騎手としての特長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 10:21 UTC 版)
スタートが抜群に巧く逃げ戦法を得意とし、素早くレースの主導権を握り、道中で巧くペースを落としての逃げ切りは「増沢マジック」とも評された。当時のファンの間では「増沢が4コーナーで後ろを振り向いた時は勝利を確信した時だ」とも言われ、また騎手の間でも「4コーナーで振り向いたら絶対勝つ、3コーナーで振り向いたら負ける」とされていた。自身も「どちらかというと先行馬が好き」としているが、その騎手生活のなかで最強馬として挙げているのは、追い込み馬として鳴らしたイシノヒカルである。 またこうした特長から、小回りコースが多く先行策が有利とされるローカル開催での活躍も目立ち、「ローカル男」とも呼ばれ、とくに福島競馬場は「増沢の庭」と呼ばれるほどの圧倒的な強さを誇った。同場では通算勝ち星のほぼ3分の1にあたる671勝を挙げており、増沢が乗るだけで騎乗馬のオッズが下がるという現象も見られた。 自身も認める遅咲きの騎手であり、一般に騎手が引退を始める40歳で関東リーディングを獲得し、以降の13年間で通算勝利の過半数にあたる1259勝を挙げた。この時期は引退年以外はすべて関東リーディング3位以内、全国リーディング5位以内を保っていた。 このように第一線で長く続けられた理由として、小柄で比較的減量苦がなかったこと、落馬による大きな怪我がなかったことなどが挙げられる。また、増沢はダイナガリバーでのダービー、有馬記念制覇に触れ、前者は「(48歳という年齢に対して)『まだ安心して頼める』という信頼を得た」、後者については「名勝負を残せたことで、増沢健在を内外にアピールできた。この1勝は500勝にも相当する」と語り、年齢で敬遠されることによる騎乗数の減少、騎乗馬のレベル低下を避けられたことも挙げている。
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