指揮系統および編成
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「アメリカ陸軍航空教育研究センター」の記事における「指揮系統および編成」の解説
第1航空旅団には、それぞれ独自の任務を有する4つの異なる大隊が配属されている。第13航空連隊第1大隊、第145航空連隊第1大隊、第210航空連隊第1大隊および第13航空連隊第2大隊(アリゾナ州フォート・ワチューカに所在した無人機システム訓練大隊の後継部隊)である。 第1航空旅団の起源は、ベトナム戦争まで遡る。1965年4月、既に南ベトナムに派遣されていた既存の第13航空大隊、第14航空大隊、第52航空連隊および145航空大隊が、アメリカ陸軍航空旅団(臨時編成)に配属され、戦時編成が整えられた 。1965年8月、アメリカ陸軍航空旅団は、第12航空群へと改編された。その後、その勢力が2倍に拡大され、1966年3月に第1航空旅団へと改編された 。「Vietnam Choppers(ベトナムのヘリコプター)」の著者であるダンスタンは、その戦争の初期に派遣された、多数の独立した航空中隊は、「それらが支援する部隊ごとに別個の手法により運用されていた」ため、担当地域を越えて活動することが困難であった、と記している。旅団編成の目的は、そのような状況において標準化を推進することであった 。 旅団長には、南ベトナム軍事援助司令部(Military Assistance Command Vietnam, MACV)の航空幕僚である准将ジョージ・P・セネフが就任した。ベトナムでは陸軍航空に対する要求事項が戦域ごとに異なっていたため、第1航空旅団は、当初は各アメリカ軍旅団のみに、じ後は各韓国軍旅団にも1個強襲ヘリコプター中隊を配備することとした。また、ベトナム共和国陸軍の部隊を支援する飛行中隊は、最も支援が容易な位置に配置された。旅団は、1個戦闘航空大隊の司令部をもって各歩兵師団を直接支援させ、ある特定の任務のために多数の飛行中隊が配属された場合においても、この大隊司令部の統制により師団の作戦を支援できる体制を整えた。第1航空旅団の司令部およびその付隊は、1966年5月から1967年8月までの間、サイゴンに配置されていた。その後、その司令部は、ロング・ビン分屯地に移設され、1972年初秋にその分屯地が閉鎖されるまでの間、そこに配置されていた。その後、タンソンニャットの南ベトナム軍事援助司令部(MACV)の施設に移り、ベトナム撤退までそこにとどまった。 この間、第52航空大隊は山岳地帯において第4歩兵師団を支援し、第10航空大隊は第101旅団および韓国軍師団を支援し、第11戦闘航空大隊は第1歩兵師団、第214戦闘航空大隊は第9師団、第269航空大隊は第25師団をそれぞれ支援した。第13大隊は、後に完全編成の航空群に昇格され、メコン・デルタにとどまった。第17航空群および第12航空群の2個航空群は、それぞれ第2軍団戦術地域および第3軍団戦術地域における航空戦闘を指導した。これらの航空群の指揮官は、アメリカ軍の地上部隊指揮官の航空参謀を兼務した。 第1航空旅団の兵力は、1970年6月にピークを迎えた。この頃、旅団は、4個戦闘航空群、16個戦闘航空大隊、および83個飛行中隊で編成され、4,000機以上の航空機が装備されるとともに、27,000名以上の兵員が配置されていた 。1971年11月に第1航空旅団に配属された第34全般支援群(航空整備および補給)は、1972年後半までその任務を実施した。1973年1月の停戦合意時には、第1航空旅団の勢力は、4個戦闘航空群全体で人員5,000名、航空機数420機まで減少していた。1973年3月、第1航空旅団はアラバマ州フォート・ラッカーに帰還し、1973年4月6日に戦時編成が解除された。 シェルビー・L・スタントンの著書「Vietnam Order of Battle」によると、ベトナムにおける第1航空旅団の隷下部隊は、次のとおりである。 第11、12、16、17、160、165航空群(11th, 12th, 16th, 17th, 160th, 165th Aviation Groups) 第164航空群は、1968年に第4軍団戦術地域に所在していた臨時編成の航空群の装備を活用して戦時編成が整えられた部隊であり、ベトナム戦争間は、カントーに配置されていた。