オークランド・アスレチックス
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オークランド・アスレチックス(英語: Oakland Athletics、略称: OAK、ア軍)は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)アメリカンリーグ西地区所属のプロ野球チーム。本拠地はカリフォルニア州オークランドにあるオークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム。チーム名が長いことから「A's(エーズ)」と略称でも呼ばれる。
- 1 オークランド・アスレチックスとは
- 2 オークランド・アスレチックスの概要
カンザスシティ・アスレチックス
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「1955年のメジャーリーグベースボール」の記事における「カンザスシティ・アスレチックス」の解説
前年1954年の暮れにアメリカンリーグから正式にアスレチックスのオーナーとして認められたアーノルド・ジョンソンはアスレチックスをカンザスシティに本拠地を移し、ヤンキースのファームチームだったカンザスシティ・ブルーズ(4年前にミッキー・マントルがいた球団)の本拠地ルッパートスタジアムを既にカンザスシティが買い取って市営球場として改装して3万人の収容力を得て、この年の開幕からカンザスシティで試合を開催した。順位は6位に終わったが観客動員数は139万3,054人で前年のフィラデルフィアの30万4,066人から4倍以上の観客を集めた。 ただ新しいオーナーのジョンソンは当時ヤンキースのオーナーであるデル・ウェップとダン・トッピングとは密接な関係があり、市営球場の建設はウェップが請け負い、トッピングはまたジョンソンの会社の役員でもあった。そしてジョンソン自身はもとはヤンキースタジアムの所有者であった。新しい球団のGMになったバーク・キャロルをはじめ元ヤンキースの職員がフロントの主な地位を占め、ヤンキースとの不明瞭な関係は部外者からも疑問が持たれるようになった。やがてアスレチックスはヤンキースに有望な若手をどんどんトレードで放出し、ヤンキースのベテラン選手がアスレチックスに行ったり、やがてまたヤンキースに戻ってきたりして、以前のカンザスシティ・ブルーズがアスレチックスに変わっただけでカンザスシティはヤンキースのファームチームなのかと批判される始末であった。こうしたれっきとしたメジャー球団のアスレチックスからヤンキースへトレードされた選手の中には、後にベーブ・ルースのシーズン本塁打記録60本を破ったロジャー・マリスがいた。 こうした関係が明らかになって地元ファンもそっぽを向き、観客動員もやがて77万人と半数に落ち、チームも低迷して、そしてジョンソンは下院の反トラスト法委員会で証言を行う羽目に至り、1960年3月に心臓発作で急死した。そしてその後にアスレチックスのオーナーとなったのが保険業で財を成したチャーリー・O・フィンリーである。奇抜なアイデアマンで、決して付和雷同しない一匹狼で、そして毎年監督を変える独裁者で、オーナーとなってすぐに再び本拠地の移動を考える男であった。しかし彼のアイデアから後に指名打者制度が生まれる。
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