馬聯甲とは? わかりやすく解説

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馬聯甲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/26 09:36 UTC 版)

馬聯甲
プロフィール
出生: 1864年同治3年)
死去: 1924年民国13年)
中華民国
出身地: 江蘇省海州東海県[1]
職業: 軍人
各種表記
繁体字 馬聯甲
簡体字 马联甲
拼音 Mǎ Liánjiǎ
和名表記: ば れんこう
発音転記: マー リエンジア
ラテン字 Ma Lien-chia
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馬 聯甲(ば れんこう)は清末民初の軍人。初めは安徽派に属したが、後に直隷派に転じた。

事跡

清末は淮軍に属した。1912年民国元年)、安武軍統領となる。1913年(民国2年)1月、陸軍少将に昇進する。1915年(国4年)12月に袁世凱が皇帝に即位すると一等男に封じられた。

1918年(民国7年)1月、安徽陸軍第1混成旅旅長、皖南鎮守使、会弁安徽軍務善後事宜に任命された。安徽派倪嗣沖配下であったが、1920年(民国9年)の安直戦争で安徽派が敗北すると、馬聯甲は直隷派に転じた。

1922年(民国11年)、安徽督軍張文生を駆逐して、馬が安徽督軍(督理)に任命された。しかし、1924年(民国13年)の第2次奉直戦争で直隷派が敗北すると、同年11月に、馬も部下により下野に追い込まれ、南京へ逃亡した。

同年中に馬聯甲は死去した。享年61。

  1. ^ 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』の記載による。来新夏ほかによる『北洋軍閥史 下冊』では安徽省出身としている。

参考文献

  中華民国北京政府
先代:
張文生(安徽督軍)
安徽督理
1922年10月 - 1924年11月
次代:
王揖唐(安徽督弁)



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