木造獅子狛犬
主名称: | 木造獅子狛犬 |
指定番号: | 3502 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 2002.06.26(平成14.06.26) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 一対 |
時代区分: | 南北朝 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 当社本殿の内々陣脇に安置される。通行の標準よりも大型の像で、無角・開口で体部金色の獅子と、有角・閉口で体部銀色の狛犬という一対からなる。両像ともお互いの内側(拝者側)に頭を向け、獅子は左前肢を手前に引くが狛犬の両前肢は揃えられる。このような動きの型は、どう猛な獣の写実的表現とともに鎌倉時代前期に確立し、以後受け継がれた。本像は細部に至るまで動物らしい写実が強調されてその正統に属することを示しているが、威嚇する面相部がやや過剰に過ぎ、たてがみも形式的な整いがあり、全体として大仰で装飾的ともいえる様相を示すので、製作は南北朝時代に下る。 当社本殿は観応二年(一三五一)に火災に遭い焼亡する。その後の復興は、明徳年中(一三九〇-九四)に柱始があり、応永二十八年(一四二一)に仮殿遷宮、同三十二年に本殿遷宮が執行された。遷宮に際して神躰を順次書き出す史料(吉備津神社文書)があるが、そこに出てくる神々の最後に「師子」または「師子二所」とあるので、このときに本殿に安置され、神躰に準ずる扱いを受けたものと考えられる。現在の本殿は応永時のものなので、安置の場所は動いていないようである。したがってその造立は、復興の早い時点、おそらく罹災直後にほかの神躰とともに行われたと推定される。 一般に獅子狛犬は鎌倉時代後期から簡略化の傾向があるが、そのようななかで写実的表現を踏まえた正統的なつくりをみせる本像は、南北朝時代を代表する作例といえる。 |
木造獅子狛犬
主名称: | 木造獅子狛犬 |
指定番号: | 3506 |
枝番: | 0 |
指定年月日: | 2003.05.29(平成15.05.29) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 一対 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 現在、谷保【やぼ】天満宮宝物殿に安置される高さ一尺七寸を測る中型の獅子狛犬の一対像である。当初、本殿に安置されていた。無角開口で体部金色の獅子と有角(亡失)閉口で体部銀色の狛犬の一対からなる。 ともにヒノキ材と思われる針葉樹材の寄木造で、頭体幹部を地付まで前後四材に、さらにそれぞれを左右に矧ぐ構造になり、内刳のうえ面部を割矧ぎ、玉眼を嵌入する。 両像ともお互いに内側(拝者側)に体をやや捻って頭部を向け、内側の前肢を手前に引き、もう一方の前肢を前方に踏み出し、拝者側に顔を向ける姿勢をなす。動きのあるこうした表現は、京都・高山寺の木造獅子狛犬(嘉禄元年=一二二五年、重文)を先例として、八坂神社の木造獅子狛犬(重文)などのように動物としての現実感ある写実的表現とともに鎌倉時代前期に確立し、以後獅子狛犬の一典型となる。本像は、動物らしい写実表現のなかにも穏やかな作風を示すが、たてがみの表現にやや装飾性が加わるので、製作は一三世紀半ばころに求められよう。 当社は菅原道真の三男道武が関東に配流されて創建されたと伝えるが、その後源頼朝の御家人でのち法然に帰依した津戸【つのと】三郎為守【ためもり】(一一六三~一二四三)が現在地に遷座して復興したという。為守は承久元年(一二一九)に出家して、のちに当社神主になり代々子孫が宮司を務めている。 現在の本殿は寛永年間(一六二四~四四)の建立とされる。当社所蔵の世尊寺経朝(一二一五~七六)の筆になる扁額(重文)には建治元年(一二七五)の刻銘があり、この年を本像製作に重ねてみようとする説もある。本像の作風を考慮すれば、建治元年は当社復興完成の年で、本像製作はそれより遡って為守在世中のころと考えられる。 獅子狛犬は鎌倉時代後期から一部では簡略化、形式化の傾向のあるものが出てくるが、そのようななかで活発で動きがありながら写実表現を踏まえ、破綻をきたさない中央の正統的なつくりを見せる本像は、鎌倉時代を代表する作例と推賞されよう。 |
木造獅子狛犬
主名称: | 木造獅子狛犬 |
指定番号: | 3409 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1989.06.12(平成1.06.12) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 一対 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 神社の守護獣としての獅子狛犬像は、平安時代以来数多く造立されたが、いわゆる門神的な意味から社殿の内ではなく、階上縁などに置かれたためもあって、その平安期に遡る遺例はきわめて少ない。 滋賀・御上神社、京都・藤森神社、広島・厳島神社に伝わる獅子狛犬像はその稀な遺例として知られ、既に重要文化財に指定されている。 本一対象はこれらに比べて一段と大型のものであるが、前肢を揃えてほぼ正面向に前傾するやや胴長の姿、身体にそって後方へ柔らかく流れるたてがみ、筋骨の盛上がりを控えた表現など、前記平安古像と共通するところが多く、相近い頃の製作であることを思わせる。 しかし、嘉応元年(一一六九)の平清盛による社殿造営にその製作時期を結びつけて考えられる厳島神社像と比べると、本一対像では躰部に比して頭部が大きく、威嚇の表情がより直截であり、たてがみや肢毛の先を巻くものがあり、僅かながら鎌倉時代の獅子狛犬の要素が認められる。 製作の時期は鎌倉新様の芽生え始めた平安時代も末期とみるのが妥当であろう。 近世史料であるが、『白山諸雑事記』に、「本社の前二ツノコマ犬は、往昔陸奥・出羽ノ押領使秀衡ノ寄進、雲慶ノ作ト云伝也」とあり、鎌倉時代の巨匠運慶作の伝承はともかく、本一対像の製作をこの頃と考えても矛盾がない。 阿形の獅子、吽形の狛犬ともに檜の寄木造で、漆塗彩色仕上げとしているが、現状すべて剥落、黒色を呈し、獅子の耳、狛犬の頭頂の一角を失い、狛犬の尾を補作するが、保存状態は良好といえ、遺例の少ない平安期獅子狛犬の大作として推賞される。 もと本殿外陣に安置されていたが、美術院により解体修理が施されたのち、新設の宝物殿に収納陳列されている。 |
木造獅子狛犬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 16:17 UTC 版)
針葉樹材の寄木造で鎌倉時代の作。阿吽一対で本殿に安置されていたが、現在は宝物館に収蔵されている。平成15年(2003年)5月29日指定。
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