詩とその影響とは? わかりやすく解説

詩とその影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 07:37 UTC 版)

エミリー・ディキンソン」の記事における「詩とその影響」の解説

エミリーの詩は、他の詩人作品とは異なっていて、しばしば一目見分けがつく。バラード賛美歌の韻律作る才能草稿見られるダッシュ多用と型にはまらない大文字使用風変わりな語彙比喩的描写などにより、独特の叙情詩作っている。 1840年から50年10年間に、マサチューセッツ西部席巻した信仰復興ただ中に、エミリー詩人という天職見出した。彼女の詩の多くが、日常小さな出来事反映であったり、社会大き事件であったりする。その大半は、南北戦争中に作られた。南北戦争が、詩に緊張した感じ与えていると考えている人も多い。エミリーは、一時的にではあるが、自分の詩を出版しよう考えており、文学批評家であるトーマス・ウェントワース・ヒギンソンThomas Wentworth Higginson)にアドバイス求めたほどであった。ヒギンソンはただちに詩人才能認めたが、彼がエミリーの詩を、当時人気のあったロマン主義的なスタイル倣い、より華麗な文体に「改善」しようとすると、エミリーはすぐに出版計画への興味失った1886年死去までに、わずかに7つの詩が世に出され、そのうち5つSpringfield Republican紙上掲載された。死後の1890年代出版され3つの詩集で、エミリーパワフルな奇人であることが証明されたが、詩人として評価されるのは20世紀を待たなければならなかった。エミリーの詩は、その死後、ヒギンソンとメイベル・ルーミス・トッド(Mabel Loomis Todd)によって撰集された。トッドは、収集整理を、ヒギンソンは、編集行った。彼らは、草稿句読法大文字使用法19世紀後半正書法にあわせるため、詩に大幅な編集加え時にはエミリー間違いを減らすために、言葉置き換えを行うこともあった。1890年詩集Poems」がボストン発行され大変な人気となった。それは、1892年終わりまでに、11刷に達したほどである。「Poems: Second Series」(第2集)は1891年発行され1893年には5刷に達し第3集1896年発行された。エミリーの2冊の書簡集は、1894年出版されたが、それはトッドによって過度に編集選り分けなされており、中には日付すら改変されたものがあった。死後の一連の出版によって、エミリーの詩は、初め衆目を集めることになり、ただちに読者得た。ヒギンソンとウィリアム・ディーン・ハウエルズWilliam Dean Howells)の好意的な論評批評支えもあって、詩は1890年から1892年の間、好評博した。だが、90年代後半には否定的な批評台頭する。トーマス・ベイリー・アルドリッチ(Thomas Bailey Aldrich)は、批評誌「アトランティック・マンスリー(Atlantic Monthly)」1892年1月号に、匿名で、影響力のある否定的な批評掲載した。 「ディキンソン奔放グロテスクな想像力備えていたことは明白である。彼女はブレイク神秘主義色濃く染まっており、また、エマーソンの手法の影響強く受けてた・・・しかし、彼女の短詩一貫性がなく、雑然としているのは致命的である・・・一風変わった夢見がちで、中途半端に教養のある、へんぴなニューイングランド(あるいは他のどこか)に住んでいた隠者は、罰を受けずには、引力文法法則無視することができない。」(in Buckingham 281-282) 20世紀初頭には、エミリーの姪であるマーサ・ディキンソン・ビアンチ(Martha Dickinson Bianchi)がさらなる詩集シリーズ出版した。それには、以前には発表されていない詩が多く含まれており、同様に句読法大文字使用法修正されていた。The Single Hound1914年に、 The Life and Letters of Emily DickinsonとThe Complete Poems of Emily Dickinson1924年に、Further Poems of Emily Dickinson1929年世に送られた。トッドとビアンチによって編集された他の書籍は、段階的に以前には発表されていない詩を公開しつつ、1930年代通して出版された。現代詩興隆にともない19世紀における詩形観念では、失敗作だとされていたエミリーの詩は、もはや驚くべきものでもなかったし、新し世代読者とって不快なものでもなかった。そして、フェミニズム新しい波によって、彼女は女性詩人としてより強い支持を得るようになった疑いなく、彼女の上がったが、一般的には初期現代詩人の中の偉大な詩人であるとは考えられていなかった。それは、1937年書かれブラックマー(R.P.Blackmur)の批評においても明白である。 「彼女はプロ詩人でも、アマ詩人でもない。他の女性料理編み物をするのと同じよう飽きもせず個人的な詩を書いていたのである。彼女の言葉を使う天賦の才能や彼女が生きた時代文化的な苦境が、彼女を、背もたれカバー作りではなく詩作駆り立てたのである。……テート指摘するように、彼女が生まれたのはある種詩作には適していた時代であった――すなわち、洗練された異様な幻視詩作である。いくつかの詩篇すぐれて具象的な詩節限ってうならばそうした時代生まれたことは彼女にとって良い方向働いたともいえる。しかし……彼女の詩の大半具象的ではなく断片的な直説法による覚え書きにすぎない残念なことは、彼女にテーマ洞察力観察眼も深い誠実さもあり、あとはいかにして、そしてなぜ、短い断片的な詩節ではなく長い本格的な詩を作るべきかを知っていさえすればよかったということを彼女の全仕事証拠立てているということである。だが、彼女の生きた旧弊的な社会には、彼女が本能によって知ることまではできなかった教え授けるような伝統存在しなかった。」(195初期刊行されテキストは後の読者にはほとんど認められなかった。それらは、エミリー草稿基づいて甚だしく編集加えられていたからである。エミリー詩集新し完全版The Poems of Emily Dickinsonはトーマス・ジョンソン(Thomas H. Johnson)によって、1955年3巻にまとめられ出版された。この版は、後の全てのディキンソン研究基礎となり、その後読者エミリー知らしめた。収められている詩にはタイトルがなく、およその時系列沿って番号振ってあり、ダッシュ不規則に使われ大文字ちりばめられている。また、しばしば極端に言葉省略されている。それらは、最初エミリー残した原稿できるだけ近い形で出版された。後に出版され注釈本には、代わり言い回し多く収録された。それは、編集介在がより制限された中で、読みやすくするために、ジョンソン強いて選んだものであった。後の読者は、ジョンソンによって活字化された、比較原文忠実なエミリーテキストを読むとしても、残された問題注目するだろう。そのテキストは、エミリー原稿がそれらの見た目図式的な特性が彼女の詩を読む際重要であることを暗示していることを主張しているのであることによると、意味のある区別は、詩の中で使われるダッシュ長さ角度差異によって、あるいは、ページの中での配置差異によって描かれるかも知れない主張されることもあった。エミリーの手書きダッシュを、様々な長さ角度印刷記号用いることで、変化つけようとする試みが行われてきた版もいくつかある。研究上の基本文献として標準ジョンソンに取って代わることを目指したR.W.フランクリン1998年版では、原稿ダッシュにより近くなるように、様々な長さダッシュ使用されている。研究者自身が、原稿を見ることで研究がなされなければならない主張する学者もいる。

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