異星人の墜落現場と回収
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 07:44 UTC 版)
「ロズウェル・リポート」の記事における「異星人の墜落現場と回収」の解説
複数の話が出来事の似た推移を追っていることが見出された: 一人の目撃者または複数の目撃者たちは離れた田園地帯におり、墜落した飛行機械に出くわした。これを調査するために止まったところ、見た目には飛行機械の乗客であったらしい奇妙な外見の「生き物」を、遠くから発見した。そのすぐ後に、兵士を伴った軍の護衛が到着し、民間人の目撃者[たち]にこの場を離れ、彼らが見たものを誰にも話さないよう命令した。そして軍の隊員は彼らの乗り物とその乗員の回収をはじめた。 「生き物」の特定の詳細も共通の筋を持っていた: 数人の目撃者たちは「生き物」が「プラスティック人形」または「ダミー」であると思ったと叙述した。他の共通の特徴は「生き物」が四本の指を持っていた、あるいは小指を欠いていたということだった。彼らは「毛がない」または「禿げ」だった。彼らの服装は「輝く銀白色-灰色の…つなぎのスーツ」だった。 さらに、目撃者たちは、「1950年あたり」または「私は日付を思い出せない」と言うなど、起こったことの日付についてしばしば曖昧である。そして、似た乗り物が存在していたと叙述された: 「レッカー車」、「6×6駆動トラック」、および「中型ジープ/トラック」と「ウェポンキャリア」(pp.13-14)。 空軍はこれらの共通要素を特定し見つけようと試みた: 異常が観察できるだけの距離がある場所での出来事; 正確な日付のない出来事; ニューメキシコ州の田舎で起こった出来事; 乗り物と四本指でつなぎのスーツのダミーが関与する出来事; レッカー車、6×6駆動トラック、ウェポンキャリア、その他の多数の兵員と乗り物を使用した出来事。 基地近くの記録を調査し、開発中の乗り物と計画およびそれらの付随する活動を再調査すると、似ていない活動または地理的位置に基づきこれらの出来事の原因として多くの候補がすぐに除外された。ミサイル、無線操縦機および航空機が関与する計画の調査はしたがって除外された。 ところが、ことが高高度気球実験となったとき、似た性質が特定された。多くの計画で異星人に間違われうる物体はなかったけれども、幾つかの計画は異星人に間違われうる装備を使用していた: 擬人ダミー。これらのダミーは1950年5月からニューメキシコ州で使われはじめ、それらの使用は、特に墜落テストに使用されるときに、広く認知されていた。1950年代の民間人の眼にとって、擬人ダミーが付随する高高度気球の回収は非常に奇妙に見えたことだろう(p.17)。 空軍はこれらのダミーを使う計画を調査し、多くの側面で目撃者の叙述に合う二つを見つけた。ハイダイヴ計画とエクセルシオ計画は、パイロットまたは宇宙飛行士が大きな高度からパラシュートを使って地上へと戻る手法を試験するためにダミーを使った。1954年6月から1959年2月までのあいだに43個の高高度気球は67体のダミーを運び、98,000フィートもの高さから落とされた。気球は漂流する傾向にあったので、それらはニューメキシコ州じゅうから回収された。さらに30体のダミーが1953年にホワイトサンズ性能試験場からの航空機によって落とされた。また150体が1959年に、もう一つの「異星人」目撃場所である、オハイオ州ライト-パターソン空軍基地から飛び立った航空機から落とされた。多数の回収場所が異星人の回収が起こったと主張される場所と一致することが観察された(pp.23-24)。 「隠蔽」があったとする主張とは裏腹に、報告はこれらの試験が秘密ではなく1950年代中ごろに広く公表されていたことを記している。記事はライフ誌やナショナル・ジオグラフィック誌といった高部数の発行物にも現れ、テレビはそれを扱ったフィルムすらも放映していた。"On the Threshold of Space"(「宇宙への出発時期に立って」)は1956年に発表され実際の擬人ダミーが取り扱われていた。 ダミーは、普通は濃いオリーブ色、灰色、または赤紫色のつなぎのジャンプスーツを着ており、これは標準の空軍装備であった(p.42)。回収作戦は典型的には8人から12人の隊員が関与し、ダミーが着地した後、可能な限り早く現場に到着した。普通回収には、レッカー車(M-342)、6×6駆動トラック(M-35)、ウェポンキャリア(M-37)、L-20偵察機、およびC-47輸送機を含むさまざまな乗り物と航空機が充てられた。この一連の車輛は、数人の目撃者たちの墜落地点の回収の叙述にぴったり合う、と報告は記している(p.30)。ダミーの即座の回収が調査目的のために要求されたので、フレアと明るい色のパラシュートが可視性を高めるためにしばしば用いられた。 時折、ダミーは見つからないことがあった。一つは三年に渡って見つけられず、幾つかのほかの物は失われた。さらに、ダミーは頻繁にダメージをうけ、多くの指、肢、またはそれらの頭部が失われていた。 ホロマン空軍基地からのダミーの輸送は、ダミーの内部に搭載された装置を傷つけるのを防ぐために、しばしば木枠の箱に入れて運搬された。これは梱包枠箱に入れて運搬された異星人の報告に寄与しただろう、と報告は記す。さらに、カンヴァス地の軍の担架と台車つき担架は、それらを基地や研究室へ運ぶのにしばしば使われ、これらが生きていたり、または最近死んだ生き物だという印象を与えたかも知れない(p.35)。初期のダミー実験では寒さから機器を保護するために絶縁バッグを使用しており、それが目撃者たちによって宇宙人と見られた可能性のあるもう一つのものだったのだろう。 報告は多くの他の1940年代、1950年代、および50年代のあいだに行われたニューメキシコ州地域における気球計画と他の乗り物の試験も記している。その多くがUFO報告を引き起こした。たとえば、つながれた気球は三角形であり、おそらくこの地域における異常な活動のいくつかの目撃報告の説明になる。ロズウェルUFOの研究者たちの一人に匿名で提供されたある目撃者の描写は、1960年代と1970年代に飛行した、つながれた気球の一部の外見とほとんど同一である(pp.45-6)。 次に、実際の目撃談の記述は、UFO研究家が目撃者が述べたとしていることに対し、これらの目撃者たちが実際はダミー落下の回収作戦を記述していたのかどうかを見るために綿密に精査された。 ジム・ラグズデイル(Jim Ragsdale)の証言は「ダミー」の叙述が含まれるだけでなく、ダミーを回収したとして知られる車輛を、実際の回収作戦のそれとほとんど完全に一致して叙述している。「私は死体……死体だかダミーだか……があったと確信する」。そして: 「二台か三台の6×6駆動の軍用トラック、レッカー車、そして全部があった」(p.56)。報告はこれは実際はダミー回収の叙述であり、彼の引用を選択的に使う著者たちが断言するような、異星人の回収を話したものではないと断定する。 アリス・ナイト(Alice Knight)とヴァーン・モルテイズ(Vern Maltais)からのまた聞きの話もダミーの叙述を示し、起こったことの日付についての不確実さを示す。「私は日付を思い出せない」、ナイトは言った。「彼らの頭は無毛だった」、モルテイズは言った、そして彼らの服装は「つなぎであり灰色」だった(p.58-9)。 ジェラルド・アンダーソンGerald Andersonからの直接の話も同様にダミーに合致すると思われる叙述を提示する: 「彼らはプラスティック人形だと思った」、と彼は言った。彼は「飛行船」も叙述しており、軍の回収作戦を誤認したことを示す(p.61)。「ジープ様のトラックがあってその中に多数の無線が装備されていた」の記述は、まるで1953年まで使われなかった、改修型ダッジM-37多目的トラックのように聞こえ、日付についてのさらなる混乱を示す。 空軍報告はこう結論した: 「ここで精査された、UFO理論家自身によって提供された叙述は、これらの空軍計画に著しく―そして過剰に―似ている。唯一の筋の通った結論は目撃者たちがこれらの活動を叙述したということしかありえない」(p.68)。
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