走行・レースぶりに関する特徴・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 08:35 UTC 版)
「ハイセイコー」の記事における「走行・レースぶりに関する特徴・評価」の解説
ハイセイコーは前述のように荒い気性と気の弱さを併せ持っていたが、競馬では他の馬と並んで走ると抜かせまいとする勝負根性を発揮した。増沢は、そうした根性、闘争心こそがハイセイコーの真骨頂だと述べている。 ハイセイコーは後脚の力が強く、「滑らかさよりも力で走る」タイプの競走馬であり、後脚の蹄鉄は装着してから1週間ほどで擦り減ってしまったといわれている。橋本邦治は、このような特徴を持つ競走馬は長い距離を走るとスタミナを消耗する傾向にあり、ハイセイコーの場合も「2000m以上は駄目」と評価されるような競走成績に繋がったと分析している。鈴木勝太郎はハイセイコーの引退後、当初抱いていた印象について、胴の詰まった体型からこなせる距離は1800mまでで、2000m以上で行われる中央競馬のクラシックでは苦しいと感じたと証言し、予想を覆す活躍を見せたハイセイコーを「大した馬だよ」と評している。 ハイセイコーはストライドの大きな馬で、マスコミは「ひと跳び8メートル」と報じた。高橋三郎は、馬体もストライドも大きいハイセイコーにはダッシュ力はなかったと評したが、その一方で一度加速がつくと他の馬を引き離すほどの速さで走ることができたとも振り返っている。増沢によると跳びの大きい馬は雨が降って状態の悪い馬場を苦手とする傾向があるが、ハイセイコーは得意としたという。杉本清はハイセイコーは跳びが大きいためスピード感がないとしながらも、「見た目にはゆっくり見えるんだけど、実際にはかなりスピードのある馬だったのです」と評し、そのため自然とハイセイコーのペースに巻き込まれてしまって気が付いたら喉が痛くなってしまい、菊花賞を実況した際には一瞬声が出なくなってしまったため、ハイセイコーは実況においてしゃべりにくい馬だったと評している。東京優駿を日本短波放送の中継で実況を行ったアナウンサーの長岡一也も、杉本との対談の中でこの話題となった時に当日の実況で「喉が締め付けられて、声が裏返りながら」実況を行っていたといい、杉本と同様の見解を示している。 増沢はハイセイコーがスピードに乗った時の感触について、「ぐーんと躰が沈みこんでいく」と表現している。ただし、ハイセイコーは一瞬の切れ味を発揮するタイプではなく、相撲のがぶり寄りのようにジリジリと伸びるタイプだと評している。また首を下げたまま走るハイセイコーとは騎乗時に人馬一体の感覚を味わえなかったとし、「決して乗りやすい馬ではなかった」と評している。一方で鈴木康弘は、クビを少し下げてひたすら前に進もうとする走行フォームが懸命に走っているという印象を人々に与え、共感を呼んだのではないかと述べている。ハイセイコーが連勝していた時期に増沢は、「物凄い末脚を使う馬が出てくるとこわい」とコメントし、鈴木勝太郎も「一瞬の切れ味の鋭い馬」を警戒していた。 高橋三郎によると、ハイセイコーはダートコース向きの走り方をしていたといい、増沢もダート向きの馬だったと述懐している。鈴木康弘も中央へ移籍してきたハイセイコーを調教で走らせてみてダートでの競走能力を実感したといい、また「大きくて、力強い」走りをするハイセイコーの姿が、自身がイギリスで厩舎経営と馬づくりの修行を行っていた際に実際に目にしていた三冠馬のニジンスキーと面影が重なったと述べている。後藤正俊は、ハイセイコーの現役時代にダートグレード競走が設けられていたら、「セクレタリアト級のぶっちぎり勝ちを続け、ダート史上最強馬として違った形の歴史を作っていたことだろう」と推測している。競馬記者の大島輝久はハイセイコーのダートにおける競走能力を高く評価し、「アメリカのダート競馬で走らせてみたかった」と述べている。 増沢は騎乗した16戦全てで先行策をとった。増沢はハイセイコーの引退後、「1回くらいは追い込んでみてもよかったのではと思う」と述べつつ、それを実行しなかった理由について、「あれで負けたのなら、仕方がない」とファンが納得するレースをするために手堅い戦法をとらざるを得ず、「実験」ができなかったと弁明している。 大川慶次郎は、ハイセイコーは左回りのコースを苦手としていたと述べており、「右と左でかなり極端なレースをする馬だった」と評している。増沢もかつてNHK杯で抱いた「左回りは右回りほど走らないのではないか」という疑念はハイセイコーの引退後も変わらないと述べている。
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走行・レースぶりに関する特徴・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 18:10 UTC 版)
「オグリキャップ」の記事における「走行・レースぶりに関する特徴・評価」の解説
