市営化以降の入線車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 18:59 UTC 版)
20形 1930年(昭和5年)汽車製造製の半鋼製単車。元旭川市街軌道22形で 1948年(昭和23年) に22・23・25・26が入線した。寒冷地の旭川市で使用されていたので丸屋根で、ドアが付いた密閉式の運転台をもっている。廃線時、もはや二軸単車の時代でなかったため、他社へ譲渡されることもなく廃車となった。 80形 元京都電気鉄道(後の京都市電)の木造単車で、梅鉢鐵工所製、製造年不詳。名古屋市電を経て1946年(昭和21年)にN85(またはN98)・N86・N88・N89・N93・N95・N97が入線。車番からNを外して使用した(N85とN98については名古屋鉄道譲渡分との情報の錯綜があり、N85を名鉄、N98を秋田市交とする説あり。名鉄モ90形電車 (2代)も参照)。寒冷地で使用することからオープンデッキ部に折り戸を設置した。1950年(昭和25年) - 1953年(昭和28年)に廃車。 30形 1953年(昭和28年)に東京都電の中古車体を日本建鉄で改造して入線した半鋼製ボギー車。東京都電では3000形に改造の際に半鋼製車体を新造して電装品や台車は再利用したので、不要となった車体を譲り受けて高床式台車を組み合わせた。31 - 35が在籍した。このうち31・32は元東京都電3000形3233・3234で元の木造車体をなぞる形での鋼体化を行なった。33 - 35は元都電150形で当初から半鋼製車体である。元来車輪径660mmの低床式台車を装備していた車体に車輪径790mmの高床式台車を組み合わせたため、全高が高かった。車高の上がった分停留所のホームに高さを合わせるためステップを継ぎたし、ドアは交換していた。秋田市電全廃と同時に廃車。33号車は秋田市内の幼稚園に寄贈され図書館として使用されたが昭和60年頃までに老朽化のため解体された。 60形 1951年(昭和26年)日立製作所製の半鋼製ボギー車。各地に存在した東京都電6000形のコピー車両の一つだが、前照灯はオリジナルの前面窓下と異なり前面窓上に設置されていた。廃止後、4両は南海電気鉄道に譲渡され、同社和歌山軌道線の251形となった。集電装置をパンタグラフに変え、和歌山軌道線の多くの車両同様に前照灯を2灯化したが、同線の廃止により譲渡からわずか5年で廃車となっている。 200形 1959年(昭和34年)日本車輌製の全金属製ボギー車。60形の近代化改良型。アルミサッシと鋼板プレスドアを採用し、ドアエンジンを装備した。側面窓上段とドアのガラスはHゴムで支持していた。前面中央の窓が60形より広い。台車は日本車輌製で201がNS-14、202は少改良を施したNS-14A。いずれもローラーベアリング軸受付きで一体鋳鋼フレームに枕ばね・軸ばね共にコイルばねを使用し、弾性車輪を装備して防音防振に配慮した。全廃後、201、202の2両とも岡山電気軌道に譲渡され1000形となった(その際、集電装置をトロリーポールから石津式パンタグラフに変更)。1981年(昭和56年)に車体を載せ替えて7100形に更新されている。
※この「市営化以降の入線車両」の解説は、「秋田市電」の解説の一部です。
「市営化以降の入線車両」を含む「秋田市電」の記事については、「秋田市電」の概要を参照ください。
- 市営化以降の入線車両のページへのリンク