騎手としての特徴・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 19:57 UTC 版)
田原は自らの騎手としての特徴を「良く言えば感覚、悪く言えば狂気の部分」とする。一方で理論家としても知られ、「騎乗理論を説明した上で、優れた騎手というのはこうだ、岡部幸雄さんはこうだ、武豊はこれがこうできるから優れているということは言える」と語り、一般ファンが目にするインタビューやエッセイにおいて、しばしば騎乗の要点を解説していた。しかし福永洋一だけは「説明できないレベルの物をひとつ持っていた」と評し、自身が福永の後継者としての期待から「天才」と呼ばれていたことに対して「俺は天才なんかじゃない」と自らの異名を否定している。一方で、福永と親しかった杉本清は意外性のある騎手と評し、「福永洋一ほど極端ではないが、タイプとしては洋一タイプと言えるだろう」としている。また、作家の高橋三千綱も「福永さんと田原さんは似ている」と評した。師匠の谷は、田原の具体的な長所として「敏感なところ。馬の性質を細やかに察知し、自分のものにして乗っていた」部分としている。藤田伸二は2013年に刊行した著書「騎手の一分」の第2章「上手い騎手は何が違うのか」の中で田原について解説している「技術を超越していた田原成貴」「生粋のプロ」という2つの項目を設け、「今の騎手、例えばノリちゃん(横山典弘)とかでも持っていないものを、田原さんは持っていた。」、1996年のスプリンターズステークスでフラワーパークに騎乗してエイシンワシントンとの競り合いを制したレースを指して「あれだけギリギリの激しいせめぎあいをしている中で、これだけ冷静な判断を下し、実行に移せるのは、おそらくユタカさん(武豊)にもないんじゃないか」と評している。 兄弟子の田島良保は、田原の全盛期を最初の落馬直前の時期と捉えており、この頃の騎乗を評して「何よりも気迫がずば抜けていた。さらに若さもあったし、思い切りが良く、読みも冴えていた。弾けるようなレースというのか、同じ騎手として嫉妬を感じるところもありましたね」と述べ、「20代後半の頃の成貴のような迫力のある騎手は、もう出ないんじゃないですか」と絶賛している。また、同時期に競馬学校を卒業した武豊は、兄弟子の河内洋と田原を最も参考にしたといい、「僕にとってのアイドルだった」と回想している。 トウカイテイオーを管理していた松元省一元調教師は田原の能力を認めていた一人である。松元は田原が騎乗する時には一切指示を出さず田原の好きなように騎乗させた(また、田原は自分の騎乗に指示を出されることを嫌っていた)。そして勝利した時に松元は「さすが成貴」と最高の賛辞を与えていた。元々は松元が管理していたトウカイマーベラスの騎乗を依頼した際、先行型だった同馬を一転、最後方からの競馬で差し切り勝ちを収めたことにある。その勝利がトウカイテイオーの騎乗依頼につながったとされている。
※この「騎手としての特徴・評価」の解説は、「田原成貴」の解説の一部です。
「騎手としての特徴・評価」を含む「田原成貴」の記事については、「田原成貴」の概要を参照ください。
騎手としての特徴・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 09:00 UTC 版)
地方競馬の騎手が中央へ移籍することができる流れを作った先駆者とされるが、これは単に人的な移動を生んだに止まらず、地方騎手(および短期免許で中央にやってくる外国人騎手)が持つ「馬を動かす技術」が中央に持ち込まれたことで技術革新を招いたともされる。 勝己も中央デビュー時に、地方の騎手が中央の騎手より優れている点を尋ねられ、「馬をガツンと動かせるところ」と回答しており、自身も地方競馬での騎手経験がある橋口弘次郎は、勝己についてまず「馬を動かす技術」に魅力を感じて起用をはじめたといい、また地方の小回りコースで培われたコースロスなく立ち回る技術や、スタート、ポジション取りの技術、馬混みの捌き方に対しても高い評価を送っている。