船体すり替え説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:29 UTC 版)
「タイタニック (客船)」の記事における「船体すり替え説」の解説
タイタニックには、姉妹船として「オリンピック」がタイタニックより1年ほど早く北米航路に投入されていた。オリンピックは、タイタニックが就航する前に2回事故を起こしている。 1911年9月30日、サウサンプトン沖合いでイギリス海軍防護巡洋艦「ホーク」と接触、船尾が大破した。この事故はイギリス海軍査問会にて審理され、オリンピック側のミスと認定、海難保険は一切降りなかった。 1912年2月24日、大西洋を航海中に海中の障害物に乗り上げてスクリューブレード1枚を欠損したうえ、船体のキールに歪みが出るほどの損傷を受け、長期間の修理を余儀なくされる。 この2つの事故を鑑みて、「オリンピックは近い将来廃船される予定だったのではないか」というのが、船すり替え説の論拠となっている。つまり、廃棄寸前だったオリンピックを、内装や若干の仕様を変更させて「タイタニック」に仕立て上げて、故意に氷山にぶつかったというのである。 これら一連の陰謀説が唱えられる状況証拠として、 疑問 (1)同船船長が航海直前になってエドワード・スミスに変更になった(彼はオリンピックでの事故時に同船の船長を拝命していた)。回答 (1) 通例、ある船会社で首席の船長は、その会社で最高の客船であるフラグシップ(いわば新造船)を指揮する特権があった。オリンピックはタイタニックが完成するまでホワイト・スター・ラインのフラグシップであり、その船長だったスミスはホワイト・スター・ラインの最も誉ある立場におり、船乗りとしての最後の海上生活の華を飾る航海に、当時建造されたばかりのタイタニックが付与されたのは全くもって普通のことだった。 疑問 (2)石炭庫の火災が氷山との接触事故前日まで鎮火しなかった(わざと延焼させて船体を弱体化させていた)。回答 (2) 石炭の自然発火は汽船の歴史の中でよくあることで、とくに気密性の高い船は石炭の粉塵に引火したことが原因で火災になることがあった。一方でこれらの火災は石炭庫の酸素がなくなれば自然と鎮火するもので、大事に至るようなことはまずなかったとみられる。高い気密性のゆえに引火(小規模な粉じん爆発)するのだが、その気密性のゆえに自然に鎮火するので、船体まで延焼する事はほぼ否定できる。また、ボイラー室でも消火作業は行われていたが、下手に火災箇所に近づくことは逆にクルーの命を奪う可能性もあり危険(当時は酸素ボンベやマスクはまだ開発途中で、存在しない)。炎もくすぶるというほうが表現は正しく、実際にはボヤだった。 疑問 (3)大西洋を航海中の船から7回「氷山警報」が送られており、その中には航路上に存在する可能性もある氷山もあったが、ことごとく無視された(カリフォルニアンに至っては「氷に囲まれて身動きが取れない」と意味深いメッセージが送られている)。回答 (3) しかしタイタニックの通信士はレース岬と通信を取るのに必死で他からの通信を邪魔だと思っていた。また、カリフォルニアンからの通信は当時の通信規則を破っていたために単なる雑音としか聞こえず、軽視されたという事情がある(衝撃の瞬間より)。また当時は炭鉱労働者ストライキ中で、タイタニックのニューヨーク到達が辛うじて可能と見込まれる程度の石炭しかかき集められず、しかも前述の石炭庫火災で減少し、加えてその延焼もあって該当石炭庫から可能な限り早急に優先してボイラーに投じられており、最早遠回りを可能とするだけの石炭の余裕はなかった。当時左前だった船主のホワイト・スター・ライン社にはタイタニックを洋上で立ち往生させて汚名を被る訳にはいかなかった。 疑問 (4)サウサンプトン出港後に、見張り用双眼鏡が一切使用不能になっていた(引継ぎ不備にしてもロッカーをこじ開ける等の方法はあった筈である)。