有料特急の運転開始と愛称
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「近鉄特急史」の記事における「有料特急の運転開始と愛称」の解説
1946年(昭和21年)3月 急行・準急電車の運転を再開。 1947年(昭和22年)6月 近鉄、旧南海鉄道の路線を南海電気鉄道へ譲渡する形で分離する。 10月8日 大阪線の上本町駅 - 伊勢中川駅間と、名古屋線の伊勢中川駅 - 近畿日本名古屋駅(後に近鉄名古屋駅に改称)間に、伊勢中川駅で乗換える形で名阪直通の特急を運転開始。国鉄・私鉄を通じ戦後初の特急復活であった。またこの列車は特急料金を徴収して座席定員制を採用(現在のホームライナーの方式に近い)し、新聞広告に「すわれる特急」と大きく掲載して、当時としては極めて珍しい「確実に座って行ける電車」であることをアピールした。 東武鉄道の日光特急(1948年8月)、小田急電鉄の小田原特急(1948年10月)、日本国有鉄道(国鉄)の特急「へいわ」(1949年9月)にさきがけ、戦後の日本初の有料特急列車となった。 当時は各社とも戦災で車両が荒廃し、窓ガラスもろくに入っていない劣悪な車両の中で、比較的状態が悪くなかった車両をやり繰りして運行している状態であり、また車両不足ゆえ、どの列車も非常に混雑し、座席以前に列車に乗ること自体が難事だった。この状況下で「すわれる特急」というキャッチコピーの効果は非常に大きかったが、まだ全線の所要時間は4時間以上を要し、車内設備も不十分であった。さらに、車両・設備の荒廃や列車運行の混乱に改善のめどが立たない中で特急を運行したことに対し、当時のGHQ/SCAPから「在来列車の整備を先行させよ」と強いクレームがつき、近鉄はこの列車の特急料金を名目上「座席指定料金」とせざるを得なかった。社内外でも同様の反対論は多かったが、この列車の運転は、敗戦によって意気消沈していた沿線の人々や近鉄の社員に希望を与えたともいわれている。なお、大阪線特急は他社に先駆けて最高速度110km/hの運輸省認可を得ている。 12月 特急のうち、上本町駅 - 伊勢中川駅間運転の列車に「すゞか」(翌年12月に「すずか」と改める)、伊勢中川駅 - 名古屋駅間運転の列車に「かつらぎ」と命名。 1948年(昭和23年)1月 「すゞか」、臨時で宇治山田駅まで延長運転する。 7月18日 「すゞか」、上本町駅 - 宇治山田駅間を定期運転とし、「かつらぎ」とは伊勢中川駅で大阪方面・伊勢方面の両列車とも同時接続するダイヤとした。上本町駅 - 宇治山田駅間の所要時間は2時間40分であった。特急列車において車内販売を開始。 1949年(昭和24年)6月25日 特急列車において座席定員制から座席指定制に変更。 8月 上本町駅 - 名古屋駅(名阪)間の所要時間を3時間25分、上本町駅 - 宇治山田駅(阪伊)間のそれを2時間30分に短縮する。 1950年(昭和25年)9月 名阪間を3時間5分、阪伊間を2時間9分に所要時間を短縮。 1951年(昭和26年)1月 南大阪線の大阪阿部野橋駅 - 橿原神宮駅駅(「駅駅」が正称、現在の橿原神宮前駅)間に、料金不要の臨時特急「かしはら」を運転。同年の桜シーズンには南大阪線と吉野線の大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間に臨時特急「さくら」も運転された。 11月1日 特急列車においておしぼりサービス開始。 1952年(昭和27年)3月 上本町駅 - 宇治山田駅間の特急を5往復、伊勢中川駅 - 名古屋駅間の特急を4往復とする。午前に上本町・名古屋の駅を発車するものはそれぞれ「すずか」・「かつらぎ」とし、午後に発車するものにそれぞれ新しく「あつた」・「なにわ」と命名。名古屋線の列車と接続しない上本町駅 - 宇治山田駅間1往復の列車は「いすず」と名づけられた。また名阪間の所要時間を2時間55分、阪伊間の所要時間を2時間1分とし、名阪間の所要時間は戦前の水準をついに上回った。 1953年(昭和28年)4月 「いすず」の名称を廃止、上本町駅 - 宇治山田駅間、伊勢中川駅 - 名古屋駅間の特急はいずれも6往復となる。また、神宮式年遷宮に備えた特急用の新車として2250系・6421系投入。 1955年(昭和30年)1月 上本町駅 - 宇治山田駅・伊勢中川駅 - 名古屋駅間の特急をいずれも7往復とする。新たに「おわり」・「あすか」(上本町発は「おわり」、名古屋発は「あすか」で各3本)の愛称が登場。 なお上本町駅発の最終特急は「おわり」とされたが、これは「尾張」(名古屋)と「終わり」(最終)を掛けたものだとも言われている。 1956年(昭和31年)12月8日 上本町駅 - 布施駅間で、大阪線の電車と奈良線の電車を分離する形の複々線化が完成。 同月21日より、前年に奈良線に投入された新車の800系電車を使用し、上本町駅 - 奈良駅間で料金不要の特急が運行を開始した。 それまでの上本町駅 - 布施駅間は大阪線と奈良線とが線路を併用しており、前身の大阪電気軌道開通以来の直流600V電化であった同区間内では、直流1,500V電化対応の大阪線車両は速度、加速性能とも大幅に制約されていた。最高速度は約50km/hが限度であり、加速力不足を補うために大阪線の普通電車は鶴橋駅 - 布施駅間の中間駅である今里を通過させていた。また戦後復興に伴う乗客の急増によって線路容量が限界に達しており、輸送力増強とスピードアップの目的から複々線化が行われたのである。 また、名古屋線の四日市駅 - 川原町駅間に存在した善光寺カーブと呼ばれた半径100mの急カーブを、線形の大改修とそれに伴う四日市駅の移転(国鉄四日市駅から現在の近鉄四日市駅へ)によって解消し(この年9月完成)、名阪間特急の所要時間は2時間35分、阪伊間の所要時間は1時間54分となった。 この時点での停車駅は上本町駅 - 宇治山田駅間は鶴橋駅(上本町行のみ)・伊勢中川駅・山田駅(宇治山田行のみ、現在の伊勢市駅)、伊勢中川駅 - 名古屋駅間はノンストップであった。 1957年(昭和32年)6月21日 大阪線・名古屋線の特急車内に冷房装置を設置。 10月1日 大阪線の特急車内に公衆電話が設置され、上本町駅 - 伊勢中川駅間でサービスを開始(1975年廃止)。 12月25日 特急車内にシートラジオを設置(1966年廃止)。 1958年(昭和33年)7月11日 (初代)「ビスタカー」と称された、10000系電車が特急で営業運転を開始。 1959年(昭和34年)8月 南大阪線の大阪阿部野橋駅 - 吉野駅間を結ぶ、快速「かもしか」が登場。旧伊勢電モハニ231形を大改装したモ5820形4両が専用形式として充当された。
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