多賀竜昇司
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多賀竜 昇司(たがりゅう しょうじ、1958年(昭和33年)2月15日 - )は、茨城県日立市出身(本籍地は北茨城市)で鏡山部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒谷 昇(くろたに のぼる)。最高位は西関脇(1983年(昭和58年)11月場所)。現役時代の体格は178cm、139kg。得意手は右四つ、寄り、上手出し投げ[1]。
- ^ a b c d e f g h i j ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p28
- ^ 部屋を存続させる最低条件として、親方・力士はそれぞれ1人ずついなければならないため、部屋の師匠が退職または死去した時点で後継者の資格を有する者がいない場合や、所属力士が1人もいなくなった場合は、その部屋は閉鎖されることになる。 過去、佐渡ヶ嶽部屋のように当時の現役力士だった琴乃若が12代佐渡ヶ嶽の定年退職に合わせて引退を表明し即座に部屋を引き継いだ例もあるが、井筒部屋の場合、15代井筒が死去した時点で唯一後継者の資格を有していた鶴竜は当時日本国籍を所有しておらず、部屋を引き継ぐことが不可能だった。
- ^ 2018年1月31日の理事候補選挙に時津風一門の意向として鏡山親方を推す動きに異議を唱えるべく、2017年12月に23代湊(元前頭2枚目湊富士)と直弟子の19代立田川(元小結豊真将)と共に一門から離脱した。
- ^ 時津風一門、日本相撲協会の理事候補に鏡山親方で一本化 SANSPO.COM 2020.1.10 05:00(2020年1月13日閲覧)
- ^ 12年ぶり無投票で理事決定 相撲協会の役員候補選 日刊スポーツ 2020年1月30日12時18分(2020年1月30日閲覧)
- ^ 「親方の理事10人選任 日本相撲協会評議員会」『産経新聞』、2020年3月23日。2020年3月23日閲覧。
- ^ 「鏡山部屋を閉鎖、全員が伊勢ノ海部屋へ転属 安全管理委員会の設置も決定」『日刊スポーツ』、2021年7月21日。2021年7月21日閲覧。
- ^ なぜ陸奥親方が事業部長、九重親方が役員待遇?! 日本相撲協会の親方職務を読み解く 日刊スポーツ 2022年4月6日6時0分 (2022年4月6日閲覧)
- ^ もし決定戦が実現していれば、史上初の平幕同士の決定戦になっていた。なお、実際の平幕同士の決定戦は、2012年5月場所に於いて実現した。
- ^ 元幕内鏡桜「本当にいい相撲人生だった」入門時の師匠鏡山親方と引退会見 第2の人生は白紙状態 日刊スポーツ 2023年4月3日14時59分 (2023年4月3日閲覧)
- ^ 高見盛、意地の白星 幕下陥落決定的も8連敗で止めた Sponichi Annex 2013年1月26日 06:00
- ^ 雅山11敗、幕下陥落濃厚…鏡山審判部長「確定だよ」 2013年3月23日 06:00 Sponichi Annex
- ^ 右肘関節捻挫により12日目から途中休場
- ^ 左趾末節骨骨折・左母趾挫減創節創により11日目から途中休場
- 1 多賀竜昇司とは
- 2 多賀竜昇司の概要
- 3 エピソード
- 4 主な戦績
- 5 改名歴
固有名詞の分類
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