秋田市電とは? わかりやすく解説

秋田市電

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/23 21:31 UTC 版)

秋田市電(あきたしでん)は、かつて秋田市秋田市交通局)が経営していた路面電車である。


注釈

  1. ^ 諸説(大正11年1月17日動力変更『鉄道省鉄道統計資料. 大正11年度』)あるが吉川は大正11年1月発行の秋田魁新報に掲載された電車開通の広告により1月21日を正としている[14]
  2. ^ 秋田市写真館 街の思い出 路面電車(秋田市企画財政部広報広聴課、2012年1月19日閲覧)に建都350年の花電車の写真がある。なお、秋田市公式ホームページ-「市民のかたへ」内「広報 映写室(動画配信)」コーナーに「秋田市ニュース 建都350年祭」の動画があり、後半に花電車が写っている。
  3. ^ 写真を一見して車両限界を突破していることは明らかで(特に奥の2台目の電車)、いかなる許認可で運転したか不明。
  4. ^ 新大工町の廃止年月日について参考文献『写真帖 秋田の路面電車』は、[29]では1955年(昭和30年)4月1日廃止としているが、[30]の年表では昭和三十年の欄と昭和三十四年の欄にそれぞれ「新大工町線は廃止。」「新大工町停留所は三月三十一日限りで廃止。」と記すなど時系列の混乱が見られる。[31]に著者撮影の新大工町停留所に停車する22・23・113の写真が掲載されているが、23はダッシュボードに「土崎 - 新大工町」の行先表示板を装着しており、撮影場所を(交通局車庫)、撮影年月日を昭和34年1月5日としている。
  5. ^ 日本路面電車史 都市生活支えて百余年 秋田市電のラッセル車 1952(昭和27)年12月[リンク切れ](毎日jp 毎日新聞社、2012年1月16日閲覧)の写真では、日本勧業銀行前の大町二丁目電停で20形25号がスノープロウを取り付けている。
  6. ^ 12両注文しており2両が完成。工場で試運転をしたとの記事が掲載[34]
  7. ^ 吉川によると竣工図表には「日本車輌」とある。しかしこの時期の日本車輌が木造とはいえ僅か8年で車体更新となるような粗雑な車体を製造したことについては疑問があり、鉄道省へ提出した改造設計認可書類には「日本電機車輛の主電動機をウェスチングハウス製に交換」とあることから、実際の製造は日本電機車輛であったと見られている。他の日本電機車輛製の車両としては信貴生駒電鉄100形があるが、こちらも製造後わずか4年で休車、12年で「老朽化のため」廃車となっている。
  8. ^ 京都市交通局および監督官庁所蔵の資料では京都電気鉄道からの引き継ぎ車両はすべて「1918年(大正7年)製造」と引き継ぎされた年が製造年と記されており、製造年を直接断定できる資料は発見されていない。
  9. ^ 名義上のことで、実質的には部品を流用した新製である。
  10. ^ どちらも戦後に休車から復旧する際に木造で車体を新製した車両であった。

出典

  1. ^ 「写真帖 秋田の路面電車」p.7。
  2. ^ 原口隆行『日本の路面電車II-廃止路線・東日本編-』37頁。
  3. ^ 金沢二郎「秋田市交通局」『私鉄車両めぐり特輯』1、24頁
  4. ^ a b 「軌道譲渡」『官報』1941年4月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ a b 『秋田市史』第4巻、366-367頁
  6. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治28年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ a b c d 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 宮松丈夫『路面電車-チン・チンでんしゃ-走りつづけて90年-』195頁。
  9. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治43年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 『秋田市史』第4巻、369頁
  11. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1916年10月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 『銀行会社要録 : 附・役員録. 25版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ a b 『秋田市史』第4巻、585頁
  14. ^ a b 「回想・秋田市電」114頁
  15. ^ 『秋田市史』第4巻、586頁
  16. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1928年4月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第39回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 秋田県多額納税者、土木建築請負業『人事興信録. 9版(昭和6年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ 「軌道敷設権譲渡」『官報』1930年9月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ 「軌道特許失効」『官報』1933年8月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  21. ^ 「軌道起業廃止」『官報』1939年10月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  22. ^ 「軌道運輸営業廃止実施」『官報』1940年1月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「写真帖 秋田の路面電車」p.9。
  24. ^ 「写真帖 秋田の路面電車」p.13。
  25. ^ 広報あきた 第46号 新装なった将軍野駅 昭和28年9月1日発行PDFファイル(秋田市企画財政部広報広聴課、2016年5月16日閲覧。)
  26. ^ 「車庫庁舎も完工 」『秋田市ホームページ 広報あきた No.118- 1958-07-01』2017年12月3日閲覧。
  27. ^ 「5 都市計画年表」『秋田市ホームページ 都市計画の概要 資料編 (2015年1月作成)』2017年12月3日閲覧。
  28. ^ a b 「表 - 2 路線の廃止 昭和34.4.1~35.3.31(1959年)」『シュタットバーン9号』119頁。
  29. ^ 「写真帖 秋田の路面電車」p.11。
  30. ^ a b 「秋田市電年表」『写真帖 秋田の路面電車』11頁。
  31. ^ 吉川文夫 「秋田市交通局」『路面電車時代』93頁。
  32. ^ 「写真帖 秋田の路面電車」p.14。
  33. ^ 『秋田県統計書. 第34回(大正5年)』では132,200
  34. ^ 「秋田鉄道馬車の試運転」『読売新聞』1888年11月27日朝刊(ヨミダス歴史館)
  35. ^ a b 和久田康雄『日本の市内電車 ―1895 - 1945―』93 - 95頁。
  36. ^ 吉谷和典「昔のハナシ 秋田・仙台 スカタン電車」『とろりい・らいんず』No.48、119-121頁。
  37. ^ 日本路面電車同好会名古屋支部『路面電車と街並み 岐阜・岡崎・豊橋』トンボ出版、1999年。133頁
  38. ^ 広報あきた 第128号 交通局に新型電車 昭和34年3月1日発行PDFファイル(秋田市企画財政部広報広聴課、2016年5月16日閲覧。)






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