第1~第8陸軍航空技術研究所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 10:38 UTC 版)
「陸軍航空技術研究所」の記事における「第1~第8陸軍航空技術研究所」の解説
1942年(昭和17年)10月、陸軍航空技術研究所令改正(勅令第680号)が施行され、従来の航空技術研究所は総務部が陸軍航空本部に統合され、それ以外の第二部から第八部は航空本部隷下の第1陸軍航空技術研究所から第8陸軍航空技術研究所(以下、場合により総称として各研究所、あるいは第1研究所などと略)の8つの研究所に分離独立した。第1から第8まで各研究所を合算した定員は将校、各部将校、技師が186名、准士官、各部准士官が16名、下士官、各部下士官、判任文官238名の合計440名であった。各研究所本部は従来の航空技術研究所敷地内にそれぞれ新たに設置されたが、公式な住所は立川市西隣の北多摩郡昭和町である(以下、便宜のため各研究所の所在地は立川と表記)。 これは航空兵器の研究開発、生産、補給、修理の指導、統制強化を主要な目的とした陸軍航空機構刷新の一端であり、同時に陸軍航空本部の編制が改正され、ほかにも陸軍飛行実験部は陸軍航空審査部(以下、場合により航空審査部と略)に改編された。それまで航空技術研究所が行っていた審査業務はすべて航空審査部に移管された。以後兵器の研究と試作は明確に区分され、試作は航空本部が直接指示して試作機関に行わせることとなった。それまで航空技術研究所が独自に指示をして乱発ともいえる兵器試作が行われてきたものが、航空本部により厳密に管理された。また航空技術研究所満州支所は改編され、航空審査部の満州支部となった。 同年同月「陸軍航空技術研究所ノ所掌事項ニ関スル件」(陸達第65号)により定められた各研究所が掌る業務は次のとおりである(1942年10月時点)。 第1陸軍航空技術研究所 飛行機(他研究所所掌事項を除く)に関する研究 プロペラに関する研究 第2陸軍航空技術研究所 航空に関する原動機に関する研究 第3陸軍航空技術研究所 航空に関する武器、弾薬、その他射撃、爆撃に関する兵器(他研究所所掌事項を除く)の研究 航空化学兵器に関する研究 第4陸軍航空技術研究所 航空に関する通信兵器に関する研究 電波を主とする航空兵器に関する研究 第5陸軍航空技術研究所 航空に関する光学兵器に関する研究 航空に関する計測器に関する研究 第6陸軍航空技術研究所 航空に関する兵器材料に関する研究 航空に関する燃料、脂油に関する研究 第7陸軍航空技術研究所 航空被服に関する研究 航空糧食に関する研究 航空に関する特殊施設および航空建築土木器具に関する研究 第8陸軍航空技術研究所 航空衛生および航空心理に関する研究 航空衛生に関連する兵器に関する研究 航空勤務者の身体検査に関する事項 単一であった研究所の分離独立は研究各部門を強化し、それぞれの研究を徹底的に行うという時局の要請によるものである。その一方で各研究所の分離化により、飛行機を中心にして進められるべき航空技術研究に総合性の面で欠陥を生じ、各研究所の研究自体が散漫希薄なものになったと戦後の公刊戦史は指摘している。 各研究所は従来どおり日本各地に出張所を置いた。確認できる出張所は次のとおり(1944年時点)。ただし、それぞれが第1研究所から第8研究所のいずれの出張所であるのかは不明である。 太田出張所(群馬県新田郡太田町)、荻窪出張所(東京市杉並区宿町)、熱田出張所(名古屋市港区大江町)、大曽根出張所(名古屋市東区大幸町)、各務原出張所(岐阜県稲葉郡蘇原村)、明石出張所(兵庫県明石郡林崎村)、浜松出張所(浜松市中沢町)、神戸出張所(神戸市灘区日出町)、下関出張所(下関市大字豊浦村古都ノ浜)、日光出張所(栃木県日光町清滝)、安来出張所(島根県安来町)、大森出張所(大森区大森)、築地出張所(名古屋市港区竜宮町)、砂川出張所(東京府北多摩郡大和村)、調布出張所(東京府北多摩郡調布町)、大阪出張所(大阪市此花区島屋町) 1943年(昭和18年)6月、第4陸軍航空技術研究所の電波兵器研究部門を、地上兵器の研究開発等を担当する陸軍兵器行政本部所管の第2、第5、第7陸軍技術研究所の各電波兵器研究部門と統合し、多摩陸軍技術研究所が設立された。