チャイコフスキーとの蜜月
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「イオシフ・コテック」の記事における「チャイコフスキーとの蜜月」の解説
コテックは1855年、ウクライナのカームヤネツィ=ポジーリシクィイに生を受けた。モスクワ音楽院にてヤン・フジマリーの下でヴァイオリンを学び、チャイコフスキーには作曲の指導を受けていた。出会った当初から両者は互いに魅かれ合った。コテックはチャイコフスキーの音楽に最大限の賛辞を贈り、チャイコフスキーの側からはお気に入りの学生であった。 チャイコフスキーはロシア語で雄猫を意味する「コーティク」と呼ぶ教え子に夢中になる。2人が恋人同士になったのではないかという憶測が流れるようになり、明確にそう断言する者も現れた。彼らが肉体的に非常に親密となっていたのは確かである。それはチャイコフスキーがコテックについて1876年に弟のモデストへ書き送った手紙の中に示されている。「彼が手で私を愛撫するとき、彼が頭を傾け私の胸にもたげさせるとき、そして私は彼の髪に自分の手を走らせ、気付かれないよう口づけをする(中略)私の中では想像を絶するほどの強さで劣情が荒れ狂う(中略)しかし私は肉体的結びつきを全く欲していない。もしそうなってしまったら、彼に対して冷めてしまうだろうと感じる。もしこの素晴らしい若者が、老いつつある腹の出た男と肉体関係を持ったことで品位を落としてしまったなら、それは私にとって喜ばしくないことだ。」 コテックは1876年に音楽院を卒業する。当時、裕福な未亡人でパトロンのナジェジダ・フォン・メックが音楽院に対し、室内楽その他の作品を演奏してくれるヴァイオリニスト自らの家庭に加えるので斡旋して欲しい旨依頼していた。彼女には11人の子がおり、さらにお抱えの医者たち、様々な音楽家を含む大勢のスタッフがいた。ニコライ・ルビンシテインはコテックを推薦した。既にフォン・メックはチャイコフスキーの音楽を耳にしたことがあり気に入っていたが、新しいヴァイオリン作品の委嘱を持ちかけつつ彼に連絡を取ったのはコテックの進言によるものだった。また、コテックは彼女にチャイコフスキーの貧しい経済状況について伝えている。こうして音楽史上で最も驚くべき芸術的私的交流が開始された。14年間という期間にわたって彼女はチャイコフスキーを資金面で援助し、生活費を稼ぐための教職を続ける必要をなくし、専業作曲家となれるようにしたが、彼らが直に顔を合わせることは一度もなかったのである。この間、コテックはフォン・メックとチャイコフスキーを仲介する役割を果たした。 1877年のはじめ、チャイコフスキーはコテックのために『ワルツ・スケルツォ』 ハ長調を作曲した。コテックがこの作品の一部もしくは全体のオーケストレーションを行った可能性がある。曲は1878年に出版されるとコテックへと献呈された。 チャイコフスキーは完全な同性愛者であったが、1877年7月18日にアントニーナ・ミリューコヴァと結婚する。アレクサンドル・ポズナンスキーはこの頃チャイコフスキーとコテックは親密な関係であったと述べており、事実、結婚を控えた彼が家族にしたためた手紙にはこれから結婚しようとしている女性に対する無関心と引きかえに、コテックの幸福に関する憂慮が色濃く映し出されている。結婚の立会人は彼の弟のアナトーリとコテックだけだった。さらに、チャイコフスキーはパトロンから受け取った大金を出版社のユルゲンソンに預けていたが、万一これが必要となった場合にコテックが使えるようにするためだった。チャイコフスキーとミリューコヴァの結婚生活ははじめから破綻を運命づけられており、夫婦はまもなく離ればなれとなった。また、チャイコフスキーは心ここにあらずで自殺を試みている。コテックはこれらの出来事の詳細をうまく誤魔化して、チャイコフスキーの両親を含む周囲の関係者から隠し立てすることに関わった。この援助により作曲家とヴァイオリニストの互いに対する愛情はますます深まったのである。 しかしながら、コテックは完全な同性愛者ではなく、おそらく最初からそうではなかったと思われる。彼はフォン・メックの大所帯の中で女性たちと幾多の色恋沙汰を起こしており、これにより彼女はコテックに対して際立って冷淡な態度を取るようになった。彼はフォン・メックにいくから経済的援助をしてくれるよう申し入れたが拒絶されている。フォン・メックに2人の関係性の本質を打ち明けたことをコテックに非難されながらも、代わりにチャイコフスキーが彼の助けとなった。また、コテックは梅毒に感染していた。フォン・メックに解雇された後、コテックはヨーゼフ・ヨアヒムの下で学ぶべくベルリンに赴いた。
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