番組の始まりと変遷とは? わかりやすく解説

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番組の始まりと変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 23:21 UTC 版)

全国高等学校クイズ選手権」の記事における「番組の始まりと変遷」の解説

1982年12月31日日本テレビ開局30年記念特別番組として同局看板番組アメリカ横断ウルトラクイズ(以下、ウルトラクイズ)』(1977年 - 1992年1998年)の特別版ウルトラクイズ 史上最大敗者復活戦』が放送された。この番組好評だったことや、規定によって『ウルトラクイズ』に出場できない高校生参加強く要望していたことを背景に、当時同局アナウンサーとしてウルトラクイズ』の出題レポーター務めていた福留功男が『史上最大敗者復活戦』のノウハウ生かした高校生限定大型クイズ番組提案。この提案局内採用されたことから、「『ウルトラクイズ』の弟番組」という位置付けで、1983年12月31日に『ウルトラスペシャル 第1回全国高等学校クイズ選手権』が放送された(第21回ギャラクシー賞月間賞受賞)。1984年・1985年には夏と冬の年2回ペース開催されていたが、制作費高騰するなどの事情から、1986年第6回以降は年1回夏季開催統一している。 初代総合司会福留で、企画提案した経緯から、初期にはプロデューサー兼務。『ウルトラクイズ』の人気相まって第6回には約23万人参加者数えるなど、開始後まもなくして規模としては『ウルトラクイズ』を凌ぐ番組となった開始当初は、兄弟番組であったウルトラクイズ』の「クイズ形式人間ドキュメンタリー」や「知力・体力時の運」といったコンセプト引き継ぎ、「ドロンコクイズ」や「バラマキクイズ」といった『ウルトラクイズ名物企画数多く行われた。しかし、回を重ねるごとに内容変化し、3人1組チームそれぞれ知力」「体力」「運」の各担当振り分けて競わせる形式など、高校生たちの「チームワーク」が、個人戦である『ウルトラクイズ』と異なる『高校生クイズ』独自のキーワードとなってゆく。 第11回1991年)より、当時日本テレビ若手アナウンサーであり、同年から福留後継として『ウルトラクイズ』の司会者にも就任する福澤朗総合司会となる。150人近高校生たちによる一斉早押しクイズ複数勝ち抜け条件を満たす必要のあるクイズ深い知識だけでなくライバルとの駆け引き求められるなど趣向凝らしたクイズから、架空事件推理して解く形式プレゼンテーション力や冠婚葬祭マナー試されるものなどクイズ呼べないようなものまで、本家・『ウルトラクイズ』にはなかった独自のクイズ多数導入されていったスポーツ大会などと違って定まった形式がなく、数年ごとにスタッフ総合演出やプロデューサーレベルで入れ替わるため、番組方針クイズ形式演出スタイルなども同様に変更されるこのため知力重視された回もあれば体力や運に強く影響された回もある。90年代末期以降には高校生たちの人間性を旅などを通じて描き出す演出がなされ、第17回1997年)には香港第22回2002年)にはオーストラリアへ行ったほか、行先不明ミステリートレイン乗りながら各地転戦していった回(第20回2000年)や、世界遺産五箇山訪れた回(第21回2001年)もあった。また、第23回2003年)と第24回2004年)には多く芸能人著名人関わるバラエティ的な演出が行われた。一方この頃から往年の人気陰り見え始め視聴率低下し地方大会への出場校減少していった。 第28回2008年)からは「知力甲子園」と銘打っておよそ一般的でない難問集めた知力重視クイズ大会繰り広げられ全国大会はすべてスタジオ収録となった知力重視路線について視聴者の間では本格的なクイズ番組化を歓迎する声がある一方で、「難問ばかりで視聴者一緒に楽しめない」といった否定的な意見もあり評価分かれていた(後述)。結果として視聴率回復基調となったものの、地方大会出場校更なる減少招いた結局知力重視路線5年続き第33回2013年)からは原点回帰する形で、知力・体力時の運チームワーク総合力で勝負するスタイルへとモデルチェンジし、第22回2002年以来11年ぶりの海外決戦準々決勝タイ準決勝・決勝フランスが行われた。第34回2014年)からは1チーム2人1組となり、2回戦以降アメリカ合衆国横断する形で行われ、「○×ドロンコクイズ」や「バラマキクイズ」といった形式ニューヨークで決勝戦など、かつての『ウルトラクイズ』を彷彿とさせる内容行われた第38回2018年)からは「地頭力」をコンセプトに、再び国内開催会場東京ビッグサイト日本テレビ麹町スタジオ)となり、参加チーム第33回2013年以前の1チーム3人1組戻された。第41回2021年)は「ソウゾウ脳」(想像創造)をコンセプト行われた第40回2020年)は新型コロナウイルス感染拡大防止観点から、夏の開催見送り秋に開催し第5回1985年・冬)以来35年ぶりに年末放送変更また、全国大会例年の上京して東京収録する方法見送り1回戦から決勝まですべてリモート収録にて実施。なお放送は『日本1三昧』の一つとして行われた第41回2021年)は2年ぶりの夏開催となるが、1回戦前年同様リモート収録となった。なお、2回戦から決勝までは2年ぶりに東京での収録となった第42回2022年)は1回戦リモート収録となり、都道府県代表から予選上位チームが戦う形式変更。 なお、知力重視路線番組内容演出等ノウハウは、2011年より開始された『最強の頭脳 日本一決定戦! 頭脳王』へ継承福澤司会務めるほか、当番組の出演者・スタッフから一部参加している。また、当番組の歴代優勝者も本選へ出場している。

※この「番組の始まりと変遷」の解説は、「全国高等学校クイズ選手権」の解説の一部です。
「番組の始まりと変遷」を含む「全国高等学校クイズ選手権」の記事については、「全国高等学校クイズ選手権」の概要を参照ください。

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