馬耳東風
馬耳東風とは、馬耳東風の意味
馬耳東風とは、他人の意見や批評を気にかけないで聞き流すという意味のこと。中国の詩人である李白の書いた「答王十二寒夜独有懐」内の「世人之を聞けば皆頭を掉り東風の馬耳を射るが如き有り」が由来となり生まれた四字熟語である。馬の耳に念仏と似ているが、馬の耳に念仏は念仏の有り難さがわからないという意味なので、聞き流す馬耳東風とは異なる。英語表現では「talking to a wall」となる。馬耳東風がなぜ他人の意見や批評を気にかけないで聞き流すという意味になるのかだが、馬の耳に心地いい春風が吹いても馬は何も感じないということから何を言われても全く気に留めないことを馬耳東風と表現することとなった。
馬耳東風の類語、対義語
馬耳東風の類語には牛に対して琴を弾いて聞かせても何も意味がないという「対牛弾琴」がある。馬耳東風の対義語は「呼牛呼馬」がある。相手が自分を牛と呼べば牛、馬と呼べば馬だと思うという意味で逆らわずに受け入れることを指している。馬耳東風の例文や使い方
馬耳東風の例文としては「折角の有り難い講話も彼女にとっては馬耳東風に過ぎない」というような、誰かを評価するというような使い方が多い。また、聞く耳を持たない相手を叱る時に「せっかく先輩が親身になって話をしてくれたのに馬耳東風な態度は失礼だ」などといったような使い方もある。ばじ‐とうふう【馬耳東風】
馬耳東風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/25 02:48 UTC 版)
馬耳東風(ばじとうふう)は、唐の時代の中国からの言葉。
概要
他の人の意見や忠告には耳を貸さないことをいう。聞き流しているという様である。馬の耳に春風が吹き抜けても、馬は何も感じないというように[1]。かぐわしい春風が馬の耳を吹きぬけようとも、馬には何の感動も無いということから。少しも反省をしないような場合のことも馬耳東風という[2]。
由来
この言葉は唐の時代の詩人である李白の作品である「答王十二寒夜独有懐」から来ている。そこでは、世の中の人々というのは、詩や賦を聞いても良さを理解することができずに、頭を振るのみで聞き入れるということはない。それは馬というのは耳をなでて吹く春風には何も感じないようなものであるとしていた。このことから馬耳東風といわれるようになった。これは初期は世間一般の人々のことを批判するという言葉であった[3]。
脚注
- ^ “馬耳東風 | スピーチに役立つ四字熟語辞典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス”. 情報・知識&オピニオン imidas. 2026年1月25日閲覧。
- ^ 日本国語大辞典,四字熟語を知る辞典,ことわざを知る辞典, デジタル大辞泉,精選版. “馬耳東風(バジトウフウ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2026年1月25日閲覧。
- ^ nakamuranami (2022年2月2日). “【馬耳東風】←正しく使えてる?|いまさら聞けない四字熟語”. Domani. 2026年1月25日閲覧。
「馬耳東風」の例文・使い方・用例・文例
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