出来事の詳細
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「ガディール・フンムの出来事」の記事における「出来事の詳細」の解説
イスラーム暦10年(西暦632年)、その翌年にムハンマドは逝去するのであるが、ムスリムが住んでいる全地域、部族に対して彼がメッカに行ってハッジの大巡礼を挙行するつもりであることを伝えた。その結果、最も多くの信者が参加した行事が挙行され、別離の大巡礼として知られるようになる。 大巡礼の帰途ムハンマドはガディール・フンムで信者が全員集まるよう命じた。イエメンから参加した信者達にも違う道から帰るという理由で免除することはしなかった。 メッカとメディーナの間のガディール・フンムで次の『クルアーン』の節が啓示された。 یَا أَیُّهَا الرَّسُولُ بَلِّغْ مَا أُنْزِلَ إِلَیْکَ مِنْ رَبِّکَ ۖ وَإِنْ لَمْ تَفْعَلْ فَمَا بَلَّغْتَ رِسَالَتَهُ ۚ وَاللَّهُ یَعْصِمُکَ مِنَ النَّاسِ ۗ إِنَّ اللَّهَ لَا یَهْدِی الْقَوْمَ الْکَافِرِینَ 日本語訳:おお、御使いよ!あなたの主からあなたに下された(すべての)ものを、伝えなさい。あなたがそれをしないなら、かれの啓示を伝える使命は果せないであろう。神は、(危害をなす)人々からあなたを守護なされる。まことに神は決して不信心の民を導かれない。 この節が啓示された後、ムハンマドは巡礼者たちを集め、説教を行った。 「おぉ人々よ、私はもうすぐ私の主のお呼びに応えてあなたたちの中から去らなければならない。あなたたちと同じように私も清算に呼び出されるであろう。あなたたちは唯一でありユニークであられる神の他に礼拝に値するものはないと証言するであろうか?あなたたちはムハンマドは神のしもべであり、み使いであると証言するだろうか?楽園、地獄の日、そして死はすべて真実であるだろうか?報奨と復活の日が確かに来る、そして神は大地の中に葬られている者たちを蘇らされることは真実であろうか?」 大群衆は答えた。 「まことにわれわれはそれらのことすべての証人である」と。 聖預言者(SAW)はこう続けられた。 「さて報奨の日がわれわれの前に控えている。あなたたちは復活の平原に死者が立ち上がらせられることを信じ、その日あなたたちはあなたたちの預言者の前に立たされる。私は来世に向かって旅立つので、私があなたたちに残す2つの重大なもの(サクァライン)、貴重な遺産をどのように扱うか注意せよ! 2つの中のより偉大なるものは「神の本(クルアーン)」である。それは神のみ手にあるのと同様に、あなたたちの手の中にある。それ故あなたたちは誤って導かれないようしっかりとそれを掴んでおれ。2つの遺産の中の小さいほうの者はわたしの子孫であり、わたしの「アフルルバイト(神の家の家族)」である。その2つの遺産は復活の日までお互いに決して離されないと神はお告げになった。 おお人々よ、これらの2つの遺産にソッポを向いてはならない。あなたたちがそれらの2つ「神の本」と「わたしの家族」に頼る限り、あなたたちは決して迷うことはない」 ここで聖預言者はアリーを側に呼び、手を取って高く掲げ、アリーのすべての性格、徳性を集まった群衆に説明して示した。それから神のみ使いは尋ねた。 「おぉ人々よ!信ずる者たち(信者)自身よりも誰がよりよく受け入れられる資格があるだろうか?」と。 人々は答えた。 「神と神のみ使いがよりよく知っている」と。 彼は続けた。 「私がマスター(アラビア語ではマウラー)である者は誰でも、今やアリーがその人のマスターである。 おぉ神よ!アリーを愛する者を愛し、アリーを敵にする者はだれであれ敵としてください。おぉ神よ!彼を助ける者はだれであれ助け、彼の敵を低くしてください。おぉ神よ!彼を真理の「要」としてください。」と。 シーア派の主張ではこの後聖クルアーンの食卓章3節が啓示された。 الْیَوْمَ أَکْمَلْتُ لَکُمْ دِینَکُمْ وَأَتْمَمْتُ عَلَیْکُمْ نِعْمَتِی وَرَضِیتُ لَکُمُ الْإِسْلَامَ دِینًا 日本語訳:今日われはあなたたちのために、あなたたちの宗教を完成し、またあなたたちに対するわれの恩恵を全うし、あなたたちのための教えとして、イスラームに満足したのである。 伝承によれば、その後ムハンマドは信者全員がアリーとベイアの忠誠の誓いをし、彼にお祝いをするように命じた。 アッラーマ・マジュレスィーが編纂したビハール アル・アンワールによれば、当時の有名な詩人であったヒサーン・ビン・サービトもまたムハンマドの許可を得てこの出来事についての詩を作ったのである。 その後ムハンマドはアンサールとともにメディーナに帰ったとされる。
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