現代の教育・研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 07:46 UTC 版)
教育機会均等 1945年に女子教育刷新要綱が閣議了解され、男女間の教育の機会均等、同等の教育内容、男女相互尊重を方針に掲げられた。これにより戦前は慣習により認められていなかった女性の大学入学と、女子大学の設置が行われる。翌1946年には旧制大学に142名の女性が合格している。また戦前は国民学校初等科は男女別教育で教育課程にも差異があったが、1946年に男女共学となり、1947年には旧制高等学校でも女子の入学が許される。こうした法改正は民間情報教育局(CIE)の強い意向によるものであったが、CIEは戦前の男女共学運動の成果に影響を受けていたとされている。 科目 1947年に家庭科が誕生し、小学校では男女必須科目、中学校では職業科の一つ、高校では選択科目として男女が学ぶことができた。しかし1958年に中学校で「技術・家庭科」と名称が変更され、男子は技術、女子は家庭科と男女別学となる。また高校では1970年には家庭科が女子のみの必須科目になる。このような状況に反対する市民運動がおこり、1989年には再び男女共学にもどった。 女性学 1960年代後半にアメリカで誕生した女性学は、従来「学問の研究対象と視点が男性主義」であったことを検討課題とする学問である。日本では1970年代に井上輝子が女性学の名称を初めて用い、1979年には日本女性学会が設立された。女性学は従来の学問、専門分野の枠を超えた方法論の必要性を提唱している。 研究機関・大学 女性科学者の友好、知識の交換、地位向上などをめざす団体として、1958年に日本女性科学者の会が設立された。しかし、2016年時点の約25万人の研究者を対象とした調査では、日本の全ての学術分野で、女性研究者は男性研究者よりも教授昇進の確率が低かった。男性と比べて、人文科学系では20%、医学・生物学系では30%、理工系では50%低かった。この傾向は、国立大学改革プランなど一連の改革をへても大きな改善が見られず、日本の学術界におけるマチルダ効果が指摘されている。他方、研究業績の空白が昇進にネガティブな影響を与える期間は、最初の5年間および20年目から30年目にかけてだった。所属機関のサポートによって、出産や育児などのライフイベントがあっても研究者キャリアにネガティブな影響を与えずに解決できる点が判明した。 2018年には医学部不正入試問題がきっかけとなり、複数の大学で女性の受験者に不利な扱いをしたことが明らかとなった。2018年年度では、女性入学者と女性教員の割合の差が最大だったのは東京藝術大学の55.2%で、最小は関東学院大学の1.9%だった。割合の差が大きい大学では、教員と学生という権力差に性別が加わることで、ロールモデルの少なさやハラスメントなどの問題が懸念される。日本の組織は地位が上がるほど女性の比率が小さくなる傾向にあり、大学も同様であり、東京大学の女性教授の割合は2018年年度で7.8%だった。
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