァラエティー 「お父さんの季節」(1)―文化センター誕生―』アナログ総合 1958年10月13日(月) 午後09:00 〜 午後09:30
  32. ^ NHKクロニクル『“こだま”東海道をゆく』アナログ総合 1958年10月30日(木) 午前08:05 〜 午前11:00
  33. ^ 東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、591頁。 
  34. ^ 株式会社東京放送『TBS50年史』株式会社東京放送、2002年1月、125〜7頁。 
  35. ^ NHKクロニクル『正倉院展中継』アナログ総合 1958年11月03日(月) 午前08:20 〜 午前09:00
  36. ^ NHKクロニクル『リカルドサントス管弦楽団特別演奏会 ~NHKホールから~』アナログ総合 1958年11月03日(月) 午後08:00 〜 午後09:00
  37. ^ NHKクロニクル『リカルド・サントス告別演奏会 ~東京都体育館から~』アナログ総合 1958年11月20日(木) 午後07:30 〜 午後08:30
  38. ^ 株式会社東京放送『TBS50年史』株式会社東京放送、2002年1月、127頁。 
  39. ^ NHKクロニクル『バレエ 「レ・シルフィード」 ~NHKバレエの夕から~』アナログ総合 1958年11月20日(木) 午後10:32 〜 午後11:02
  40. ^ NHKクロニクル『臨時ニュース「皇太子妃決まる」 宮内庁長官発表~宮内庁から~ 宮内庁長官記者会見』アナログ総合 1958年11月27日(木) 午前11:30 〜 午前11:49
  41. ^ NHKクロニクル『皇太子妃記者会見~宮内庁から~』アナログ総合 1958年11月27日(木) 午後02:34 〜 午後02:45
  42. ^ NHKクロニクル『第12回金栗賞朝日国際マラソン栃木大会実況』アナログ総合 1958年12月07日(日) 午後01:45 〜 午後02:45 ~宇都宮市県営競技場から~ ~宇都宮市不動前附近から~
  43. ^ NHKクロニクル『歌の広場』アナログ総合 1958年12月08日(月) 午後08:00 〜 午後08:30
  44. ^ a b 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、111頁。NDLJP:11954641/68 
  45. ^ 日本テレビ放送網(株)『大衆とともに25年. 沿革史』(1978.08) 21ページ (渋沢社史データベース)(2025年6月11日閲覧)
  46. ^ 読売新聞 1958年1月18日 朝刊 P.6 ラジオ・テレビ欄 記事「局だより」内の文面に記載(読売新聞「ヨミダス歴史館」にて閲覧)
  47. ^ 日本海テレビ「会社案内」
  48. ^ 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅲ 資料集』朝日放送株式会社、2000年3月31日、282~3頁。 
  49. ^ 法人は2019年に放送持株会社「RSKホールディングス」となり、放送免許は新法人のRSK山陽放送に承継された。
  50. ^ a b 株式会社 静岡新聞・静岡放送 株式会社 社史(静岡新聞 SBS公式ホームページ)(2025年4月5日閲覧)
  51. ^ 静岡放送『静岡放送20年史』静岡放送、1973年2月8日、91, 276頁。NDLJP:12274613/52,NDLJP:12274613/145 
  52. ^ a b NHK長野放送局編『あなたとともに70年 -長野五輪・城山から稲葉へ-』柳田雅之、2001年3月8日、41,42頁。 
  53. ^ a b 信越放送の歩み(SBC信越放送のサイト)(2024年7月17日閲覧)
  54. ^ a b NHK新潟放送局『みなさんとともに五十年JOQK』NHK新潟放送局、1982年3月22日、210頁。 
  55. ^ a b 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、543頁。 
  56. ^ ナショナル日曜観劇会
  57. ^ サンヨーテレビ劇場
  58. ^ 東芝日曜劇場



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