電波兵器の戦力化は戦局に直接影響するものであり、各研究所間に分散していた技術力を結集し、戦力化を促進することの必要性があったためである。 1944年(昭和19年)末ごろより米軍の本土爆撃が激しくなり、各研究所は疎開のため大都市から離れた地に出張所を設置するようになった。閲覧可能な資料で確認できる出張所は次のとおりである(1945年2月時点)。 第1研究所:木月出張所(神奈川県)、甲府出張所(山梨県)。 第2研究所:高山出張所(岐阜県)、岡谷出張所(長野県)。 第3研究所:三方原出張所(静岡県)。 第4研究所:八王子出張所(東京都)。 第5研究所:志村出張所(東京都)、屋代研究所(長野県)、足柄研究所(神奈川県)。 第7研究所:秩父出張所(埼玉県)。 1945年(昭和20年)2月以降、第1から第8研究所本部をふくむ各種の軍事施設と軍需工場が密集する立川と周辺地区は複数回の空襲を受けた。各航空技術研究所本部は業務に影響がおよぶほどの被害を受け、本部そのものを移転する研究所もあった。下に掲げるのは1945年8月までの各研究所本部の状況と設置ずみ、または設置予定であった各出張所である。 第1陸軍航空技術研究所 立川本部は風洞施設を小破のほか大部分を焼失し、近隣の西多摩郡福生町で本部業務を行った。木月出張所(神奈川県川崎市木月町) 飛行機に関する研究業務 甲府出張所(山梨県甲府市朝気町) 飛行機に関する研究業務 ※ 爆撃により全焼 第2陸軍航空技術研究所 立川本部は発動機運転施設を中破のほか、一部をのぞき焼失または破壊の被害を受けた。高山出張所(岐阜県高山市千島町) 航空原動機の高空性能試験に関する業務 岡谷出張所(長野県岡谷市小井川) 航空に関する原動機の研究業務 第3陸軍航空技術研究所 立川本部はほとんど全部の施設を焼失または大破し、福生町へ移転した。三方原出張所(静岡県引佐郡気賀町西気賀) 航空化学兵器に関する研究業務 阿宇ヶ浦出張所(茨城県那珂郡前渡村) 航空に関する爆弾ならびに爆撃器材に関する研究業務 第4陸軍航空技術研究所 立川本部の施設全部を焼失し、東京都八王子市に本部を移転したが同地も全焼した。橋本出張所(神奈川県相模原町橋本) 超短波多重研究および地上電源の審査業務 中巨摩出張所(山梨県中巨摩郡増穂) 地上器材、航空器材の研究および審査業務 第5陸軍航空技術研究所 立川本部は爆撃により中破した。屋代出張所(長野県埴科郡屋代町) 航空に関する計測器の研究業務 ※ 工場未完成 足柄出張所(神奈川県足柄上郡南足柄町) 航空に関する光学兵器の研究業務 第6陸軍航空技術研究所 立川本部は爆撃により中破した。京都出張所(京都府愛宕郡岩倉村) 航空に関する金属材料の研究業務 日光出張所(栃木県上都賀郡今市町)熱電対材料、空盆材料の溶解対アルコール燃料防蝕法の研究および審査業務 第7陸軍航空技術研究所 立川本部は全焼し、東京都西多摩郡青梅町に本部を移転した。秩父出張所(埼玉県秩父町熊木) 航空被服および同関連資材に関する研究業務 甲府出張所(山梨県甲府市伊勢町) 航空糧食および同関連器材の研究業務 ※ 爆撃により全焼 第8陸軍航空技術研究所 立川本部施設の大部分を大破または焼失した。新潟出張所(新潟県新潟市関屋) 航空衛生および同関連兵器の研究業務 ※ 移転中 由木出張所(東京都南多摩郡由木村) 酸素関係事項の研究および審査業務 1945年(昭和20年)8月、日本政府はポツダム宣言を受諾し太平洋戦争は日本の敗戦で終結した。第1から第8陸軍航空技術研究所の具体的な廃止または閉鎖の時期は確認できないが、8月下旬以降、日本陸軍は従来の機能を失っている。各研究所を統轄する上級組織である陸軍航空本部は同年11月15日に廃止され、研究所の根拠となる陸軍航空技術研究所令は、同年11月13日施行の「陸海軍ノ復員ニ伴ヒ不要ト為ルベキ勅令ノ廃止ニ関スル件」(勅令第632号)により翌1946年(昭和21年)3月31日までに廃止されることになった。
※この「第1~第8陸軍航空技術研究所」の解説は、「陸軍航空技術研究所」の解説の一部です。
「第1~第8陸軍航空技術研究所」を含む「陸軍航空技術研究所」の記事については、「陸軍航空技術研究所」の概要を参照ください。
- 第1~第8陸軍航空技術研究所のページへのリンク