現代の敬語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:09 UTC 版)
現代の日本は民主主義の社会、基本的人権の元に平等な社会である。このような社会では、相互の尊重のために敬語は一定の程度は有用である、あるいは敬語は清算すべきという、根本的には両極に価値観が分かれる。またどのよう価値観を抱き表現するかは、思想・良心の自由、表現の自由が憲法によって保障されている。敬語では親しみを表せないと信じている人もいれば、キャラづくりとしてタメ口を表現している芸能人までさまざまである。 「絶対敬語」は、上下関係を元にしているが、現代の敬語は、「相対敬語」であり、自らの相手へのスタンスが動機となる。一般に家庭内で祖父や父に敬語は使わないようになった。変動する相対的な上下関係、親疎、社会関係、状況、気持ち、恩恵関係などが絡んで用いられる。また、性別、ウチとソトなども要因となる。上位の存在に対して敬語を用いているのは変わらない。しかし誰を上位だとみなしているのかは個々の価値観に由来する。 大勢に話す時、また改まった場、あるいは依頼する時、また身構えた時に敬語が用いられる傾向もある。 敬語は、弱い立場への力関係を示したり、皮肉や冷たさも表現することも可能である。また、敬語は距離感を保つための形式でもあるため、仲を深めることを拒否しているという意思表示ともなり、親しさを伝えるためには敬語以外の表現が効果的である場合もある。言葉を丁寧にしても、態度が無礼で配慮がなければ慇懃無礼と言われ、一方、言葉遣いが丁寧すぎるからといって変ではなく、自分の基準だけが正しいと思うこともよくない。「男はつらいよ」の寅さんに出てくるような、「まだ生きてやがったか」のような罵倒じみた挨拶でさえ、旧知の中では再開の喜びを表すことすらある。 1952年には国語審議会にて「これからの敬語」が建議された。封建時代(身分制度)からの習慣であるため(戦後の)民主主義では敬語は清算すべきという説、一方で民主主義では個を尊重する相互の尊敬が基盤となるため、ある程度は敬語が有用であるといった説があり、後者を採用して、敬語の行き過ぎた形はいましめて、誤用を正し、簡素にするということが話し合われることとなった。これまで敬語が上下関係から発達した点は民主主義的に改め、また女性の敬語や美称の使い過ぎ、商業における不当に相手を高める高い敬語や、逆に自らを下げる謙遜語は、自他の人格的尊厳を見失うことがあるため、よく戒めるべきものと指摘された。しかし、簡素化された敬語が普及することはなく、「れる型」の敬語も推奨したが普及しなかった。また相手を指す時「あなた」を標準形とし、「貴殿」「貴下」などを置き換え、「殿」は「様」に置き換え、米のように男性が「お」を省くものは女性でも省き、「です・ます」体を基本とするが、親愛体としての「だ」調を妨げるものではないともされた。 身分、上下関係、目上かどうかと年齢を重視した尊敬語と謙譲語が前に出た敬語であった従来の敬語から、親疎を考慮した現代の敬語へと変質し丁寧語が前にも出てくることとなった。そして、一般の認識では敬語とは、尊敬語と謙譲語である。 その後、敬語の再検討に至るのは、1993年以降である。その間に敬語の使用の低迷も招いており、2007年に「敬語の指針」が発表され、従来の3分類から美化語の追加などで5分類へと改められると、再び敬語に注目が集まった。この指針で相互尊重による敬語という考えは継承された。この指針によれば、敬語は自分との関係を表現するものであり、コミュニケーションを円滑にし、人間関係を築くときに用い、また気持ちの表現手段であり、敬い、改まった気持ちを表現するものだとされた。改訂直後の2008年の中学校の教科書では3分類が教えられていたなど、統一的ではなく、ある教科書では、敬意を示す時に使うとし、ほかの教科書では、改まった気持を表すとか、人間関係に応じた言葉遣いだとされている。「敬語の指針」では「あなた」について解説されており、本来は敬意の高い敬語だが、21世紀初頭では夫婦など身内で親しみを込めて用いる場合を除いては、対等から下位の者に対して一般に使われており、中立的でやや冷たい響きでもあるとされる。 21世紀には、過剰な丁寧語への変化が見られる。それまで敬語は相手との心理的距離を表していたが、自らの言葉遣いを示す側面も増えた。「敬語の指針」では、その場にいない人への敬語の使用は違和感が感じられる可能性があるとし、その場にいる聞き手だけを意識して使われるようになったという変化が取り込まれている。「お召し上がりになる」のような、「召し上がる」に「お」がついた二重敬語だが「敬語の指針」や敬語の実用書でも推奨されるなど、広く認められた使い方になっており、アンケート調査でも違和感を持つ人は1割程度である。「敬語の指針」ではこうした時代を経た様々な変化が反映されている。 5分類の背景には、言葉遣いをきれいにしようと単語に「お」をつける美化語を、特に東京近郊の女性が多用しだしたことによって、全国的に波及したことがある。同様に首都圏の女性では尊敬語の用法が広がっており、過剰とされる二重、三重の敬語が使われる。敬語の変化を大規模調査してきた井上史雄によれば、5分類は、21世紀の東京の敬語を説明するには適するが、3分類でよいとしている。このように敬語だけに関わらず日本語は流動しており、敬語については敬意を示そうとしたという部分に注目し、誤りにだと思う部分を寛容に受け止めることも大切となる。 敬語は敬意を表現するものというのが、主流の見解のひとつであり、「米」を敬っていれば「お米」と表現するため、これらの人々では話者の品位を表すために「お米」と呼ぶ美化語は認めないという立場をとる。 尾鼻によれば、敬語の形式を用いるのは、敬意からではなく、相手に対する距離感からである。敬語によって適切な距離感をとれば敬意を表することもできれば、敬語によって不要に距離を取れば侮辱ともなりえる。親疎の疎、言い換えればソトの存在だとみなしている場合、警戒心から敬語を用いて心的距離を置く場合もある。こうした新たな研究領域からは、待遇表現という用語でも呼ばれている。 あるいは櫻井によれば、現代の敬語は商業主義から成り立っており、客を上位として扱っていることに由来する。 2007-2008年の3652人の調査では、50代までは90%以上が敬語を使い分けており、60代以上では約80%であった。使い分けの男女差は使い分けていない人は男性の方が若干多い。 2014年、19~29歳の広島大学の学生44名を対象として、聞き手がどの程度、相手からの敬語使用を期待しているかを調査した結果によれば、いずれの場面においても、公的な場面の方が私的な場面よりも敬語の使用が期待されるという傾向が見られた。また、相手の属性に関しては、日本人に対する期待度が最も高く、外国人に対しては日本人ほどには期待されていない(ただし、外国人であっても日本語のレベルが高くなるほど日本人に対する期待度に近くなる)ことが明らかになった。
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