日本におけるストックホルム・アピールへの署名運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 01:55 UTC 版)
「ストックホルム・アピール」の記事における「日本におけるストックホルム・アピールへの署名運動」の解説
1950年2月、平和擁護世界大会委員会書記局から、日本の「平和を守る会」あてに第3回常任委員会出席通知が送られた。招請を受けた「平和を守る会」は、日本代表として大山郁夫・金子健太・川端康成の3人の派遣を決めパリの書記局へ返信をしたが、連合国軍総司令部の渡航許可が得られず、出席は果たされなかった。 同年3月17日「平和を守る会」と民主主義擁護同盟は、4月1日から6月30日までの3カ月間、「平和と独立のための講和促進運動」を精力的に展開し700万人以上を目標として署名運動をおこなうことを決め、呼びかけた。
※この「日本におけるストックホルム・アピールへの署名運動」の解説は、「ストックホルム・アピール」の解説の一部です。
「日本におけるストックホルム・アピールへの署名運動」を含む「ストックホルム・アピール」の記事については、「ストックホルム・アピール」の概要を参照ください。
- 日本におけるストックホルム・アピールへの署名運動のページへのリンク