回答 (4) 双眼鏡はベルファストからサウサンプトンまで随伴した航海士が自室のロッカーに仕舞いこみそのまま下船してしまった事が紛失の原因である。つまり他の乗組員はロッカー内に双眼鏡が存在するということを全く知らなかった、または見落としていた可能性が大きい。ここからはその後どの様な捜索が行われたか?と言う問題になるが、しかし新造船のロッカーを壊すかまたはこじ開けてしてまであちこちを探すような方法を、いくら航海士官と言えどもそこまでして探そうとするか?には疑問が残る。たしかに双眼鏡・望遠鏡の役割として、遠くを細かく見るだけでなく光量の少ない夜間に対象や景色を明るく見るためと言うものはある(明るさの値の大きい双眼鏡・望遠鏡は第一世代の暗視装置より明瞭であり、軍でも昼夜問わず用いられる)が、処女航海のあわただしさの中で、双眼鏡の重要性が見落とされていたという可能性も否定できない。 疑問 (5)航海中の巡航速度は、常に22ノット以上であった(見張りが不備な状況では非常識な速度であるという意見もある)。回答 (5) これは当時の航海に関する人々の見識と深くかかわっている問題である。港湾や入江、暗礁などの点在する岸辺を運航する船舶を除き、大西洋の広大な海原を進む客船は、一定の運航スケジュールにのっとって航海しており、ほぼ船の巡航速力(タイタニックの場合22ノット〜23ノット、ちなみに最高速力は24ノットである)を維持するのが普通であった。また現代のクルーズ客船と異なり、当時の船は飛行機や鉄道に等しい一つの移動手段であり、ブルーリボン賞とは関係なく、それなりの速力と正確な運航が求められていたことは言うまでもない。そしてタイタニック遭難時の気象状況も事故を深刻にした大きな理由の1つであった。波一つなく月も出ない大西洋は、氷山が発見しにくいという点を除き、非常にまれながら安定した航海のできる状態にあった。また前述の石炭庫火災及びその延焼もあって、該当石炭庫から可能な限り早急に優先してボイラーに投じられているのも、速度を落とせなかった要因の一つであった。 疑問 (6)氷山激突当日、近海に貨物船カリフォルニアンがいた(同船は、普段は別海域を航海していた)。回答 (6) カリフォルニアンが普段は別海域のみを航海していたという証拠は存在しない上、船舶会社に所属する貨物船である以上、世界中の海域を航海することに何の不思議もない。さらに、カリフォルニアンが近海にいたこととタイタニックの沈没の因果関係は全くない。しかも、上記のようにカリフォルニアンは氷山を含む流氷の警告をタイタニックに行っていた。 疑問 (7)沈没時に、氷山と激突した箇所とは別に船体が自重で折れてしまった(船体が自重で折れるという事は、設計上普通に有り得ない)。回答 (7) 通常の航行状態であればその通りと言える。しかし、タイタニックの船体が第三煙突付近で折れたのは、船体前部の浸水で後部が大きく水上に持ち上げられた沈没直前のことであり、通常このような異常な状態において船体を保証する設計は行われていない。 疑問 (8)タイタニックが沈没した際、100万ポンドの保険金が降りた(当時としては異例の金額であり、建造費用50万ポンドを大きく上回る)。回答 (8) 遺族への慰安費、賠償金も含まれている。 などが挙げられている。 同型船とはいえ、オリンピックとタイタニックには構造上の相違点がいくつかあり、そのもっとも大きな違いはボート甲板直下のAデッキ(プロムナードデッキ)の差である。またBデッキの一等船室の配置も数も異なり、オリンピックに比べてタイタニックでは一等客の定員が大幅に増加している。 オリンピックとタイタニックをすり替えるためには、オリンピックが座礁した2月24日から4月10日のタイタニックの処女航海までにこれらの工事を終える必要があり、両船の船員全員を配置転換しなければならないこと、改修に関与する造船所の工員の数などを考えると、すり替えが成立する根拠はほぼない。
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