罹災直後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 01:38 UTC 版)
「ハリケーン・カトリーナ」の記事における「罹災直後」の解説
カリブ海沿岸、米南部などを中心に被害があり、フロリダ州などで死者が出たが、再上陸後のミシシッピ州、ルイジアナ州での被害が大きい。ミシシッピ州ではガルフポート、ビロクシといった湾岸都市、ルイジアナ州ではポンチャートレイン湖に面するニューオーリンズが壊滅的な被害を受けた。 ニューオーリンズでは湖及び工業水路の複数個所で堤防が決壊し、その結果、市内の陸上面積の8割が水没した。中でもアフリカ系アメリカ人が多く住むロウワー・ナインス・ワード、湖に面した高級住宅街レイクビューの各地区が特に大きな被害を受けた。上陸前から避難命令が出ていたにもかかわらず、死者は防げず、確認された死者は9月1日段階で数百人を超えた。この中には避難命令を受けた老人ホームの職員が真っ先に逃げ出したために自力で避難できなかった高齢者も少なからず含まれている。またヒューマン・ライツ・ウォッチの発表によれば、ニューオーリンズの刑務所で看守不在のまま受刑者600人以上が水や食料も与えられず4日間放置され、受刑者517人が行方不明になった。 罹災後、市の公共サービスは完全に麻痺し、市の完全封鎖を含む緊急事態宣言が出され、避難中の市民も他所に転出することが決まった。市内で最大の避難所ルイジアナ・スーパードームへの避難者はテキサス州アストロドームへ移転する。しかし行政が避難後の対応まで考慮していなかった影響で移転は全く進まず、しかも支援物資の不足により、高齢者などの衰弱死が相次いだ。たとえば避難命令の時点では、食料は避難者が持参するものとされていた。また、被災者名簿の作成が追いつかず新たな避難先に移転した際、家族と離れ離れになる被災者が続出している。市内の各地では廃墟のような街並みが広がり、遺体が水面を流れているといった光景が広がった。 避難命令があったものの、移動手段をもたない低所得者が取り残され、市内の食料品店などで略奪行為が続発した他、放火と見られる火災も起きている。2日でも避難者の移転作業が続いているが、略奪等により作業が妨げられていると市警察当局は非難した。市内では他にもレイプ、救援車両・医薬品輸送車への襲撃なども行われており、市内は無法地帯と化しているとの情報も流れた。そのため、州兵が現地に派遣され治安維持に当たった。 アメリカ合衆国で死者数を多く出したハリケーン順位ハリケーン名称発生年死者数1 ガルベストン・ハリケーン 1900年 8,000人から12,000人 2 オキーチョビー 1928年 2,500人以上 3 カトリーナ 2005年 1,836人 4 シェニエール・カミナダ 1893年 1,100人から1,400人 5 シー諸島 1893年 1,000人から2,000人 6 フロリダキーズ 1919年 778人 7 ジョージア 1881年 700人 8 オードリー 1957年 416人 9 レイバーデイ 1935年 408人 10 ラストアイランド 1856年 400人
※この「罹災直後」の解説は、「ハリケーン・カトリーナ」の解説の一部です。
「罹災直後」を含む「ハリケーン・カトリーナ」の記事については、「ハリケーン・カトリーナ」の概要を参照ください。
- 罹災直後のページへのリンク