情報の錯綜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:59 UTC 版)
「アメリカ同時多発テロ事件」の記事における「情報の錯綜」の解説
「同時多発テロ」と呼ばれるように複数のテロが短時間に連続して発生した。当時の社会において、従来型の「テロ」や「犯罪」の概念を超越した規模だったため、時事刻々と変化する状況に対して報道機関の対応が追いつかず、情報が錯綜した状況が続いた。 当時はインターネットの回線速度が遅い上に、情報共有が可能なWebサイトが電子掲示板しか存在せず、カメラ付き携帯電話やSNSもまだアメリカでは普及していなかったため、一般人からのリアルタイムな情報共有にも期待できなかった。 事件当日から事件翌日の日本の各新聞・テレビ報道において確認された誤報の一部として、下表のようなものがあげられる。新聞における誤報については訂正が締切時間に間に合わず、結果的に翌12日の朝刊のいくつかの掲載が誤報になった例も含まれている。 報道内容実際の状況・備考小型の双発機が衝突した「事故」 2機目衝突によりテロと判明 ハイジャックされた飛行機の便名・航空会社の取り違え 12日未明に確定 被害者は6名死亡・約1000名負傷 左記の情報は1993年の爆破事件の数字。ビルの崩壊後「数千人の可能性」に パレスチナ解放民主戦線 (DFLP) が犯行声明 数十分後、ダマスカスの本部でスポークスマンが否定と報道 国務省で自動車爆弾爆発 発生していない ホワイトハウス、連邦議会付近で爆発 発生していない ペンシルベニア州で墜落した飛行機はボーイング747 ボーイング757 11機の旅客機がハイジャックされ、数機が行方不明 4機以外にハイジャック機は存在しない。 ハイジャック機がキャンプ・デービッドに墜落した 発生していない 大韓航空85便がハイジャックされた 同便パイロットの操作ミス(大韓航空85便ハイジャック誤報事件) これらの状況はアメリカ合衆国などにおいても同様で、事件発生当初は激突した航空機も大型ジェット旅客機ではなく小型民間機(単発もしくは双発小型プロペラ機など)と報道されていた。またユナイテッド航空93便がクリーブランド・ホプキンス国際空港に着陸したという内容の速報記事も報道されたが、後にデルタ航空1989便をUA093便と混同していたことが判明し、誤報として訂正された。この他にもBBCはテロ攻撃の直後にハイジャック犯とされる人物の情報を発表したが、その後その内の数人が存命中の別人であったことが判明すると情報を修正した。BBCは後に当時報告された氏名がアラブ人やイスラム教徒に多く見られるものであったため。初期での混乱が起きたのだろうと釈明している。また、これらの情報の混乱が陰謀説や都市伝説が起きるきっかけになった。
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情報の錯綜
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「セルギエフ・ポサードOMON伏撃事件」の記事における「情報の錯綜」の解説
3月2日早朝、グロズヌイ周辺は濃霧に包まれていた。ポドリスクOMONの指揮官イーゴリ・チーホノフ少佐は前日のうちにチェチェンと隣接する北オセチア・アラニア共和国のモズドクへ入り、モスクワからやってくる交代要員を待った。6時30分、セルギエフ・ポサードOMONはドミトリー・マルケロフ大佐指揮の下にモズドクへ到着し、チーホノフ少佐と合流した。一行は11台の車輛に分乗して、ポドリスクOMONが駐屯しているグロズヌイ北方の村落ポドゴルノエへと向かった。8時頃、ポドゴルノエに青いボルボ・460と白いラーダ・ニーヴァが現れ、武装した集団を降ろして村へ展開し、去っていった。9時頃、ポドゴルノエには銃撃戦がすぐにでも始まるかのような緊張感がみなぎり、市場では住民が慌てて店を閉め避難した。 同じ頃、ポドゴルノエにある第53検問所ではいくつかの情報が錯綜していた。独立派武装勢力がガンタミロフ派民警を装って通過しようとしているというもの、あるいは本当のガンタミロフ派が2台のUAZ車ないしは装甲車に乗ってやってくるというもの、そしてセルギエフ・ポサードOMONが到着するというものである。9時20分、ジヤチェンコ少佐の率いるスヴェルドロフスク州民警が2輛のBTR-70に乗って村に入った。ジヤチェンコ少佐はポドリスクOMONの参謀長に会い、ガンタミロフ派の車列がグロズヌイに向かうのを阻止し、武装解除しなくてはならないと伝えた。数日来、村を走る道の一本が古いバスによって封鎖されていたので、村を抜けてグロズヌイ方面に向かうには必ず第53検問所を通過する必要があった。BTR-70とほとんど同時に、ボルボとニーヴァが再びポドゴルノエへ入り、武装した集団が道の両脇の建物や市場へ散開した。彼らはガンタミロフ派の民警で、スヴェルドロフスク州民警のBTR-70を自派の増援と思い込んで近寄ってきた。居合わせた人々の間には「UAZ車に乗ってやってくる賊」の噂が広まった。
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