罹災後
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燭台切光忠は罹災後90年余りは焼失したと思われていた。しかし2015年にゲーム『刀剣乱舞』が配信され、燭台切光忠をモデルとしたキャラクターが登場すると「燭台切光忠はあるか」という問い合わせが徳川ミュージアムに殺到したため、『罹災美術品目録』の情報を照らし合わせて捜索したところ徳川ミュージアム(旧・彰考館徳川博物館)倉庫内で焼刀のまま保管されていたことが判明し、2015年4月30日同ミュージアム公式ブログで現存を公表した。 同年5月17日の「2015国際博物館の日記念ミュージアムトーク」に合わせ、1日限定で燭台切光忠を展示した。当初は1回約40人で全2回開催の予定だったが、全国から300件近い応募があったため、急遽5回に増やされた。その後一般展示が決定し2015年7月11日から9月23日まで展示され、通常時の5倍の来場者を得た。羽田空港ディスカバリーミュージアムでは前期2015年10月10日~11月10日/後期11月12日 - 12月13日の日程で展示され、約4万人が来場した。徳川ミュージアムでは常設展「水戸徳川家の名宝展」(2016年1月5日 - 2016年3月30日)で展示された。 罹災刀の保護を求める人からの寄付金が300万円となり、罹災した燭台切光忠と児手柏(水戸家第一の宝刀)の写しを造るプロジェクトが2016年2月から始められた。美術鑑賞用の刀剣でなかった罹災刀剣ゆえに批判する刀剣研究家もあったが、宮入法廣(児手柏は月山貞利)の手で再刀される。その後、2017年12月に間もなく完成する旨と翌2018年1月より公開展示される旨が徳川ミュージアムにより発表。2018年1月20日より焼身である本歌と宮入による写しが並べて公開展示された。
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