笠松時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 14:12 UTC 版)
1998年にデビュー。兄弟子に当たるのは安藤光彰。デビューの年には体重オーバーによりレース直前の騎乗変更を6回させられている。この時、本人曰く「本当に騎手をクビになりかかっていた」が、師匠の飯干秀人調教師による主催者への懸命の説得でそれを免れた。 これ以後、騎手としての自覚が高まり、2004年には笠松競馬リーディング第4位となるなど若手のホープとして活躍するようになった。2004年に同じ笠松競馬出身の安藤勝己の勧めもあり、JRAの騎手免許試験を受験する。 地方競馬騎手に対しては、中央競馬にて5年間で年間20勝以上を2回クリアすると一次試験の筆記試験が免除され二次試験から受験可能である特例が設けられていたが、柴山はこれに該当せず(柴山のそれまでの中央競馬での成績はわずか2勝であったため)、一次試験からの受験となった。それでも猛勉強の末に見事試験に一発合格。笠松競馬からは安藤勝己に続く2人目の、地方競馬出身者としては前年の小牧太、赤木高太郎に続く4人目の移籍騎手となった。地方通算成績3240戦393勝(JRA72戦2勝)。
※この「笠松時代」の解説は、「柴山雄一」の解説の一部です。
「笠松時代」を含む「柴山雄一」の記事については、「柴山雄一」の概要を参照ください。
- 笠松時代のページへのリンク