ぎ【義】
読み方:ぎ
[音]ギ(呉)(漢)
1 人のふみ行うべき正しい筋道。「義務・義理/恩義・信義・仁義・正義・大義・忠義・道義・徳義・不義」
2 私欲を捨て、公共のためにすること。「義塾・義倉・義捐金(ぎえんきん)」
ぎ【義】
ぎ 【義】
義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/08 08:12 UTC 版)
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義(ぎ)は、人間の行動・思想・道徳で、「よい」「ただしい」とされる概念である[要出典]。義人とは「堅く正義を守る人。わが身の利害をかえりみずに他人のために尽くす人」(広辞苑第6版)。 対義語で、行動・志操・道徳が「わるい」「よこしま」を意味する概念は「奸」(かん)という[要出典]。
漢字における「義」には、本来「外から来て固有ではないもの」という意味があり、義手・義足や義父母・義兄弟などの語にはこうした意味があるが、後には血縁関係にない仲間同士を結び付ける倫理を意味するようになった。更に時代が下って後漢末期に入ると「他者と共同で行う第三者のための事業」という意味も発生し、義舎・義学・義田などの無償の施設などを指す言葉としても用いられた[1]。
儒教における「義」
儒教における義は、儒教の主要な思想であり、五常(仁・義・礼・智・信)のひとつである。正しい行いを守ることであり、人間の欲望を追求する「利」と対立する概念として考えられた(義利の辨)。孟子は羞悪の心が義の端であると説いた。羞悪の心とは、悪すなわちわるく・劣り・欠け、あるいはほしいままに振舞う心性を羞(は)じる心のこと。
仏教における「義」
仏教における義は、仏教そのものの思想ではなく、中国における義の観念と結びついた事業を指す語として用いられた。後漢末期から南北朝時代にかけての中国では戦乱によって多くの人々が故郷を離れて流浪し、それまでの血縁・地縁による結合が解体した。折しも仏教の中国伝来と重なる時代であり、大乗仏教が持つ利他思想と他者と結びつく・救済するという中国の義の観念が融合して、同じ仏教徒の間で血縁や地縁を越えて共同して造寺・造仏・慈善事業が行われた。中国ではこうした集団を「法義」や「邑義」と称し、朝鮮半島や日本では「知識」と称された[1]。
キリスト教における「義」
キリスト教における義という訳語は、ギリシア語でΔικαιοσυνη dikaiosynee ディカイオシュネーと呼ばれるもので、罪の対立概念とされる。これは他者に対して義(ただ)しい、誠実な、偽りのない態度で臨むこと、またそのような態度が可能である魂の状態をいう。義しい人を義人と呼ぶ。
神によって「義とされる」(義とする:ディカイオオー)ことも同じ問題圏に属する。
真に義であるのは神のみである(「義人はいない」)が、人間は神を信じることにおいて義さに近づくことができる。信じないことは不義と同義であるとされる。『ヤコブの手紙』によれば義しさは、神への信仰を表明することのみならず、他の人間に対する行為において現れる。
ルターは人が行動において義とされること(行為義認)を否定し、信仰によってのみ人が義とされる(信仰義認)と考え、それまでのキリスト教で行われていた苦行、断食などを否定した。
諱における「義」
義(よし)は、清和源氏、足利将軍家の武将・当主の諱において代々用いられた通字である。足利将軍家では、二代将軍・足利義詮以来、将軍は義の字を上にして、義満、義持などと名乗った。
当時、武士の社会では主君より諱の一字を受けることが家臣の栄誉と考えられており、将軍の諱も臣下たる守護大名、戦国大名に尊重された。故に各地の大名は幕府に寄進し、義の字ないし将軍の諱のうちの一字を賜った。これを一字拝領、一字書き出し、偏諱などともいった。足利義晴の時代にも、義の字を受けた武将として、大内義隆、晴の字を受けた武将に武田晴信 伊達晴宗 長尾晴景などがいる。義の字を受けようとする者は、幕府に500貫以上の献金を要し、諱の下の文字は300貫とされた。
今日でも人名において広く用いられている。
日本語における「義」
義(ぎ)は日本語で漢字を用いる際の「意味」を表す。漢字の三要素は字形、音、字義とされている。用語を判断する基準となる。
脚注
- ^ a b 竹内亮「知識結集の源流」『日本古代の寺院と社会』(塙書房、2016年) ISBN 978-4-8273-1280-5
関連項目
外部リンク
義
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義
義
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「義」の例文・使い方・用例・文例
- 正義に関する抽象的論議
- 彼の講義はそれほど難しくはなかった
- 菜食主義の
- 義足
- 正義はおのずから明らかになるものだ
- 独身主義の男性
- 民主主義のとりで
- この講義の目的は映画を分析することである
- 民主主義は古代ギリシャに始まった
- 退屈な講義
- 私たちは法律に従う義務がある
- 何人かの生徒が講義の中休み中に話をし始めた
- 簡潔は機知の精髄;下手の長談義
- 定義上は
- 常に身分証明書を携帯することが義務づけられている
- 大義のために戦う
- 彼は男尊女卑主義者だ
- 市民の義務
- 公正な選挙は民主主義の生命線である
- もうけ主義の病院
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