1995年以降、その伝統はフォート・ラッカーの第164戦域飛行場運用群に受け継がれた。 第10、11、13、14、52、58、145、210、212、214、222、223、268、269、307、308航空大隊(10th, 11th, 13th, 14th, 52nd, 58th, 145th, 210th, 212th, 214th, 222nd, 223rd, 268th, 269th, 307th, 308th Aviation Battalions) ファントム、デルタ、キャピタル、第1軍団、バッファロー航空大隊(臨時編成)(PHANTOM, DELTA, CAPITAL, I Corps, BUFFALO Aviation Battalions (Provisional)) 第1騎兵連隊第7飛行大隊(7th Squadron, 1st Cavalry Regiment)、舵9騎兵隊第1飛行大隊(1st Squadron, 9th Cavalry)第3-17、7-17騎兵隊( 3-17, 7-17 Cavalry)、すべての航空騎兵大隊( all Air Cavalry Squadrons) 1977年2月18日、第1航空旅団は、フォートラッカーにおいて訓練部隊として再編成された。 1970年代の後半から1980年代の初めにかけて、第1航空旅団の指揮を執ったのは、ベトナム戦争の著名な退役軍人であるジョン・バーンセンであった。 第1航空旅団は、戦闘、兵站支援および管理事項などの多くの任務を有していたが、その主たる任務は、航空戦闘に関する将来の指導者たちを訓練し、育成することであった。部隊から収集した教訓事項に加えて、教官などの基幹要員は、旅団以下の航空科部隊のための陸軍航空諸兵科連合教義について、記述、見直しおよび調整が行われている。 幅広い専門軍事教育科目を網羅した課程教育においては、諸兵科連合部隊の戦場における統合が重視されている。戦術訓練には、最新式のシミュレーションが用いられ、学生たちが幅広い戦術シナリオにおいて想定上の戦闘を行いながら、各級部隊の指揮官および参謀の役割を経験できるようになっている。同様に重要なのは、新たな航空職種隊員に対して行われる新任者教育(initial entry training, IET)である。この教育により、航空科部隊におけるそれぞれの職域(occupational specialties)において必要とされる基本的技能が付与される。 アメリカ陸軍無人航空機システムに関するプロジェクト管理の主体である無人航空機システム(UAS)教育研究センターは、総合的能力管理の集中およびUASの統合を推進している。この教育研究センターは、アメリカ陸軍すべての管理・運用組織、必要に応じ国防総省の各統合機関と協力し、現在および将来の全ての有人および無人機におけるUASの相互運用性に関する首尾一貫した戦略の確立に寄与してきた。 TUAS教育研究センターの任務は、次のとおりである。全陸軍機関、統合組織、その他の国防総省機関との統合・調整を行い、すべての有人および無人航空機の現在および将来にわたるUASの相互運用性に関する構想を含む米陸軍UAS戦略を確立する。米陸軍UAS教育研究本部は、それぞれの専門分野において、幅広く豊富な知識、能力および経験を有する専門家たちによって編成されている 第110航空旅団は、3つの駐屯地に所在する4個航空大隊で構成されている。第11航空連隊第1飛行大隊は、米陸軍航空教育研究本部およびフォート・ラッカーならびに全米航空システムに関する航空管制業務を実施している。第14航空連隊第1飛行大隊は、ハンチー陸軍ヘリポートにおいて、AH-64D アパッチ・ロングボウおよびOH-58Dカイオワを用いた飛行訓練を実施している。第212航空連隊第1飛行大隊は、ロウ陸軍ヘリポートおよびシェル陸軍ヘリポートにおいて、OH-58、UH-1 ヒューイおよびUH-60 ブラックホークを用いた戦闘および夜間運用訓練を実施している。第223航空連隊第1飛行大隊は、ケアンズ陸軍飛行場およびノックス陸軍ヘリポートにおいて、CH-47 チヌークおよびC-12ヒューロンを用いた飛行訓練を実施している。
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