複々線化とは? わかりやすく解説

複々線化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:26 UTC 版)

逢坂山トンネル」の記事における「複々線化」の解説

1965年6月には京都 - 草津間複々線化工事着工され1970年3月9日完成。これにより東山トンネルでは現在の下り外側線が掘削され、新逢坂山トンネルでは現在の上り外側線が新たに掘削された。このうち、新逢坂山トンネル内側トンネル外側トンネル大津付近合流している。つまり山科側から4つ入り口があるが大津口側は3つしかないことになる。

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複々線化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 05:55 UTC 版)

中央線快速」の記事における「複々線化」の解説

この高架化事業とは別に三鷹駅 - 立川駅では複々線化が計画中である。複々線のうち急行線は高規格地下路線となる予定で、実現した場合には中野駅 - 立川駅間を運行している快速停車駅変更迫られると見られる建設費国土交通省試算で約3,600億円と見積もられている。 三鷹駅 - 立川駅間の複々線化は1970年代にはすでに計画されており、そのさなかに開業した西国分寺駅ホーム構造見れば明らかなように用地確保されていた。しかし、複々線化工事着工手間取っているうちに法改正がなされ、高架化する際には脇に側道整備することが義務付けられたため、複々線用地環境側道に転用することになったこのため、仮に複々線化が実現したとしても「緩行線高架快速線地下」という構造になる見込みである。ただし、国分寺駅西側から国立駅東側までは掘割であり、既存線に並行して複々線設置する用地もある。 この複々線利用する特急列車などの優等列車三鷹駅から大深度地下利用した高速地下鉄道によって新宿駅経由し東京駅京葉線につなげるという構想もある。ただし、そのための設備投資費用は約4,500億円とJR東日本だけが負うにはあまりにも巨額のため、国や自治体道路建設整備新幹線並み援助必要だろうといわれている。 政治・行政面では、中央線三鷹駅 - 立川駅間複々線化の都市計画決定している。東京都整備効果が高いが、収支採算性など事業スキーム課題があるとしており、関係機関との調整状況踏まえて新し整備仕組みづくりを検討するとしている。多摩地域市町村大半は「三鷹立川立体化複々線促進協議会」に加入関係省庁に対して要望行っている。この協議会には、中央線乗り入れ先の青梅線五日市線八高線沿線だけでなく、並行する京王線西武新宿線拝島線等の沿線自治体加入している。また山梨県長野県も「中央東線高速化促進広域期成同盟会」を結成し同様の要望行っている。政治家では萩生田光一が複々線化実現自身政策一つとして掲げている。 2025年度に完了する予定であったものの、利用客需要動向財源確保方策確定していないことから、工事着手には至っていない。東京都は、2021年3月付で計画変更届の内容発表した。それによると、2028年度までに完了する予定となっている。

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複々線化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:32 UTC 版)

東急東横線」の記事における「複々線化」の解説

東急目黒線#大規模改良工事」も参照 東横線輸送需要増大対応する抜本的対策一つとして東横線沿線から都心方面に向かう第2ルート確保」が検討されその結果として行われたのが「東横線多摩川園駅 - 日吉駅間4.8kmの複々線化」と「旧目蒲線目黒駅 - 多摩川園駅間の大規模改良」の実施による目蒲線経由での地下鉄への直通運転である。この工事完成により、目蒲線改め目黒線経由での南北線都営三田線への直通運転が行われている。

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複々線化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/09 10:07 UTC 版)

上淀川橋梁」の記事における「複々線化」の解説

京阪神間では、複々線線路4線)に増強する工事1916年大正5年)から順次進められてきた。大阪 - 塚本間は先に工事進み使用開始されたことから、茨木 - 大阪間についても工事着手することになった1937年昭和12年11月から下部構造工事開始された。 新設され橋梁は、従来橋梁に対して上流側に、中心線間隔18メートル離れた位置架設された。径間割は、15.91メートル1連、27.69メートル1連、32.69メートル20連、36.875メートル1連である。橋脚鉄筋コンクリート製の井筒用いて建設された。上部構造は、下淀川橋梁下り線同様にトラスではなくプレートガーダー選択された。これは工期短縮できること工費節約できること、災害時復旧が容易であることなどが理由である。設計1930年昭和5年)に実施されており、この時に従来のフィート・インチ単位からメートル単位移行され、また活荷重計算従来ポンド単位クーパー荷重から1928年昭和3年制定KS荷重移行した上淀川橋梁採用され活荷重はKS-18で、従来クーパー荷重にするとクーパーE40相当である。 1939年昭和14年)には桁の架設完了した。しかし、約80パーセント工程完了した1943年昭和18年)になり、戦争のために残工事中止となってしまった。第二次世界大戦後1952年昭和27年10月工事再開され大阪から宮原操車場までの区間1955年昭和30年1月使用開始され増設された上淀川橋梁供用開始された。1956年昭和31年9月茨木 - 大阪間の全区間複々線での供用開始された。

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