市営化と郡部線乗入れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/03 14:32 UTC 版)
「名古屋市電押切線」の記事における「市営化と郡部線乗入れ」の解説
1910年5月、押切町から先へ枇杷島まで枇杷島線が開業。さらに1912年(大正元年)8月には庄内川架橋により岩倉・一宮・犬山まで至る一宮線・犬山線が開通した。これら名古屋市外へ伸びる各線は市内線に対して「郡部線」と呼ばれ、押切町駅がその起点となった。駅は押切交差点北西、旧西区役所(2010年移転)の位置にあった。 続いて1913年(大正2年)11月20日、郡部線のターミナルとして柳橋駅が新設された。場所は柳橋交差点北西角。柳橋駅新設の結果、押切線は柳橋駅と押切町駅をつなぐ郡部線の都心乗入れルートとなり、大型の郡部線電車が通過するようになった。 1921年(大正10年)7月1日、名古屋電気鉄道の郡部線を新会社名古屋鉄道(名鉄)が継承した。これに関し、譲渡契約(第8条)にて新会社による柳橋 - 押切町間への郡部線電車乗入れ維持が承認されている。翌1922年(大正11年)8月1日には、名古屋電気鉄道市内線を名古屋市が買収・市営化し名古屋市電気局(後の交通局)が引き継いだことで名古屋市電が成立した。これに伴い押切線は名古屋市電の路線となったが、この時点では志摩町 - 押切町間を指していた(下記#押切線の区間について参照)。 市営化後最初に実施された1922年12月の系統改定の時点では、押切線には押切町から志摩町・柳橋経由で下江川線洲崎橋へ至る運転系統が設定されていた。翌1923年(大正12年)12月改正では、名古屋駅前方面から堀内町線経由で押切町へ至る系統が新設され、反対に柳橋方面から志摩町・那古野町経由で押切町へ至る系統は廃止された。従って押切線志摩町 - 那古野町間を経由する市電の系統は設定がなくなり、1926年(大正15年)1月23日付で廃線となった。同区間は名古屋市電最初の廃止区間でもある。廃線に伴い、名鉄電車の柳橋乗入れルートは北寄りの明道町線(明道橋 - 菊井町間)を経由する、柳橋 - 明道橋 - 菊井町 - 押切町という経路に変わった。 1941年(昭和16年)8月12日、名古屋駅前地下に名鉄の新しいターミナル駅である新名古屋駅(現・名鉄名古屋駅)が開業した。これと引き換えに線路が付け替えられ、柳橋・押切町両駅は廃止され、市電路線への名鉄電車乗り入れも取り止められた。
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