オグリキャップは走行時に馬場を掻き込む力が強く、その強さは調教中に馬場の地面にかかとをこすって出血したり、蹄鉄の磨滅が激しく頻繁に打ち替えられたために蹄が穴だらけになったことがあったほどであった。なお、栗東トレーニングセンター競走馬診療所の獣医師松本実は、5歳時に発症した右前脚の繋靭帯炎の原因を、生まれつき外向していた右脚で強く地面を掻き込むことを繰り返したことにあると分析している。 笠松在籍時の調教師鷲見昌勇は、調教のためにオグリキャップに騎乗した経験がある。その時の印象について鷲見は「筋肉が非常に柔らかく、フットワークにも無駄がなかった。車に例えるなら、スピードを上げれば重心が低くなる高級外車みたいな感じだよ」と感想を述べている。乗り味についても「他馬が軽トラックなら、(オグリキャップは)高級乗用車だ」と評し、「オグリキャップは全身がバネ。キャップが走ったらレースにならんて」と発言したこともある。笠松時代のオグリキャップに騎乗した青木達彦は、「オグリキャップが走った四脚の足跡は一直線だった。軽いキャンターからスピードに乗るとき、ギアチェンジする瞬間の衝撃がすごかった」と述べている。オグリキャップは肢のキック力が強く、瞬発力の強さは一回の蹴りで前肢を目いっぱいに延ばし、浮くように跳びながら走るため、この走法によって普通の馬よりも20から30センチ前に出ることができた。一方で入厩当初は右前脚に骨膜炎を発症しており「馬場に出ると怖くてよう乗れん」という声もあった。 オグリキャップは首を良く使う走法で、沈むように首を下げ、前後にバランスを取りながら地面と平行に馬体を運んでいく走りから、笠松時代から『地を這う馬』と形容されることがあった。安藤勝己は秋風ジュニアのレース後、「重心が低く、前への推進力がケタ違い。あんな走り方をする馬に巡り会ったのは、初めて」と思ったという。瀬戸口勉もオグリキャップの走り方の特徴について、重心と首の位置が低いことを挙げている。 河内洋はオグリキャップのレースぶりについて、スピードタイプとは対照的な「グイッグイッと伸びる力タイプ」と評し、騎乗した当初からオグリキャップは「勝負所になると自ら上がっていくような感じで、もうオグリキャップ自身が競馬を知っていた」と述べている。また「一生懸命さがヒシヒシ伝わってくる馬」、「伸びきったかな、と思って追うと、そこからまた伸びてきよる」、「底力がある」とする一方、走る気を出し過ぎるところもあったとしている。一方でGIクラスを相手にした時のオグリキャップは抜け出すまでにモタつく面があるため多頭数のレースだとかなり不安が残る馬と分析し、「直線の入り口でスーッと行ける脚が欲しい」と要望していた。 河内の次に主戦騎手を務めた南井克巳は、オグリキャップを「力そのもの、パワーそのものを感じさせる馬」、「どんなレースでもできる馬」、「レースを知っている」と評し、1989年の毎日王冠のレース後には「この馬の勝負根性には本当に頭が下がる」と語った。同じく主戦騎手を務めたタマモクロスとの比較については「馬の強さではタマモクロスのほうが上だったんじゃないか」と語った一方で、「オグリキャップのほうが素直で非常に乗りやすい」と述べている。オグリキャップ引退後の1994年に自身が主戦騎手となってクラシック三冠を制したナリタブライアンにデビュー戦の直前期の調教で初めて騎乗した際には、その走りについて加速の仕方がオグリキャップに似ていると感じ、この時点で「これは走る」という感触を得ていたと述べている。 武豊によるとオグリキャップは右手前で走ることが好きで、左回りよりも右回りのコースのほうがスムーズに走れた。またコースの左右の回りを問わず、内側にもたれる癖があった。 野平祐二はオグリキャップの走り方について、「弾力性があり、追ってクックッと伸びる動き」が、自身が調教師として管理したシンボリルドルフとそっくりであると評した。 オグリキャップは休養明けのレースで好成績を挙げている。南井克巳はその理由として、オグリキャップはレース時には正直で手抜きを知らない性格であったことを挙げ、「間隔をあけてレースを使うとすごい瞬発力を発揮する」と述べている。一方で南井は、レース間隔が詰まると逆に瞬発力が鈍るとも述べている。 オグリキャップの距離適性について、河内は本来はマイラーであると述べている。毎日杯のレース後には「距離の2000mもこなしましたが、この馬に一番の似合いの距離は、前走のペガサスステークスのような1600メートル戦じゃないかな」とコメントし、「マイル戦では無敵だよ」と発言したこともある。同じく主戦騎手を務めていたサッカーボーイとの比較においては、「1600mならオグリキャップ、2000mならサッカーボーイ」と述べている。岡部幸雄はベストは1600mで2500mがギリギリとし、瀬戸口勉は1988年の有馬記念に出走する前には血統からマイラーとみていたため、「2500mは長いのではないか」と感じ、後にベストの条件は1600mとし、マイル戦においては無敗だったため「マイルが一番強かったんじゃないかな」と述べている。競馬評論家の山野浩一は1989年のジャパンカップを世界レコードタイムで走った事を根拠に「オグリキャップをマイラー・タイプの馬と決めつけることはできない」と述べ、大川慶次郎は一見マイラーだが頭がよく、先天的なセンスに長けていたため長距離もこなせたと分析している。なお、父のダンシングキャップは一般的に「ダートの短距離血統」という評価をされていた。
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