猫に小判
「猫に小判」とは、「価値のある物を与えられても、当人にはその価値が理解できない」という意味の慣用表現である。おおむね「価値を理解できない人に価値ある物を与えても意味がない」または「どんなに価値ある者もそれを理解できない者にとっては無価値に等しい」といった趣旨の表現に用いられる。
たとえば、その道の愛好家にとって垂涎の的である超希少なコレクターズアイテムも、その分野に興味のない人にとっては普通の品、あるいはガラクタにしか見えないかもしれない。そのような「価値のわからなさ」が「猫に小判」と表現されやすい。
「価値ある物の価値を理解しない」さまを表現する比喩的な言い方は、「猫に小判」以外にもいろいろある。たとえば「豚に真珠」や「犬に論語」「馬の耳に念仏」などが挙げられる。
「猫に小判」と「豚に真珠」「犬に論語」「馬の耳に念仏」の違い
「猫に小判」「豚に真珠」や「犬に論語」「馬の耳に念仏」の意味はほぼ同じである。「猫に小判」や「豚に真珠」は「物質的なモノの値打ち」に関する比喩として、同じく「犬に論語」と「馬の耳に念仏」は「教えや思想の尊さ・ありがたさ」に関する比喩として用いられやすい。
「猫に小判」は「上方いろはかるた」の「ね」の札の意匠になっている。「いろはかるた」は江戸時代中期~後期に成立したとされる。古くから親しまれていた慣用句であることが伺われる。
「豚に真珠」は「新約聖書(マタイ伝)」を出典とする西欧のことわざである。
その他の「猫に小判」の類語
「猫に小判」と同じ趣旨のことわざ・慣用句としては、「豚に真珠」「犬に論語」「馬の耳に念仏」の他に、「馬耳東風」「牛に経文」「兎に祭文」などの表現も挙げられる。「猫に小判」の対義語
「猫に小判」の対義語としては、「鬼に金棒」や「弁慶になぎなた」「虎に翼」などの表現が挙げられる。いずれも「ただでさえ強い者にさらに強さが加わる」という意味の表現である。とりわけ「鬼に金棒」や「弁慶になぎなた」は、それぞれ使い慣れた得物であり、その使い方はよく心得ているだろうから、「価値の高さを正しく理解している」という意味合いも見出せそうである。
ちなみに「猫に鰹節」は、「その価値の高さを知っている」という意味にも取れそうではあるが、これは「いつ手出しされるか知れたものではない、油断ならない、危険がつきまとう」という意味で用いられる表現である。
「猫に小判」に関連する用語の解説
「猫に小判(ポケモン)」とは
ポケモンにおける「猫に小判」は、正しくは「ネコにこばん」と表記されるが、これは主に猫モチーフのポケモンが習得できる技の名前である。戦闘終了時に賞金とは別に金が拾えるという効果が付与される。猫に小判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/12 00:28 UTC 版)
概要
高価なものを与えようとも、それがその与えられた者にとっては価値が分からないようでは、何の意味もないようなことを意味する[1]。
例えば有名な画家が描いた100万円の絵画があったとしても、その画家を知らなかったり絵画に興味がない人にとっては100万円も価値が有ると感じることは無い。このように分からない人にとっては100万円の絵画は役には立たず、このような状況を猫に小判と表現する[2]。
他の動物ではなく猫が選ばれたのは、猫は興味のないものには関心を示さない性格であるからという説がある[2]。
犬に小判という言葉もあり、猫に小判と同じような意味で用いられている[3]。
歴史
1687年に書かれた『評判記野良立役舞台大鏡』で、水嶋四郎兵衛という人物が珍紛漢の絶句律詩を綴って子細をこね回したところ、猫に小判を見せたようになって良いのかどうか分からなくなったようなことが書かれている[1]。
江戸時代の中期には「猫に小判を見せたよう」という形でこの言葉が用いられていたが、後に猫に小判と簡潔にして用いられるようになっている[1]。
江戸時代の後期には、上方のいろはかるたに猫に小判が採用され、このことから猫に小判は更に広く知られるようになる[1]。
小判が姿を消した時代になってからも、この言葉は広く用いられている[1]。
その他
ポケットモンスターの技にねこにこばんというのがある。 溝入敬三のアルバムCDに『猫に小判』というのがある[4]。
脚注
- ^ a b c d e 日本国語大辞典,デジタル大辞泉,ことわざを知る辞典, 精選版. “猫に小判(ねこにこばん)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月19日閲覧。
