経歴とファンダム活動
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「フォレスト・J・アッカーマン」の記事における「経歴とファンダム活動」の解説
1922年に映画 One Glorious Day に出会って衝撃を受け、1926年に初めてSF雑誌アメージング・ストーリーズを買い、1930年には The Boys' Scientifiction Club を結成した(Boysとあるのは、当時女性SFファンはユニコーンの角よりも珍しかったため)。1932年には世界初と言われているSFファンジン The Time Traveller に関わり、後にスーパーマンで名声を勝ち取ることになるシーゲルとシャスターが創刊したファンジン Science Fiction にも関わった。アッカーマンの名は Science Fiction 第3号に掲載された "The Reign of the Super-Man" の中にリポーターとして登場している。彼はロサンゼルス・サイエンス・ファンタジー協会 (LASFS) の初期会員の1人でもあり、数十年に渡って同協会で活発に活動した。 1939年には第1回ワールドコンに参加し、世界初のコスプレ(アッカーマンは "futuristicostume" と名付けた)をした。2回を除いて、アッカーマンは生涯全てのワールドコンに参加している。アッカーマンはロサンゼルスの繁華街のカフェテリアで毎週集まっていた Science Fiction League のロサンゼルス支部の集会にレイ・ブラッドベリを連れて行った。なお、この集まりが後にロサンゼルス・サイエンス・ファンタジー協会 (LASFS) となった。そこによく来ていた作家としては、ロバート・A・ハインライン、フレドリック・ブラウン、ヘンリー・カットナー、リイ・ブラケット、ジャック・ウィリアムスンらがいる。ブラッドベリは友人のレイ・ハリーハウゼンを伴って参加していた。1939年、ブラッドベリはアッカーマンから90ドルの資金援助を受け、Futuria Fantasia というファンジンを立ち上げている。 アッカーマンはSF映画、ファンタジー映画、ホラー映画などにゆかりのある品々を多数収集したコレクションを所有し、2002年までそれらを "Son of Ackermansion" と名付けた18部屋もある自宅兼博物館に収めていた(もともとの「アッカーマンション」は1950年代から1970年代まで住んでいた家で、現存しない)。この2代目アッカーマンションには30万冊の本と1951年から2002年まで収集した様々な映画とSF関連の品があった。アッカーマンはここで5万人ものファンを歓待し、ある夜などは186人のファンとプロの作家、さらには宇宙飛行士エドウィン・オルドリンまで訪れたことがある。アッカーマンはシアトルの Science Fiction Museum and Hall of Fame の役員でもあり、今ではそのコレクションの多くはそちらで展示している。 彼は20世紀前半のSF作家の多くと知り合いだった。版権代理人として200人の作家の代理人を務めていた。また、作家の死後も代理人を続け、アンソロジーなどに作品が掲載される場合の業務を行っていた。作家ではないがエド・ウッドの代理人も務めた。アッカーマンは同時代の若い作家の育成にも寄与しており、例えばレイ・ブラッドベリ、レイ・ハリーハウゼン、マリオン・ジマー・ブラッドリー、L・ロン・ハバードなどが彼の世話になっている。 作家としてのアッカーマンは50の小説を商業誌で発表している。A・E・ヴァン・ヴォークト、マリオン・ジマー・ブラッドリー、ドナルド・A・ウォルハイム、C・L・ムーアといった作家との合作もあるし、世界一短い1文字だけの短編小説という作品もある。その作品は6ヶ国語に翻訳されている。コミックのセクシーなキャラクターヴァンピレラの名付け親でもあり、そのコミックの原作も手がけている。 彼はまた "Laurajean Ermayne" というペンネームで Vice Versa という雑誌にレズビアン小説を書いたことがある。またレズビアン人権団体 Daughters of Bilitis の初期の広報活動を助けた。DOBのパーティでは「名誉レズビアン」と呼ばれた。 1958年から1983年まで Famous Monsters of Filmland という雑誌を発行し、SF映画、ファンタジー映画、ホラー映画の歴史を若い世代の読者に紹介した。多くの映画雑誌がスターを中心に扱っていたのに対して、アッカーマンは映画製作の現場で活躍するアーティストに注目した。そうしてアッカーマンは後のアーティストに大きな影響を与えた。例えば、ピーター・ジャクソン、スティーヴン・スピルバーグ、ティム・バートン、スティーヴン・キング、ビリー・ボブ・ソーントン、ジーン・シモンズ(キッス)、リック・ベイカー、ジョージ・ルーカス、ダニー・エルフマン、フランク・ダラボン、ジョン・ランディス、さらには無数の作家、監督、アーティスト、職人がこの雑誌に影響を受けた。 彼は世界中の映画雑誌にも寄稿していた。例えばアルゼンチンの雑誌 La Cosa: Cine Fantástico には4年間コラムを連載していた。 1960年代、アッカーマンはドイツのSFシリーズ「宇宙英雄ペリー・ローダン」シリーズの英語訳をアメリカで出版することを企画した。史上最も長い小説シリーズである。1967年から1977年までエース・ブックスで出版された。アッカーマンの妻はドイツ語も堪能で、ほとんどの翻訳を行った。アメリカ版の同シリーズは不定期に月1冊から月4冊まで出版された。後にエース・ブックスの経営方針が変わったため、ペリー・ローダンはドイツ版の126話までで打ち切られた(2話を1話にしたものや、飛ばしたエピソードがあるため、実際のアメリカ版の話数は118だった)。後にアッカーマンはドイツ版の127話から145話までを出版した。ちなみにドイツでは同シリーズは2007年に2400話を越え、今も続いている。
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