犯行発覚
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1957年11月16日の朝、プレイン・フィールドにある金物店の女主人、バニース・ウォーデン(Bernice Worden)が姿を消した。住民の1人は、午前9時半ごろ、店の裏手から貨物自動車が去っていった、と述べた。その日は丸一日、客がほぼいなかった。一部の住民は、「鹿狩りの季節だからだ」と信じていた。午後5時ごろ、バニースの息子で副保安官のフランク・ウォーデン(Frank Worden)が店に入った。店の金銭登録機が空いており、床には血痕が見付かった。フランクは捜査官たちに対し、母が失踪する前の晩にゲインが店を訪れ、翌朝、1ガロンの不凍液(Antifreeze)を買うために店に戻ってきただろう、と語った。1ガロンの不凍液の売上伝票は、彼女が失踪した日の朝に記録した最後の領収書であった。この日の夕方、ゲインはウエスト・プレインフィールドにある食料雑貨店で逮捕された。ウォシェラ郡保安局がゲインの農場を捜索した。 郡保安官代理 は、ゲインが所有していた小屋の中でバニースの死体を発見した。彼女は首を斬り落とされており、両足首は横木で、両手首には縄が回されて固定されており、両脚は逆さまに吊るされていた。胴体は「鹿の肉を食べるのと同じ要領で、『下ごしらえ』されていた(血や内臓が抜かれていた)」。彼女は22口径小銃で撃たれており、ゲインは彼女を殺したあとに身体を解体した。 家宅捜索で当局が発見したものは以下の通りであった。 ヒトの骨全部とその断片 ヒトの皮膚で作ったゴミ箱 ヒトの皮膚で覆われた椅子 寝台支柱に引っ掛けられた頭蓋骨 上部が挽き切られた女性の頭蓋骨 ヒトの頭蓋骨から作ったボウル 肩から腰まで皮を剥いだ女性の胴体から作った体型補正下着 ヒトの脚の皮膚から作った脛当て 女性の頭の皮膚から作った仮面 メアリー・ホーガンの顔を使って作った仮面(紙袋に入っていた) メアリー・ホーガンの頭蓋骨(箱の中に入っていた) バニース・ウォーデンの頭部全体(黄麻布のずた袋に入っていた) バニース・ウォーデンの心臓(達磨ストーブの正面に置かれてあったポリ袋の中に入っていた) 9つの外陰部(靴箱の中に入っていた) 少女用の衣装と、「およそ15歳」と判断された女性の外陰部が2つ 女性の乳首から作ったベルト 4つの鼻 日除けの引き紐にくっ付いた一揃いの唇 ヒトの顔の皮膚から作ったランプシェイド 女性の指と爪 これらの人工的遺物は、州立犯罪研究所が写真に収めたのち、「礼儀正しく処分した」という。 捜査員からの尋問に対し、ゲインは1947年から1952年にかけて「茫然自失」の状態にあったころ、最近になって埋葬された遺体を掘り起こす目的で、地元にある3つの墓地を夜間に40回訪れた、と語った。墓地にいる間に眩惑状態から解放され、気分良く墓地から去り、手ぶらで帰宅したという。ゲインは、最近になって埋葬された中年女性、-母オーガスタに似た女性- の墓を掘り起こし、その死体を自宅に持ち帰り、その皮膚をなめして「道具」を作った。ゲインは墓地から9体の死体を盗掘した行為を認め、自分が死体を盗んだ箇所を捜査官に案内した。州立犯罪研究所のアラン・ウィリモフスキー(Allan Wilimovsky)は、ゲインが明らかにした3つの墓を開く検証作業に参加した。棺はいずれも木箱の中に入っていた。天板は交差されていた(縦方向ではなかった)。箱の上部は砂質土壌の表面からおよそ2フィート(約61㎝)下にあった。墓がまだ仕上がっていない間に、葬儀が終わった直後にその墓を奪った。ゲインがわずか一晩の間に片手で墓を掘れるかどうかについては当局は確信が持てずにおり、墓の発掘の検証作業が行われた。ゲイン本人が説明したとおりとなった。発掘された墓のうちの2つには何も入ってはおらず、そのうちの1つには、死体の代わりにかなてこが入っていた。てこ棒を紛失したゲインには、棺の1つが開けられなかった。盗んだ死体の多くは3番目の墓場に埋葬されていたものであったが、ゲインは死体が身に着けていた指輪や、身体の一部の部位については元に戻しており、これらはゲインによる告白を裏付けるものであった。 母・オーガスタの死からまもなく、ゲインは「文字通り、母の皮膚の内部に入り込み、母・オーガスタと一体化する」ために、「女性用スーツ」を作り始めた。盗掘した死体との性行為(屍姦)については、「匂いが不快過ぎるんだ」と否定している。州立犯罪研究所の職員による尋問で、1954年以降行方不明となっている居酒屋の女主人、メアリー・ホーガン(Mary Hogan)を撃ち殺したことを認めたが、その出来事の詳細については「知らない」と答えた。 両親がゲインの友人であり、ゲインと一緒に球技をしたり映画を鑑賞したことがある16歳の若者は、ゲインが「フィリピンから届いたものだよ」と語った干し首(Shrunken Head)を自宅に保管していたことを話した。ゲインによれば、第二次世界大戦中に島で従軍していた従兄弟が送ってきたものだという。警察による捜査の結果、ヒトの顔の皮膚であると判定され、死体から注意深く剥がされたのち、ゲインが仮面として使っていたという。 ゲインは1953年にラ・クロス郡から失踪した子守、エヴリン・ハートリー(Evelyn Hartley)の件をはじめ、他の複数の未解決事件の容疑者でもある、と見なされていた。 ウォシェラ群保安局の保安官、アーサー・シュリー(Arthur Schley)は、ゲインへの取り調べの最中に、彼の頭と顔をレンガでできている壁に叩き付けた、と伝えられる。この行為のせいで、ゲインの当初の自白と供述は「証拠として認められない」と裁定された。シュリーはゲインの裁判が始まる前の1968年、心不全で死亡した。43歳であった。シュリーのことをよく知っていた人々の多くは、シュリーはゲインによる犯行のおぞましさに対して精神的外傷(Trauma)を負ったのだ、と語った。そして、このトラウマは、証言の義務に対する恐れ(とくに、尋問中にゲインを暴行したことについて)とともに、彼の死につながった。シュリーの友人の1人は、「シュリーは、ゲインがシュリーの身体を解体したかの如く、間違いなくエド・ゲインの餌食となったのだ」と述べた。
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