日本におけるストリーキング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 05:03 UTC 版)
「ストリーキング (パフォーマンス)」の記事における「日本におけるストリーキング」の解説
日本国内においては、1974年3月11日に沖縄県那覇市のキャンプ・フォスター内のハイスクールの校内で行われたのが初で、同月12日に広島市の繁華街で行われたのが日本人としては第1号になる。以後、同月15日に東京の六本木、16日に東京の銀座に登場した。 同年4月20日には後楽園球場での巨人対中日1回戦の8回裏巨人の攻撃中にライトスタンドから素っ裸の男がひとりグランドに侵入。内野の守備位置付近まで走り抜け、そこで万歳三唱の後、バックネットに向かって土下座を繰り返すという騒動がおこった。 また1980年5月26日にも後楽園球場の日本ハム対近鉄戦において6回裏に突如ライトスタンドの観客席から全裸の男性がグラウンド内へ侵入しそのままレフトスタンド方向へ走り始めた。この試合には4万5千人の観客が来ており観客席はこの突然の出来事で大騒ぎになったという。 1981年には東京の原宿表参道に女性のストリーキングが現れ、『週刊新潮』1981年3月26日号が報道写真という名目で当時解禁されていなかった陰毛を修正せず、グラビアページに「罰金二万円ナリ原宿春一番」のタイトルで掲載。70万部が即日完売し、警察庁から新潮社に警告が発せられる出来事があった。 1974年に俳優の石丸謙二郎が原宿で行ったものがある。また、あのねのねの二人が『あのねのねのオールナイトニッポン』の生放送前に全裸の状態でこれを行い、ニッポン放送局舎の周りを走ったという話もある。
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