また佐々木晶三はその長所としてスタート技術、道中の立ち回り、馬との呼吸の合わせ方、そして「馬が自分から走ろうという気にさせている」点を挙げた。 騎乗フォームは後ろに重心を置き、手綱を持つ拳をあげて馬を推進するという形だった。勝己はダイワメジャーなど「こういうフォームに合う馬も必ずいる」とした一方で、本来的には短い手綱で前に重心を置いたフォームが理想だとしている。勝己のフォームは笠松時代から身に染みついたものであり、直すことができなかったのだという。中央で騎乗をはじめた当初は、自身の「汚い乗り方」に恥ずかしさを覚えていたともいい、騎手引退後に行った川田将雅との対談では「もう少し綺麗に乗って欲しい。馬を動かせることは分かるが、その感じで綺麗にという風に自分の中で変えていってほしい。そういう点も魅せる仕事でもある」との希望を口にしている。 大らかな性格もあり時に大胆な騎乗ぶりをみせた。光彰は「勝己の性格だからできた騎乗」として、残り600メートル手前から先頭に立たせてゴールまで押し切ったザッツザプレンティの菊花賞を挙げている。また横山典弘によれば、勝己はスタートで出遅れなどを起こしても「大した事じゃない」と言うのが口癖であったという。これについて勝己は「思い切った競馬をやろうとしてやっているわけじゃない。出遅れると多くの人はそれをミスに見せないように早めに挽回して、かえってスタミナをなくしてしまう。僕は出遅れたら出遅れたで仕方ないと思って乗っているだけ」であるとし、これに対して横山は「その開き直りが凄い。分かっていてもなかなかできるものじゃない」と評している。 天才肌、感覚派ともいわれた一方で、研究心は旺盛であった。勝己自身の回想によれば、それは騎手デビュー戦における競走中の位置感覚と、競走後にパトロールフィルムで見た実際の位置取りが全く違っていたことに端を発しており、以後自分の騎乗を客観的に分析するという作業を習慣化させていったという。また光彰は、勝己はデビュー当初凡庸な馬ばかりに騎乗していたことで「『どうすれば勝てるのか?』『どう乗れば勝てるのか?』と考えて乗っていた。だから勝己は後からぐんと伸びたのだと思う」と述べている。 勝己や福永洋一と親交をもった作家・プロ雀士の狩野洋一は、「天才騎手」の定義について、「豊富な技術の引き出しをもち、局面に応じて適切に選択できる者」とした上で、中央競馬史における「天才騎手」として福永洋一、武豊、勝己の三者を挙げた。さらにこの三者を比較して「知性・理性で乗るという部分では武、安藤、福永の順。そして直感でいくと順位は逆になる」とし、勝己について「人間の何が凄いって真ん中が一番凄い。武豊と福永洋一を足して2で割った安藤君は凄いと思う。安藤君はいつもとぼけたふりをしているけど、普通の人ではあの芸当はできない」と評している。また、武豊は「天才」について、「強いて言うなら僕とはアプローチの仕方が違う、理解を越えた騎乗で勝つ人」とし、「安藤さんは僕からしたら『えっ!』という乗り方で勝ってしまう。ああいう人が天才なんでしょう」と評した。勝己自身は、落馬事故で騎手生命を絶たれた名古屋競馬の坂本敏美を天才騎手として挙げ、やはり落馬事故で騎手生命を絶たれた福永洋一とも絡め「『天才』と呼ばれる人に限って、大変な事故に遭って引退を余儀なくされている。神様のいたずらだとしたら、あまりに残酷な神様がいることになる。(中略)おれは天才ではないので、致命的な怪我はしないだろうと思っている。謙遜しているのではない。おれは天才じゃなくてよかった、という根拠のない確信みたいなものがあるのだ」と自己評価している。
※この「騎手としての特徴・評価」の解説は、「安藤勝己」の解説の一部です。
「騎手としての特徴・評価」を含む「安藤勝己」の記事については、「安藤勝己」の概要を参照ください。
- 騎手としての特徴・評価のページへのリンク