- ^ a b “「猫に小判」の意味とは? 使い方・例文のほか由来や類語も紹介”. マイナビニュース (2022年1月21日). 2023年10月19日閲覧。
- ^ 日本国語大辞典, 精選版. “犬に小判(いぬにこばん)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年10月19日閲覧。
- ^ “溝入敬三/猫に小判”. tower.jp. 2023年10月19日閲覧。
猫に小判
出典:『Wiktionary』 (2021/08/11 08:51 UTC 版)
ことわざ
語誌
同義句
類義句
その他の用例
- 彼猫を捕引出し、左衛門大にいかり、汝大切の金子を何とて、箇様になしたるぞとて、是を切らしむ、鹿左衛門後悔し是我誤なり、俗にいふ猫に小判、馬の耳に風と、世のたとえもありけるにと、其跡を憐けり、 (『獣太平記』安永7年(1778年))
- 片田舎には。指南する人まれなる故に。たま/\彼の巻々を披といへども。猫に小判にて。をのづから泣寐入になる者少なからず。よつてひそかに是をなげき。いにしへのちんふんかんを。当世の平直詩に仕替。風流源氏物語と題号して。 (『東海道敵討』巻末)
- 武士の道は随分と立つる此男、心の中がいうて聞せたいけれど、貴殿などの聞れては、正真の猫に小判。 (『傾城播磨石』)
- 一両出して渡さんとすれども猫に小判のたとへの通り体は徳太郎でも魂は猫故小判を目にもかけず空うそぶいて居る (唯心鬼打豆)
- されども音を知る人は稀に、巍々洋々も徒らに、猫に小判の耳なければとて、包みて光を世に顕さず、只独の楽とす。 (鶉衣)
- 夫れ劇場の不寐見木戸を鼠木戸と心得、封糧側之麻子を猫と呼ぶ。猫に小判の喩へも空しからず、金猫の名有れば鏵かと思ひ、銀猫とは香炉かと思ふ。 (『一目土堤自叙』)
- 蓋し学者先生は、猫に小判の道理を知らざる者なり。博物図は猶小判の如く、或人は猶猫の如し。猫の小判に於ける、固より其用法を知らず、何ぞ其貴きを知らんや。然り而して此先生も亦、一種の猫たるを免かれず。此猫は小判の貴きを知て、其用法を知らざる者なり。先生若し「ゾーロジー」と「ボタニー」の教育に大切なるを知らば、此学問が何故に大切なりとの訳けを、説き教ゆ可き筈なるに、其訳けもなく、唯博物図を大切なりと計り云うては、頓と又訳けの分らぬことなり。必竟先生も人の話を聞いて、之を大切なりと思ひ、自分の内にも此巻物を買うたるゆゑ、人にも勧ることならん。詰る所は猫に勧めて小判を求めしむるのみ。 (『福沢文集』巻之一)
- 経済学といふものはどうして起こりますか。全体経済学では需要供給といふことを第一に言ひますが、需要といふのは人間があれが欲しい是が欲しいと言つて求める欲望です。人間の欲望が物の価値の一番土台になつて居るのでございますから、人間の心の有様をよく知らなければ、本当の経済学は分るものでは無い、金に価値がある銀に価値が有ると申しますが、其の価値は何から出て来たのでせう。皆人の心から出て来たのであります。「猫に小判」といふ諺がありますが、猫には人のやうな心が無いから、黄金を前へ持って行っても、瓦や石と変った事は無いのです。若し人やうな心が有るならば、猫の前に小判を出せば、急いで持って行くかも知れませぬ。物の価値は全て我々の心から出て居るのでありますから、経済学も心理学が基礎になつて居るのです。すべてかういふ学問を根本的に学ぼうと思ふ者は、どうしても心理学の知識が無くてはなりませぬ。(『』実際的心理学)
- 先に引用したフオイエルバツハの一文をも引用しながら、彼はフオイエルバツハがその一文に於いても心的過程と物的過程とは唯一生命過程の二面であるけれども、同一性質のものではないことを主張してゐることには猫に小判である。(『学術維新原理日本 上巻』)
- 斯様に宗教、実は教会は政治と密着して専制政治を授けて居つたのでありますからして、此点に於て、マルクスが「宗教は民衆の阿片である」と云つたのは、さういふ独逸の当時としては事実であります。尤も彼は堕落せる教会を見てそれを宗教の本質としたのでありますから、彼には真の宗教は猫に小判であつたのであります。(『独露の思想文化とマルクス・レニン主義』)
参照
翻訳
出典
「猫に小判」の例文・使い方・用例・文例
猫に小判と同じ種類の言葉
- 猫に小判のページへのリンク