経歴と主な業績とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 経歴と主な業績の意味・解説 

経歴と主な業績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 10:14 UTC 版)

フレデリック・ソディ」の記事における「経歴と主な業績」の解説

イングランドイーストボーン生まれる。15歳のとき、将来技師になることを目指してイーストボーン・カレッジに入学した2年後にユニヴァーシティ・カレッジへ転学し、ここで科学古典学学んだ。さらにオックスフォード大学マートンカレッジ入りオドリング教授のもとで有機化学学んだ。ここでBA (Bachelor of Arts) の学位取得したその頃オックスフォード大学では古典文学神学政治学などが主流で、自然科学は振るわなかった。そこでソディは、たまたまカナダトロント大学化学教師空席があることを知り、その席を得よう招かれたわけでもないのに一方的に乗り込んだが、その数日前前任者復帰していたのでこの無謀な企て徒労終わったあきらめて帰国する途中、たまたま立ち寄ったモントリオールマギル大学ハリントン教授カナダに来た事情話したところ、運よく化学助手欠員があったので年俸100ポンド採用されることになった (1900年)。 この大学ソディアーネスト・ラザフォード放射性崩壊研究おこなったソディラザフォード放射性元素特異な性質が、他の元素へと崩壊することによって起きることを明らかにした。この放射性崩壊アルファ線ベータ線ガンマ線発生させていた。放射性物質発見され当時誰にもその原因はわからなかったのである原子変化実際に起きていることを証明するため、ソディラザフォード慎重に研究進める必要があった。この研究結果1902年に「原子壊変説」(放射性変換説ともいう) として発表された。 ラザフォードクライストチャーチニュージーランド大学卒業後、ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所への留学希望して英連邦奨学金申請したが、惜しくも次点であった。しかし一位人物個人的な理由辞退したため繰り上げ奨学金受け取れることになり、希望を果たすことが出来た1898年ケンブリッジ大学からマギル大学物理学教授として就任した学内アカデミックな会合ソディ知り合い共同研究をすることになった。つまり、ソディラザフォード出会い双方の偶然が重なりあった結果であったソディ研究放射性物質に関する新たな知見わかりやすく紹介した評論は、ハーバート・ジョージ・ウェルズ小説解放され世界英語版)』(1914年)に大きなインスピレーション与えた。この小説未来起き長期戦争複葉機から投下される原子爆弾描かれていることが特徴で、混乱から平和な社会出現する内容である。ソディ著書Wealth, Virtual Wealth and Debt(富,仮想的な富そして負債)』(1926年)においてウェルズの『解放され世界』を称賛している。ソディまた、放射性物質プロセスがおそらく恒星原動力であろう述べている。 1903年ソディウィリアム・ラムゼーユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで、ラジウムエマネーションの崩壊によりヘリウム生成することを確認した。しかし、この時点ではまだヘリウム生成アルファ粒子関連付けはできなかった。この成分 (ヘリウム) は1868年ピエール・ジャンサンノーマン・ロッキャーによって、太陽スペクトル分析から発見されいたものであった1908年アーネスト・ラザフォードとトーマス・ロイズ が共同実験行なった。この実験で、ラジウム試料中空ガラス球内に設置されガラス容器封入された。アルファ粒子は薄いガラスの壁を通り抜けることができたが、その周囲ガラス容器中にとどまった長い時間をかけた実験ののち、ガラス球の内容物スペクトル解析した結果ヘリウム存在明らかになった。結局ラザフォードロイズによってアルファ粒子アルファ線)の正体ヘリウム原子核であることが明らかにされた。 1904年から1914年までソディグラスゴー大学講師務めたこの間ウランラジウムへと崩壊することを示し両者の間にウランX2 (プロトアクチニウム234歴史的名称) が存在することを発見し、さらにこの系列属すイオニウム (トリウム230歴史的名称) の周期律表上の位置半減期決定したソディまた、放射性元素化学的性質同一にかかわらず複数原子量を持つ可能性示したソディはこの概念を、「同じ場所」を意味するアイソトープ」と名付けた。この名前はマーガレット・トッド(Margaret Todd)から示唆受けたのである。のちにジョゼフ・ジョン・トムソンが非放射性元素複数原子量持ちうることを示したソディアルファ崩壊では原子番号2つ小さい方へ、ベータ崩壊では1つ大きい方へと原子遷移することを示した。これは放射性元素群の関係を理解する上で基礎となるステップだった。 1914年にはアバディーン大学教授任命され第一次世界大戦関連した研究おこなった1919年化学教授としてオックスフォード大学移り1936年退職するまで務めたソディ研究室講義要目再編を手がけている。1921年放射性崩壊研究同位体元素理論公式化への貢献により、ノーベル化学賞受賞した1921年から1934年までの間に執筆した4冊の著書では、「国際金融関係の根本的な再構築のための非現実的な活動」を続け経済学について物理学とりわけ熱力学の法則基づいた見解提供したが、「変人」として痛烈に退けられた。彼の主張核心は「金本位制捨てて国際為替市場変動相場制移行し輸出超過財政赤字マクロ経済政策ツールとして周期的な傾向対応する。これを容易にするため、消費者物価指数を含む経済統計部局設置する」というものであったが、これは今日ごく普通に実施されている。一方ソディのフラクショナルリザーブ銀行Fractional-reserve bankingに関する意見は「現在も常識範疇の外にとどまっている」。 1936年六球連鎖の定理再発見した。この問題登場する内接した円弧は「ソディ円弧」として知られていることがある月のクレーターであるソディ(Soddy (crater))は彼にちなんで名付けられた。ソディ1956年ブライトン死去した

※この「経歴と主な業績」の解説は、「フレデリック・ソディ」の解説の一部です。
「経歴と主な業績」を含む「フレデリック・ソディ」の記事については、「フレデリック・ソディ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「経歴と主な業績」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「経歴と主な業績」の関連用語

経歴と主な業績のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



経歴と主な業績のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのフレデリック・ソディ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS