番組の始まりと変遷
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「全国高等学校クイズ選手権」の記事における「番組の始まりと変遷」の解説
1982年12月31日、日本テレビ開局30年記念特別番組として同局の看板番組『アメリカ横断ウルトラクイズ(以下、ウルトラクイズ)』(1977年 - 1992年、1998年)の特別版『ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦』が放送された。この番組が好評だったことや、規定によって『ウルトラクイズ』に出場できない高校生が参加を強く要望していたことを背景に、当時同局のアナウンサーとして『ウルトラクイズ』の出題・レポーターを務めていた福留功男が『史上最大の敗者復活戦』のノウハウを生かした高校生限定の大型クイズ番組を提案。この提案が局内で採用されたことから、「『ウルトラクイズ』の弟番組」という位置付けで、1983年12月31日に『ウルトラスペシャル 第1回全国高等学校クイズ選手権』が放送された(第21回ギャラクシー賞月間賞受賞)。1984年・1985年には夏と冬の年2回ペースで開催されていたが、制作費が高騰するなどの事情から、1986年の第6回以降は年1回の夏季開催に統一している。 初代の総合司会は福留で、企画を提案した経緯から、初期にはプロデューサーも兼務。『ウルトラクイズ』の人気も相まって第6回には約23万人の参加者を数えるなど、開始後まもなくして規模としては『ウルトラクイズ』を凌ぐ番組となった。開始当初は、兄弟番組であった『ウルトラクイズ』の「クイズ形式の人間ドキュメンタリー」や「知力・体力・時の運」といったコンセプトを引き継ぎ、「ドロンコクイズ」や「バラマキクイズ」といった『ウルトラクイズ』名物の企画も数多く行われた。しかし、回を重ねるごとに内容も変化し、3人1組のチームをそれぞれ「知力」「体力」「運」の各担当に振り分けて競わせる形式など、高校生たちの「チームワーク」が、個人戦である『ウルトラクイズ』と異なる『高校生クイズ』独自のキーワードとなってゆく。 第11回(1991年)より、当時の日本テレビの若手アナウンサーであり、同年から福留の後継として『ウルトラクイズ』の司会者にも就任する福澤朗が総合司会となる。150人近い高校生たちによる一斉早押しクイズ、複数の勝ち抜け条件を満たす必要のあるクイズ、深い知識だけでなくライバルとの駆け引きが求められるなど趣向を凝らしたクイズから、架空の事件を推理して解く形式、プレゼンテーション力や冠婚葬祭マナーが試されるものなどクイズと呼べないようなものまで、本家・『ウルトラクイズ』にはなかった独自のクイズが多数導入されていった。 スポーツ大会などと違って定まった形式がなく、数年ごとにスタッフが総合演出やプロデューサーレベルで入れ替わるため、番組の方針やクイズ形式、演出スタイルなども同様に変更される。このため、知力が重視された回もあれば体力や運に強く影響された回もある。90年代末期以降には高校生たちの人間性を旅などを通じて描き出す演出がなされ、第17回(1997年)には香港、第22回(2002年)にはオーストラリアへ行ったほか、行先不明のミステリートレインに乗りながら各地を転戦していった回(第20回、2000年)や、世界遺産五箇山を訪れた回(第21回、2001年)もあった。また、第23回(2003年)と第24回(2004年)には多くの芸能人や著名人が関わるバラエティ的な演出が行われた。一方、この頃から往年の人気に陰りが見え始め、視聴率は低下し地方大会への出場校も減少していった。 第28回(2008年)からは「知力の甲子園」と銘打っておよそ一般的でない超難問を集めた知力重視のクイズ大会が繰り広げられ、全国大会はすべてスタジオ収録となった。知力重視路線について、視聴者の間では本格的なクイズ番組化を歓迎する声がある一方で、「難問ばかりで視聴者が一緒に楽しめない」といった否定的な意見もあり評価が分かれていた(後述)。結果として視聴率は回復基調となったものの、地方大会の出場校の更なる減少を招いた。結局、知力重視路線は5年間続き、第33回(2013年)からは原点回帰する形で、知力・体力・時の運・チームワークの総合力で勝負するスタイルへとモデルチェンジし、第22回(2002年)以来11年ぶりの海外決戦(準々決勝はタイ、準決勝・決勝はフランス)が行われた。第34回(2014年)からは1チーム2人1組となり、2回戦以降をアメリカ合衆国を横断する形で行われ、「○×ドロンコクイズ」や「バラマキクイズ」といった形式、ニューヨークでの決勝戦など、かつての『ウルトラクイズ』を彷彿とさせる内容で行われた。第38回(2018年)からは「地頭力」をコンセプトに、再び国内開催(会場は東京ビッグサイト・日本テレビ麹町スタジオ)となり、参加チームも第33回(2013年)以前の1チーム3人1組へ戻された。第41回(2021年)は「ソウゾウ脳」(想像・創造)をコンセプトに行われた。 第40回(2020年)は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、夏の開催を見送り、秋に開催し、第5回(1985年・冬)以来35年ぶりに年末の放送に変更。また、全国大会は例年の上京して東京で収録する方法を見送り、1回戦から決勝まですべてリモート収録にて実施。なお放送は『日本1三昧』の一つとして行われた。 第41回(2021年)は2年ぶりの夏開催となるが、1回戦は前年同様リモート収録となった。なお、2回戦から決勝までは2年ぶりに東京での収録となった。 第42回(2022年)は1回戦はリモート収録となり、都道府県代表から予選上位チームが戦う形式に変更。 なお、知力重視路線の番組内容や演出等のノウハウは、2011年より開始された『最強の頭脳 日本一決定戦! 頭脳王』へ継承。福澤が司会を務めるほか、当番組の出演者・スタッフから一部が参加している。また、当番組の歴代優勝者も本選へ出場している。
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