日本におけるストリップ史とは? わかりやすく解説

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日本におけるストリップ史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 01:09 UTC 版)

ストリップ (性風俗)」の記事における「日本におけるストリップ史」の解説

神話世界でのアメノウズメ天岩戸の前での踊りが、日本ストリップ元祖という話が決まって出るほど馴染みが深いものであり、日本人元来そのようなものに一定の理解があった。前史として、浅草レビューカジノ・フォーリー」で「金曜日踊り子ズロースを落とす」(つまり中身見えてしまう)という噂によって大入り続けたことがある一般的な形でのストリップ1947年1月15日東京都新宿角筈(現新宿三丁目)の帝都座5階演芸場で、本邦初ヌードショーヴィーナスの誕生」という催物として始まった。歌や踊りコントなどが演じられる27景のバラエティショーの一景として演じられヌード見せるのは長くて30秒程度だった。この時のモデル甲斐美晴企画演出秦豊吉スタッフには東郷青児もいた。乳房露出していたが、陰部は扇で隠されていた。モデル動けば風俗擾乱として摘発する旨がGHQから寄せられていたため、実際女性西欧裸体画扮し踊りはなくじっとしているものであったので「額縁ショー」と呼ばれていた。それでも大変なショックで、大きな反響呼び殺到した客が5階階段埋め尽くして地上長い列を為したという。その後規制緩和され変化付けるため、行水ショーなど様々に工夫された。1948年3月台東区浅草常盤座にて初め踊り取り入れた本格的なストリップショー開催されその後全国的な広がり見せ大衆娯楽となった。特に松竹東劇バーレスク・ルームや浅草公園劇場「パークバーレスク」。ジプシー・ローズ)、東宝日劇ミュージックホール)といった日本の二大興行主や東京吉本一時参入したのが特筆される当時の映画に「カルメン故郷に帰る」があり、ストリップをめぐる世相も伺うことができる。また、ストリッパー当時ヌードさん」とよく呼称されていた。 1948年広島市内のストリップ劇場摘発受けた劇場側が猥褻ではなく芸術であると主張して法廷争われたが、1950年最高裁女性下半身露出した状態で約1分半ポーズをとった行為などについて公然わいせつ罪にあたるとの判断示した1950年代フランス座ロック座などでは幕間に、佐山俊二長門勇谷幹一関敬六戸塚睦夫海野かつを渥美清東八郎由利徹八波むと志財津一郎三波伸介伊東四朗石井均萩本欽一坂上二郎らの喜劇人コント披露したその後1970年代ビートたけしや、1980年代コント赤信号渋谷道頓堀劇場)から浅草キッドフランス座)の頃まで、衰退しながら続いた。またこの頃、ストリップダンサーはバタフライといわれる一種前張り股間に付けていた(後に出るOS系に比しTS系と呼ばれる)。 1965年8月警察庁全国ストリップ劇場一斉取り締まり実施全国313軒の劇場のうち90軒が何らかの理由摘発された。 1970年代頃から、関西地区中心に全裸になって(全スト女性器見せ特出ショー一条さゆりらが人気博したいわゆるOS系)。一条摘発されたが、次第に全スト一般的になった。また、舞台で女性出演者同士の絡む様を見せる「レスビアンショー」(レズではない)、出演者カップル本番行為を行う「白黒ショー」、同様に出演者カップルSMプレイを行う「残酷ショー」、お客踊り子舞台上で性交をする「マナショー」(後述)が全盛になった徐々にTS系をどぎついOS系が凌駕していく。その頃には「ヌード・インテリジェンス」といった専門雑誌までが登場したショー内容は更にエスカレートしポニー踊り子による「獣姦ショー」も登場したが、1985年風営法施行後警察による取締り強化のためストリップ劇場激減した。 また1970年代ストリップコメディとの関わりとしては、人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』で、ドリフターズ加藤茶による、ストリップモチーフにとったギャグチョットだけよ」(タブー _(ラテン音楽)も参照のこと)が一世を風靡したことが特筆される。が、意味も解らない年齢の子供からも盛んにマネをされるほどの大流行をし、低俗番組として指弾対象となる。 1980年代は、アイドルストリッパーとして人気博した美加マドカ本番行わず「オナニーショー」で有名になった清水ひとみ、後に「伝説踊り子」と呼ばれた影山莉菜など、若く容姿恵まれたアイドル・ダンサーが活躍した。またこの頃は、社会的にまだ話題取り上げることができた時期で、レコードとして笑福亭鶴光うぐいすだにミュージックホールオールナイトニッポンにて深夜登場)やラジオ大沢悠里ののんびりワイド看板お色気大賞コーナーがあり、ストリップ話題お茶の間流れたまた、その頃から(1990年頃以降は特に)観客人気集めるためアダルトビデオ出演していた女優舞台上がることも多くなり、導入当初会場前に長蛇の列出来、入替制にするなどの人気上がったが、集客逓減続け2000年代に入る頃には全盛期比べると見る影もない状況となった近年では他の性的娯楽選択肢増えたこともあり、入場者数減少し経営成り立たず閉鎖余儀なくされる劇場も多い。改正風俗営業法規制下に入り屋台のように一旦営業取り止めになると新規営業許可出ない事となった。閉鎖されていく劇場がある一方で一定程度の客数を確保している劇場都市部中心として複数存在するが、こうした劇場もポラロイドショーによる収入劇場経営支えている側面強くなっている。また、女性客にアピールする目的女性カップル優先席設けるなどの試みを行う劇場もある。関西系のどぎつい出し物台頭という変遷単なる性風俗化した様相ストリップ対し、その揺り戻しともいえるTS系の台頭相対的に進むが、絶対的な劣勢跳ね返す程にはなっていない。2000年代には、若林美保牧瀬茜らのストリッパー活躍した2021年4月14日午後0時半頃、シアター上野摘発があり、経営者55歳の男やダンサーの女ら6人が警視庁公然わいせつ容疑現行犯逮捕された。客は15人だった。客の至近距離で脚を開いたり、一定期間下半身照明当てて見せたりするなど下半身強調する演出公然わいせつに当たると判断され模様

※この「日本におけるストリップ史」の解説は、「ストリップ (性風俗)」の解説の一部です。
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