出来事・キャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 03:21 UTC 版)
「サチェル・ペイジ」の記事における「出来事・キャリア」の解説
佐山和夫著 『史上最高の投手はだれか』(潮出版社,1984年)より 1906年・7月7日、アラバマ州モービルで生まれる(役所の記載による) 1918年・12歳 おもちゃを盗み教護院へ送られる。 1923年・17歳 教護院を出る。 1924年・17歳 黒人のセミプロチーム「モービル・タイガース」に入団。30勝1敗。(10月11日、カンザスシティにて第1回黒人(カラード)ワールドシリーズ。) 1926年・19歳 黒人プロチーム「チャタヌガ・ブラック・ルックアウツ」に引き抜かれる。月給50ドル。 1928年・25歳「バーミングハム・ブラック・バロンズ」に引き抜かれる。月給275ドル。 1929年・26歳「ナッシュビル・エリート・ジャイアンツ」所属。シーズン終了後一時的に「ボルティモア・ブラック・ソックス」の巡業に参加。大リーグオールスターと対戦するもベーブ・ルースとの勝負の機会はなし。同シリーズでジミー・フォックスを3打席三振で抑える。 1933年・27歳 ピッツバーグ・クロフォーズ所属。42試合31勝4敗。21連勝。(クール・パパ・ベル200試合で175盗塁) 1934年・28歳 ノースダコダのビスマーク所属。105戦104勝。大リーグ選抜相手に延長13回1-0で勝利。ワールドシリーズの優勝チームカージナルスとサチェルを主力とした黒人リーグ選抜の9試合でカージナルスに2勝しか許さず。 1935年・29歳 40イニングで三振奪取60。MVP獲得 1937年・31歳 ドミニカ大統領から3万ドルを受取チームを編成、ベネズエラ、ドミニカで8週間の巡業を行う。 1938年・32歳 カンザスシティ・モナクス所属。メキシコで腕を痛めるが復調。42年までの連続優勝の立役者となる。 1939年・33歳 カンザスシティ・モナクス所属。主戦投手としてモナクスの優勝に貢献。アラバマ州にて外野手引き上げのパフォーマンスが失敗。 1941年・35歳 ニューヨーク・サン紙にて特集記事となり年齢を34歳から40歳としている。 1942年・36歳 カンザスシティ・モナクス所属。ニグロワールドシリーズでグレイズ相手に4勝のうち3勝。「インデペデント・プレイヤー(独立選手)」としてチームのユニフォームを着ずに「PAIGE」の名前だけのユニフォームを着用。7月21日、ピッツバーグにてかつてのチームメイト「黒いベーブルース」ジョシュ・ギブソンと対戦。満塁にして勝負し三球三振に打ち取る。 1943年・37歳 カンザスシティ・モナクス所属。ニグロリーグ東西オールスターのファン投票で1位に選ばれる。オールスター戦の観客数は51,723人。 1945年・39歳 カンザスシティ・モナクス所属。西海岸でのエキシビジョンでボブ・フェラーと投げ合う。 1947年・41歳 カンザスシティ・モナクス所属。21勝0敗。(ジャッキー・ロビンソンがドジャース入団を前提にファームチームモントリオールに入団) 1948年・42歳 クリーブランド・インディアンス入団。初の大リーグ入り。このときチームにはボブ・フェラーがいた。 1948年・42歳 クリーブランド・インディアンス所属。7月9日、本拠地クリーブランド市営球場セントルイス・ブラウンズ戦にて大リーグ初登板。2回2安打無失点、三振1。先発した2度目の登板で完封勝利。8月20日、シカゴ・ホワイトソックス戦で78000人の観客を集める。大リーグ1年目の成績は6勝1敗セーブ数はおよそ10。防御率2.48。1敗はエラーによる失点で試合は0-1。ボストン・ブレーブスとのワールドシリーズ第5戦でシリーズ初登板。投球回数わずか2/3。チームは優勝したが活躍の機会を与えられなかったことで選手兼任監督ルー・ブードローとの関係が悪化。 1949年・43歳 クリーブランド・インディアンス所属。大リーグ2年目4勝7敗。防御率3.04。シーズンオフに解雇。 1950年・44歳 大リーグを追われ「インデペデント・プレイヤー(独立選手)」としてプレイ。 1951年・45歳 セントルイス・ブラウンズ(現ボルティモア・オリオールズ)所属。2度目の大リーグ入り。45歳で3勝4敗、62イニング48奪三振。 1952年・46歳 セントルイス・ブラウンズ(現ボルティモア・オリオールズ)所属。12勝10敗10セーブ。投球回数138イニングス奪三振91。被安打116四死球57。 1952年・47歳 セントルイス・ブラウンズ(現ボルティモア・オリオールズ)所属。オールスター出場。3勝9敗。シーズン終了後にチームは売却され、ボルティモアに本拠地が移転。 1953年・2年連続オールスター出場。 1954年・50歳 黒人リーグで148試合に登板。 1956年・51歳 マイアミのマイナーリーグ「マイアミ・マリーンズ」で37試合に登板。11勝4敗 防御率1.86。111イニング奪三振79。 1957年・52歳 10勝8敗 防御率2.42 1958年・53歳 10勝10敗 防御率2.95 1960年・55歳 主にセミプロ球団で投げる。11イニングで22三振。 1961年・56歳 3Aパシフィコ・コースト・リーグ「ポートランド・ビーバーズ」入団。5試合25イニング19奪三振。防御率2.88 1962年・57歳 インディアナポリス・クラウンズ戦で5回6安打、7点を献上しノックアウト。 (ジャッキー・ロビンソンとボブ・フェラーが野球殿堂入り) 1964年・58歳 アラスカ・アースクエイクス所属。大リーグカンザスシティ・アスレチックスから入団のオファー。 1965年・59歳 カンザスシティ・アスレチックス所属。9月25日、大リーグ最後の登板。レッドソックス戦3回1安打無失点。投球数28。 1968年・61歳 ミズーリ州ジャクソン郡にてシェリフ(公選治安官)の代理となる。 1970年・63歳「アトランタ・ブレーブス」入団。4度目の大リーグ入り。背番号65。 1971年・野球殿堂入り。ただし、大リーグでの経験10年という基準を満たしていないため特別枠。 1981年・10年を経て正規の資格者として「黒人としては」ではなく、「黒人リーグから初めての」野球殿堂入りを果たす。 1982年・75歳 カンザスシティのサチェル・ペイジ球場で始球式。この始球式の日の3日後に死去した。
※この「出来事・キャリア」の解説は、「サチェル・ペイジ」の解説の一部です。
「出来事・キャリア」を含む「サチェル・ペイジ」の記事については、「サチェル・ペイジ」の概要を参照ください。
- 出来事・キャリアのページへのリンク